リベラリズムとエジプト児童文学の世界 -第四回(最終回)『お母さんは…なんでわたしのお母さんなの?』-

第四回(最終回)『お母さんは…なんでわたしのお母さんなの?』
著者:アブドルラフマン・エルアブヌディ

とりまく文化や自然環境がまったく違う言語間での翻訳が難しいケースは多々あります。アラビア語の「サムラァ」もその一つです。女性詞で「サムラァ」、男性詞で「アスマル」とは血色のよい褐色の肌を指す美称で、エジプトでは古来より美男美女の条件の一つです。
どの程度の色味かと私は応用美術学部のアトリエで「彼女はサムラァ?」「この子もサムラァ?」と次々と聞きまわったことがあります。周囲から特に男子学生から「サムラァである」と認められた女子学生は嬉しそうにはにかむので結構な褒め言葉であることは間違いなさそうです。「褐色の」と訳すと美称としてのニュアンスまで表現しきれず、さりとて灼いた肌の色の「小麦色」ではない生来の肌の色なので訳す時に悩んでしまうのです。
 ここまで読んでくださった方の中には、アラブ美女は色白ではないのかと疑問に思う方もいらっしゃるかと思います。色白美人は古典文学的な美意識に添う深窓女性、あるいは白黒映画時代の女優達で庶民生活にはあまり馴染みがありません。最近では欧米文化の影響で美白化粧品が良く売れているようですが、それでもエジプト庶民の目には輝くような褐色肌の健康的で快活な女性はいかにも愛らしく美しく見えるのでしょう。

 アブドルラフマン・エルアブヌディ著の「サムラァちゃんシリーズ」の主人公はその名の通り褐色肌の少しおてんばで感情表現の豊かな女の子です。農村に住み、ロバに乗り、鳥のように空を飛ぶことを夢想し、お母さんのお手伝いをして、それから学校に行く日をお祭りの日を待つように楽しみにして……。古き良き時代の牧歌的なエジプト庶民の暮らしが詩情豊かに描かれます。シリーズには番号が振られず、どの本から読んでも物語は破綻しません。サムラァちゃんは永遠に小さな女の子のままシリーズは巡ります。
 シリーズ中の一作『お母さんは…なんでわたしのお母さんなの?』では、何故母親は自分を愛するのか、自分はどこからきたのか、母子とはどう言う関係なのかと、セックスと出産にまつわるテーマをサムラァちゃんは母親に遠慮無く投げかけます。
 多くの社会で性教育がデリケートなテーマであるように、エジプトでも例外ではありません。サムラァちゃんの問いかけに母親は「このことを理解するには彼女はまだ幼すぎる」と心の中で悩みます。面白いのは、サムラァちゃんと恐らく同世代であろう読者に母親の胸中はモノローグとして丸見えなのです。
 母親は父親に頼んで大きなザクロの根元の子株を掘りおこし、離れた場所に植え替えてもらいます。植え替えたばかりの小さなザクロは葉を落とし、サムラァちゃんを悲しませます。ところが日が経つにつれのザクロは芽吹き、幹が伸び、花を咲かせ、まるで花嫁の姿のように美しく成長します。
「私はお母さんのもとで暮らす小さいザクロだったの……大きくなって……それから別の場所に移って、小さな新しいザクロが私から出てきたの……その名前はサムラァちゃん……私があなたを愛するのは、お母さんと子供はひとつだから。わかった?サムラァちゃん」

日本語に訳してしまうとなんてことない内容になってしまうのですが、これは是非とも日本の皆様にもアラビア語原文で読んで頂きたい作品です。
このシリーズ著者アブドルラフマン・エルアブヌディは彼以前には殆どが正則語(文語)定型詩であったアラビア語詩においてエジプト口語詩を多く作ったパイオニアです。
アラビア語は古典時代から変化の少ない正則語と各地方で発達した口語との差が大きく、現代でも学問と宗教の場や公式文書では正則語、生活の場では各地の口語と、使い分けがはっきりしています。従って教育の機会に恵まれなかった人々はアラブ人であっても正則アラビア語の理解は浅いのです。アラブ芸術の中では詩文は最上位に位置し、詩人は最も敬意を表される芸術家です。伝統的な長文定型詩は豊かな古典文学的教養が要され、賛美と羨望の対象ではありますが庶民的生活文化とはやはり少し距離があります。識字率の低かった時代には庶民にとって詩文とは弾き語りの歌声として楽しむものでした。
ですから、エジプト口語で詩文を作りそれが高く評価された詩人と言うのは文学史において大きな出来事の一つなのです。
彼は民間伝承を詩文に書き起こすなど民族主義的文学活動で偉業を遂げ、2001年に口語詩人としては始めて国家褒章を受賞しています(2000年受賞との資料もあり)。また一般的には、アラブ歌謡四大歌手の最後の一人であるムアブドルハリーム・ハーフィズへの作詞提供で広く名が知られています。
「サムラァちゃんシリーズ」は児童書と言うこともあり口語ではなく平易な正則語で書かれてはいますが、短く改行された自由詩で古典教養の有無に関わらず楽しめ、自由詩であるにも関わらず声に出して読み上げるとリズムがとても心地よいのです。
エルアブヌディは詩文を庶民文化に近寄せました。また逆を言えば、エルアブヌディの詩文を活字として楽しめるほどに庶民の教養と識字率があがったのだとも言えるでしょう。

2011年の革命前までは、この素晴らしい詩人の「サムラァちゃんシリーズ」が一冊2.5ポンドと言う破格でペーパーバックとして購入できました。ところが革命後ではペーパーバックにも関わらず15ポンド以上となり出版社も変わっています。庶民には絶対手が出ない金額ではありませんが、気軽に子供達に何冊も買い与えられる金額でもありません。参考までに、街頭で購入する一般紙の価格は一部1.5ポンド前後、著名作家のペーパーバック絵本で5~10ポンド以上です。
エジプトでは「すべての人に読書を」と言うキャンペーンが元大統領ムバーラクの夫人、スーザン・ムバーラクの主導で長年にわたり展開されていました。「すべての人に読書を」は識字率向上にもつながり、ユネスコからも高く評価され、読書運動のモデルスタイルとしてエジプト国外に輸出されていました。良質で安価なペーパーバック絵本の発行はこのキャンペーンの一環だったのです。そして責任者が失脚したため「すべての人に読書を」キャンペーンは中断され、現在では公式ホームページは削除されたまま、エジプト文化省のホームページで写真が落ちた状態でその概要が読めるだけです。
ムバーラク政権が国民の支持を失ったことは間違いありません。だからと言って、その功績までも忘れ去ってしまうのは非常に残念なことと思います。「すべての人に読書を」の頓挫をおおっぴらに問題視する声は聞こえません。目立つ戦火も飢餓もなく、ただ良質な絵本が子供達に少し届きにくくなっただけ。すぐには大きな問題とはならないからと看過されてよいのでしょうか。
大きな社会の改革のためには文化的活動がほんの数年停滞するのはやむをえないと考える方も多いのでしょう。けれども個人の人生での数年は非常に大きく、ましてや子供時代は瞬く間に過ぎ去ってしまいます。
革命後、期末試験期間中には学生運動も一休みして学生達は粛々と試験を受けていたのですが、2013-14学年度にカイロ大学構内の運動により初めて定期試験が中断され、振替日程により大学スケジュールが大幅に狂いました。学生運動による試験中断は首都圏の主要大学に瞬く間に波及し、ほぼ日程通りに無事試験を終えたのは「フィルアーラミルターニー(浮世離れしている)」と言われがちなヘルワーン大学美術系学部のキャンパスとアカデミー・オブ・アーツくらいでした。
2013-14学年度は2010-11学年度に高校一年生だった生徒が大学一年生になった年度です。彼らの高校時代は休校と日程変更の繰り返しで、それ以前の生徒に比べれば落ち着いた教育環境に恵まれていません。彼等を「アブヤド(真っ白、つまり物知らず)」と揶揄する声さえ聞きました。物を知らないからこそ戦い方を間違え、扇動者に利用され、最悪の場合は若い命を落としてしまう。
もし、革命と自由を叫びながら校内カフェの駄菓子値下げを要求したり、気に食わない教師を吊るし仕上げたりした小学生達がそのまま成長してしまったら。彼等にとってこの上ない不幸であるにも関わらず、ものを知らないが故に彼等は彼等自身の不幸に気がつかないまま一生を終えるのでしょう。
教育の衰退は静かに始まり、目につく頃には取り返しがつきません。
言葉を学び知恵を得るために、子供達は多くの物語を必要としています。教養と識字は戦火と飢餓を遠ざけ、彼等に幸せな未来と本当の自由を指し示します。
すべての人に読書を。
すべての子供達に絵本を。
児童文学は未来の礎の一石なると私は信じています。エジプトの子供達の子供時代が、どうか多くの絵本と共にありますように。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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