第三回『タウフィーク・エルハキームの物語集』より「信者と悪魔」
著者:タウフィーク・エルハキーム
挿絵画家:モスタファ・ホセイン(第二回『ジュハーとスルターン』の挿絵画家)
建築の本を読んでいて面白い表現を知りました。「アッリベラーリーヤ・バイナ・アッサウラタイニ(二革命間の自由主義)」です。最近のエジプトで二つの革命といえば2011年「1月25日革命」と2013年「6月30日革命(2013年クーデターの一部)」を連想しますが、頭に自由主義と置けば1919年「エジプト革命」と1952年「7月23日革命」の二革命間の約30年を明確にさすようです。
建築においてこの時代が重要であるのは、カイロ首都圏、特に中心部において西洋風あるいは折衷様式の建築物が一斉に建てられ新しい一時代を築くからです。「アッリベラーリーヤ・バイナ・アッサウラタイニ」には第一芸術である建築を筆頭に、あらゆる芸術分野で新しい試みがなされました。特筆すべきは第七芸術である映画産業でしょう。「アルムーシィーカー・アルアラビー(アラブ歌謡)」や、後にベリーダンスとして欧米に広がる「アッラクス・アッシャルキー(地中海東岸の踊り)」といった新しい大衆芸能が映画産業とともに発展し社会に浸透していきました。
タウフィーク・エルハキームはこの「アッリベラーリーヤ・バイナ・アッサウラタイニ」を代表する劇作家の一人です。
タウフィークは1920年代にエジプトで法学を修めた後パリへ留学します。そこで演劇文芸の世界に触れ、30年代から50年代前半にかけてはイギリス、ヨーロッパで彼の作品が多数翻訳出版上演されました。50年代にはリベラル、民族主義派の旗手として芸術思想での独立運動に熱心な活動をしました。1960年にナセル大統領政権下で文学において国家褒章を、1975年には文化省立アカデミー・オブ・アーツから名誉博士号を授与されています。
挿絵画家モスタファ・ホセインがカッダフィー大佐の殺害予告リストに記載された人物なら、タウフィークは1919年のエジプト革命に参加し投獄された人物で、文壇の敵も多かったといわれています。著者達の経歴を知っていると、三頭身キャラクターが挿絵に描かれる絵本が何やら空恐ろしい書物に思えてきます。
絵本のメイン読者である子供達には両者の経歴など関係ないのですが、『タウフィーク・エルハキームの物語集』収録「信者と悪魔」では実にえげつない駆け引きをありありと見せつけられるのです。と言うのも、タウフィーク・エルハキームはそれまでの形式的なアラブ演劇に心理劇を持ち込んだ先駆者とされるからです。
昔むかし、とある遠い国の人々はとある巨木を崇拝していました。
とある信心深い男はその様子に憤慨し巨木を切り倒そうとします。すると巨木の後ろから魔王が現れ「何故この木を切るのかね?」と咎め、信心深い男は「ここには神への不信心があるからだ」と魔王を打ち負かします。魔王を倒した信者は疲れたので巨木を切らずに家に帰って眠ります。翌日、信者が巨木を切りに行くと再び魔王が現れ、信者はこれを倒し疲れて家に帰ります。しかしながらこれは魔王の罠だったのです。
再び巨木の下で信者が魔王に会うと、魔王は毎朝金貨を信者の枕に置くので巨木を放ってしまわないかと言葉巧みに持ちかけ、慢心した信者はこの約束をのんでしまいます。枕の下に金貨が現れ続けた一月後のある日、金貨が置かれておらず「約束を反故にした」と怒る信心深い男は斧を持ち巨木の下へ行きますが、今度は魔王にあっさりと倒されてしまうのです。
最初にこのお話を読んだ時、エジプトが世俗傾向の強い風土と知っていても、信者への批判にもとれる筋書きは児童向けとして社会に受け入れられるのだろうかと戸惑いました。
これが無名作家の自費出版作品ならばそのような解釈もありえるだろうと流せるのですが、「信者と悪魔」収録話集は有名作家に手より最大手出版社から、ペーパーバックの廉価版として広く流通している絵本なのです
しかしながらイスラームの聖典であるクルアーンをよく読めば、「信者と悪魔」の筋書きは宗教的道徳にも適っているとわかります。聖クルアーン雌牛章には以下のように記されています。
「あなたがたに戦いを挑む者があれば,アッラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは,侵略者を愛さない。かれらに会えば,何処でもこれを殺しなさい。あなたがたを追放したところから,かれらを追放しなさい。本当に迫害は殺害より,もっと悪い。だが聖なるマスジドの近くでは,かれらが戦わない限り戦ってはならない。もし戦うならばこれを殺しなさい。これは不信心者ヘの応報である。 だがかれらが(戦いを)止めたならば,本当にアッラーは,寛容にして慈悲深くあられる。 迫害がなくなって, この教義がアッラーのため(最も有力なもの)になるまでかれらに対して戦え。だがもしかれらが(戦いを)止めたならば,悪を行う者以外に対し,敵意を持つべきではない。」(日本ムスリム情報事務所 聖クルアーン日本語訳より引用、マスジド=モスク)
昔むかしの遠い国の人々は唯一神を信仰せず、世の理に無知ではありましたが、この「信心深い男」を迫害もせず、争いを挑んでもいません。ただ巨木を拝んでいただけなのです。
そして私は聖クルアーンをきちんと読んでいなかった私自身の不勉強を恥じました。
タウフィーク・エルハキームは二つの革命を通した政治的なあるいは文芸的な闘争でいったい何を見て、何を考えたのでしょうか。
「信者と悪魔」の結末で魔王は信心深い男に語ります。
「お前がお前の主のために怒り神のために戦った時にお前は我を凌いだ、お前がお前自身のために怒りお前自身のために戦った時に我はお前を凌いだのだ……お前がお前の信念のために奮った時にお前は我を打ち倒した、お前がお前の金のために奮った時に我はお前を打ち倒したのだよ……」
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0107:150303〕