不破哲三氏はそんなに偉かったか?

――八ヶ岳山麓から(549)

2025年12月31日、信濃毎日新聞は共産党前議長不破哲三氏の訃報を伝えた。そして共同通信論説委員の川上高志氏の評伝を掲載した。川上氏は不破氏を「端正な理論家貫くーー不破哲三さん、党の中枢に半世紀」と高く評価している。だが、わたしには「端正」すなわち一貫して正しかった理論家とは思えない。
不破氏は、1969年に衆議院議員に初当選し、翌年日本共産党再建の立役者宮本顕治氏のもと70年に新設の書記局長、82年には幹部会委員長に就任した。以来、2006年に中央委員会議長を退くまで、実に36年間指導者の地位に止まり続けた。いや、その後も2024年までは中央委員会幹部会委員であった。
私は共産党支持者の立場から共産党批判を本ブログに書いてきた。以下は、あらためて不破氏について考えたが、かなりの部分が過去の主張と重複する。お許しいただきたい。

日本共産党は2004年不破氏主導で綱領を改定した。画期的だったのは、そこに中国・ベトナム・キューバなど現存社会主義国を「社会主義をめざす新しい探求が開始された国」と書き込んだことである。説明によると、いまは社会主義とはいえないが、中国共産党などは社会主義をまじめに探究しているからというのである。
当時わたしは中国で暮らしていて、これを知ったときは驚いた。江沢民・胡錦涛政権の下、鉄鋼、エネルギー、鉄道、航空などの国営資本や民間のBAT(百度・アリババ・テンセント)が急速に発展し、権力者は金持ちになり金持ちはますます豊かになった。資本主義が急速に成長する一方で、環境破壊が全国に生れ、出稼ぎ農民は低賃金重労働のうえ無権利で、医療や貧困対策などの社会保障制度はないに等しく、生活格差は開く一方であった。

この16年後の2020年、日本共産党28回党大会は、綱領から中国など現存社会主義についての規定を削除した。中国が大国主義・覇権主義になったからという理由である。これによって下部の党員は有権者の「日本共産党は中国のような社会主義をめざしている」といった批判からようやく解放された。
不破氏は、この党大会ではこう発言していた。
「2008年12月、機関銃で武装し中国の公の船団、いわゆる公船団ですが、これが日本の領土である尖閣諸島の領海を侵すという事態が起こったのであります。……この根底にあるのは、国際的な道理も、他国の主権も無視した領土拡張主義にほかならなりません。この領土拡張主義は、いま南シナ海方面、東南アジアではよりあからさまな、乱暴な形で発動されています(「前衛臨時増刊--日本共産党第28回大会特集」p228,229)

ところが日本共産党は、2005年から2009年まで不破氏を中心に3回(中国が大国主義・覇権主義に変ったとする時期に)中国共産党と友好的な「理論会談」をおこなっていたのである。2009年4月の「理論会談」では、不破氏は2008年に胡錦涛政権がリーマン・ショックに際して取った4兆元の財政投資を高く評価し、さらに中共が経済の根幹を握っていることを賞賛した(『激動の世界はどこに向かうか――日中理論会談の報告』新日本出版社 2009)。
不破氏は2009年には中共の経済政策と一党支配体制をほめちぎり、2020年の党大会では同じ時代の中国をぼろくそに言っていたのである。だがその後、氏がこの自己撞着について釈明したとかいう話は聞いたことはない。それどころか、20数万党員から氏の言説に対する疑問や異議が提起されたこともないようだ。これは党の体質にかかわる深刻な問題である。

さらに安保防衛政策については、共産党は1994年に日本国憲法の重視を党綱領に盛り込み、それまでの「中立自衛」政策から「非武装中立」という旧社会党と同じ路線に切り替えた。ところが、テレビ討論で防衛政策の弱点を小沢一郎氏らから衝かれると2000年の22回党大会ではそれまでの自衛隊の否定から自衛隊活用論に転換した。
不破氏の後継者志位和夫氏は2022年ウクライナ戦争がはじまると、「急迫不正の侵略には現行法にもとづいて(米軍と共同作戦をする)安保条約第5条で対応する」と明言した。ところが2023年の記者会見での発言は、「在日米軍というのは……日本を守っている『抑止力』だという考え方は根本からとっておりません」というものであった。日米安保条約第5条の発動など問題外という趣旨である。
こうした幾度とない政策転換のわかりやすい説明はいまだない。知り合いの党員に聞くと、共産党が参加した国民連合政府のもとでは、安保条約第5条の発動も自衛隊の動員も認められるが、自民党政権下では認められないのだという。誰がこんな理屈に納得するだろうか。この時期、不破氏は幹部会委員でまだ判断力が鈍ってはいなかったはずだが。

共産党には運動や事業が失敗あるいは停滞したとき、人事を刷新して人心を一新し新たな前進を試みるという常識が存在しない。不破氏は自ら2000年に党規約を改定して当たりの柔らかな文言にしたが、民主集中制は維持した。最高指導部を含めた党役員の任期や定年、党員による党役員の直接選挙制は定めなかった。人事は事実上任命であり役員終身制である。このため今日まで国政・地方の選挙に負け続け党勢が衰退しても、幹部が交代することはない。
先の共同通信の川上氏は、「宮本(顕治)氏の秘蔵っ子として党の基本理念、路線闘争の理論を担ったのが不破さんだった」という。

だが、党勢を見ると党員数は1980年をピークに、赤旗読者は87年をピークにして減少しはじめ、21世紀に入ってから衰退傾向は一層顕著になった(本ブログ・広原盛明「共産党はいま存亡の岐路に立っている(その79)」)。不破氏は委員長あるいは議長として、これを克服する新しい理論、新しい活動方針を提起することはなかった。今日の志位氏同様、「党員と赤旗の拡大」を繰り返すだけだったのではないか。

東欧ソ連の崩壊と党勢の停滞に関連して、かなりのマルクス主義者が理論上実践上の新しい問題提起を行ったが、不破氏らは多くの場合、規約違反をタテに「反共攻撃に射落とされた」とかと批判し処分してきた。不破氏が共産党第一の理論家と見られるのは、不破氏以外に党の理論家を育てようとしなかったか、あるいは新しい理論を持った党員を排除してきた結果だと思う。
また、不破氏の業績に「資本論研究」などを揚げる人がいるが、「研究」にはかなり問題があって、川上則道氏など何人もの資本論研究者が不破氏の間違いを指摘している(『本当にマルクスは書いたのか、エンゲルスは見落としたのか』 本の泉社 2022)。また党中央に批判的な共産党員のブログ「さざなみ通信」の論評にも見るべき不破批判がある。だが、マルクス主義についてはわたしの知見は限られているから、これ以上の発言はできない。

わたしが不破氏をプラスに評価できるのは、氏の文化大革命批判である。1966年中国で毛沢東が主導する文化大革命が勃発したとき、氏が赤旗日曜版紙上で「これは農民的平等主義だ」と批判したと記憶する。これが日本共産党による翌67年の毛沢東と文化大革命に対する本格的批判につながった。当時日本では実態を知らぬまま文化大革命を支持するものが圧倒的で、ジャーナリズムの世界では、文革を批判したのは赤旗と産経新聞だけだったのだから先見の明があったと思うのである。(2025・12・31)

「リベラル21」2026.01.07より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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