世にもおそろしいものは ― 他人(ヒト)のせいにできないこと

 『日本経済新聞』1月4日の朝刊に「今年の10大リスク」という記事が載っている。ご覧になった方もおられるだろうが、読んで考えたことを書かせていただく。
 記事は国際政治学者のイアン・ブレマー氏が率いる米政治リスク調査会社「ユーラシア・グループ」が発表した今年の世界の「10大リスク」を紹介したものである。
 話の都合で10位から3位までの項目を先にお知らせすると、10位(水不足)、9位(デジタルネーティブ世代の台頭)、8位(米国の分断)、7位(途上国への成長打撃)、6位(エネルギー危機)、5位(追いつめられるイラン)、4位(物価高騰の波)、3位(テクノロジーによる社会混乱)である。
 ここまでの項目と順位についてもさまざま異論もあろうが、それはさておき、これらを凌ぐとされた1位と2位について考えたい。
 1位は(ならずもの国家ロシア)である。言うまでもなくプーチン大統領の「ウクライナ侵攻」を指している。昨年2月24日、突如、「特別軍事行動」と称してウクライナの首都キーウへ軍隊を送りこんで同国を屈服させようとした。理由は「ウクライナのドンバス地方におけるネオナチ勢力がなんとかかんとか」だった。
 その「なんとかかんとか」が国際法にてらしてロシアの国益に損害を与えているなら、堂々と内外にそれを訴え、相手と話し合いで解決を目指すのが順序というもので、いきなり殴りかかるというのはとても理性をもつ一人前の人間、ましてや一国の指導者たるもののすることとは思えない。
 さらに同大統領は背景として、北大西洋条約(NATO)諸国が「約束を破って」、バルト三国をはじめ東欧の国々を自らの側に取り込んだと強弁し、それがウクライナにまで及ぶことは我慢できない、非はNATO側にあるという理屈を展開して、「どうだ、理はこちらにある」と胸を張ったものだ。
 近隣諸国がNATOに走るのは自らに非があるからだ、とはつゆほども考えない、野郎自大そのものの態度に終始して、結局、すべては「相手が悪い」の一点張りで、彼我の国民の血を流し続けている。したがって、これがリスク1位は納得できる。
 では、残ったリスク2位はなんだ。
 2位には「最大化する習権力」とある。さて、これはどうだろう。確かにこの2,3年の中国を振り返ってみると、香港では「香港国家安全維持法」が施行され、返還時に英と約束した「一国二制」は完全に反古と化した。行政長官選挙、立法会議員選挙ではいわゆる民主派と言われる人々は立候補さえ出来なくなった。ウイグル、チベットなど少数民族に対する政策では「中華民族共同体の一部」とする方針のもと、宗教の中国化、教育の中国化が進められている。
 そして政治制度について、習近平は2014年に「かつては実質的に存在した国家指導者の終身制を廃止した」と自ら自賛した「国家主席の任期は2期10年まで」との憲法上の任期制限規定を、2018年に自分の手で廃止して自らの国家主席3選への道を開き、この3月にそれを実現しようとしている。
 しかし、これらはいずれも中国の内政といえば内政である。「香港や新疆でなにをしようと、他国に迷惑をかけるわけではない。なんでそれがリスクなのだ、余計な口出しはしないでくれ」と言うであろう。
 これには困る。法律の建前に従えば、こちらには言い返しようがない、よその国も事なのだから。とは言っても、黙って見てはいられない。ここがキーポイントだ。
 問題のカギは国それぞれの民主のあり方だ、と思う。民主主議の根底は言論の自由にある。とくに民衆を代表して国を運営し、国の進路を選択する権利をもつ立場の人間には国民の声に耳を傾ける義務がある。その基本がしっかりしていれば、国が道を踏み外すことはないはずなのだ。
 ところが口では民主を尊ぶふりをしながら、言論の自由を大きく制限している国がある。ロシアと中国はその代表格だ。そこでは独裁者が民衆の名を騙って自我を正当化する。民衆の自由な討論に任せれば、多数が賛成するはずのない政策が実行されてしまう。「ウクライナを武力で征服し、属国にしよう」と権力者が叫んでも、民衆の討論の結果、それが正当化されることは、民主国家ではまずありえないだろう。
 ところが言論の自由のない独裁国家ではそれが容易に国策となる。プーチンがウクライナに攻め込む際、国の幹部を広間に集めて、侵攻是か非か、1人1人に問うた場面が公開されたことがあった。すると中に1人、答えに口ごもる人間がいた。プーチンは声を荒げて「はっきりしろ」と怒鳴りつけた。その幹部はおずおずと「賛成です」と答えた。
 危険はこの先にある。現在、プーチンは目的を達することもできず、さりとて戦いを止めることもできずに進退窮まっている。賛否両論が火花を散らした結果の侵攻であったのなら、現状に至れば反対派が力を得て戦いを止めることも可能だろうが、反対なしの侵攻であった以上、やめようがない。やめるにはプーチンの判断が誤りだったとするしかない。そんなことをプーチンが認めるはずがない。そして人間が死に続ける。最悪の筋道である。
 その意味では、今の中国も危険がいっぱいである。去年10月の中国共産党大会で総書記3選を果たしたといっても、その後に起こった「ゼロ・コロナ対策のロック・ダウン反対」の動きやら、各地の学生たちの白紙をかざしての「言論封殺反対」集会は、「習近平うんざり感」の広がりを内外に見せつけた。
 かりに春の全国人民代表大会で無事、国家主席3選を果たしても、その地位を守り抜くためには、習近平はもう一度、「うんざり感」を吹っ飛ばすほどの国民的人気を盛り上げねばならない。となると、それには「台湾侵攻」しかない。もっとも愚かしく、かつ悲劇的選択であるが、命惜しさにそれに堂々と反対できない人間だけしか周囲にいなければ、習近平はプーチンの後を追うだろう。
 と考えてくると、「最大化する習権力」がプーチンに次ぐリスクNo.2であることは認めざるをえない。しかし、まだそれは現実とはなっていない。今、われわれにできることは、内政干渉といわれようと、なにはともあれ「台湾に手を出すな」と言い続けて、習近平ならぬ中國国民の肩を揺すらねばならない。声を上げろと励まさなければならない。民主国家に住むわれわれの義務だ。(230104)

初出 :「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5003:20230107〕