スーチー氏が諮問委員会の長に任命した前国連事務総長のコフィ・アナン氏はなかなかの人物と見えます。この人物を選んだということで、スーチー氏の国際的評価下落にいくらかの歯止めにはなったでしょう。スーチー氏の意図はともかく、ロヒンギャ問題では国際的な人権基準と国内的な複雑な状況の両方を踏まえた上でこれ以上ない勧告を出しました。その勧告は「紛争防止、人道支援、和解、制度構築と開発と貧困解消、市民権の検証、国内避難民(IDP)収容所の閉鎖、国境の安全保障、アラカン仏教徒とイスラム教徒の間の共同体間対話inter-communal dialogueの強化」(国連安保理首席秘書官による追加説明)を含み、全体としてラカイン州の永続的平和を達成する政治的枠組みとなっています。 朗報ですが、地元メディアによると、市民権手続きのための国家認証カードが、地元のメディア報道によると、マウンドウ地区・シュエザール村でイスラム教徒に発行されているということですが、推移が極めて注目されるところです。
そのうえでアナン氏はもう一歩踏み込んで、勧告実施に立ちふさがる大きな政治的障碍を指摘しています。すなわち「ミャンマーの指導権の二重性、つまり政府と軍の両方が権力を持つ立場にいるため、これらの提言を一貫して調整して実施するのは難しい」としたのです。アナン氏はこの隘路を打開すべく、政府と国軍が協同して対処すべきだとしか述べていません。まさしくそれはミャンマーの内政に関わることであり、スーチー政府は基本的には自力で道を切り拓くしかありません。まさしくここに民主化勢力内では公的な議論はほとんどなされず、スーチー氏の独裁に委ねられた感のあった民主化戦略―どこの誰に依拠し、どのように民主化を推進していくのか、が浮き彫りになってきたのです。
ロヒンギャ問題は、スーチー氏が政治的説明や公議抜きに独裁的に進めてきた国軍との「融和と協調路線」の破綻といえないまでも、深刻な行きづまり露呈させました。アナン氏はその行き詰まりの実体を「政府と国軍との二重権力状況」と定義しました。これはいわゆる大方のミャンマー問題の専門家たちが達しえなかった高い問題把握です。権力問題である以上、国軍と話し合いで平和的に権力を移譲してもらうなどといった子供じみた空想は問題になりません。そこには国軍とは何かについて、アウンサン将軍の独立神話を引きずるまったくの誤認があるようです。国軍は全国に独自の既得権益のネットワークを張り巡らし、それを死守するためなら暴力の行使をためらわない反国民的な暴力装置(マルクス用語であるだけでなく、ウェーバー用語でもあります)です。たとえばヤンゴンを含め全国にどれほどの軍有地があるのか計り知れません―スーチー政府はその統計を取るべきです。開発によって地代が高騰し、さらに開発利権が舞い込むのを待っているのです。近代的な土地所有制度をつくり上げるには、この一種の封建的大土地所有者である軍に土地を手放させる必要があるのです。そのためには強大な国民的包囲と圧力がいるのです。
いずれにしても、以前から申し上げているように、2020年の憲法改正へ至る出口戦略をスーチー氏の「融和と協調路線」はまったく描き得ないことが、もう明明白白なのです。したがって「融和と協調路線」に替わる戦略が必要なのです。国軍との二重権力状況を民主化勢力の有利な方向に変え、最後は文民統制を勝ち取って憲法改正で仕上げをするのです。これこそ国民の独自の事業なので、外国人があまりとやかく言うべきことではないでしょうが、あえて標語として言えば「圧力と対話路線」です。
なぜスーチー氏が先の見えない「融和と協調路線」にはまったかと言えば、それは氏が残念ながら民主化勢力の成長戦略を構想・構築する能力がなかったからです。国民大衆の力を信じられず、自分しか統治できる人間はいないと思い込んだからでしょう。見たところたしかに、労働者階級や中産階級といえるほどの社会的存在はみえず、人口の7割が農村に暮らす後れた社会です。しかしこの国は国民が1988年以来民主化を渇望し、2015年には総選挙で大勝利を収めたのです。あの国民的エネルギーを適切に運動や組織の力に置き換えていれば、今回の反ロヒンギャの排外主義の大合唱はなかったでしょう。スーチー氏の独断専行の統治スタイルは、国民の政治エネルギーの健全な発露を阻害し、行き場を失ったエネルギーは国民意識の「古層」(丸山眞男)に根を張る最も後進的な部分にチャンネルを見出したのです。
今回のアナン勧告を実行できる政治家は、たしかにアウンサン・スーチー氏しかいません。国民の支持を取り付けつつ、国軍に圧力をかけながら国民の意に反する施策を実行するなどという芸当を実行できるのは氏をおいて他にはいないのです。そのことを十分勘案したうえで、アウンサンスーチーという人はいかなる政治家なのかを理解しておくことは、今後のミャンマー政治を占う上で必要です。この点については機を改めて論じましょう。
2017年10月20日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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