中北浩爾著『日本共産党』を読んで 

――八ヶ岳山麓から(380)――

 中北浩爾著『日本共産党―「革命」を夢見た100年』(中公新書 2022・05)は客観的かつ冷静に書かれた日本共産党史であり、かつ日本共産党論である。少年時代からマルクス主義に接し、社会党と共産党の連合政府を夢見たものにとっては、実に感慨深い書であった。

 日本共産党史・共産党論は、共産党自身による党史のほかに、支持者、離党者、反共主義者などさまざまな立場から書かれたものがある。書き手が事実に基づいて書いたつもりでも、おもいがけない批判にさらされることもある。反感や恨みがむき出しになることも多い。
 この点を著者の中北氏は、「はじめに」で次のように書いている。
 「日本共産党の冷静な分析が難しいのは、この党が堅固なイデオロギーに基づく正しさを主張してきたことにも起因している。・・・・・・政治学者の間にも、日本共産党を分析することへの一種のタブーが存在してきた」
 しかしながら、「党内外の現状を見る限り、事実に基づく冷静な分析が可能になりつつあるようにも感じられる」と氏はいう。

 本書は、「序章 国際比較の中の日本共産党」によって国際的視点を提示しつつ、おもに東欧革命とソ連崩壊以後の各国共産党の変化を論じ、日本共産党を指導した宮本顕治の政治路線とユーロコミュニズムの検討へと進み、「終章 日本共産党と日本政治の今後」をもっておわっている。終章で取り上げているのは2015年新安保法制以後の野党共闘と、党勢の衰弱についての分析である。
 いわば序章と終章が日本共産党論であり、この2つをつなぐ第1章から第4章までが党史という構成になっている。

 わたしは戦前の共産党については無知であるし、戦後史についても知識は自分の経験の範囲に限られる。したがってここでは、現在の政治状況に関わること、および民主集中制と社会主義実現の可能性という問題だけを取りあげることにしたい。

 20世紀の社会主義はスターリンや毛沢東のような皇帝型の独裁者を生み出したが、その動力のひとつにレーニンが定めた「民主集中制」があると私は考えている。日本共産党の組織原則は、まさにその民主集中制である。
 党規約に次のような定めがある; (1) 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。 (2) 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。 (3) すべての指導機関は、選挙によってつくられる。 (4) 党内に派閥・分派はつくらない。 (5) 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。
 この定めは党固有ともいうべき律義さ、厳格さをもって守られてきた。「少数は多数にしたがい、下級は上級に従え」という言葉こそないが、現実には党員はつねに指導機関(上位機関)に従うしくみになっている。
 特に派閥や分派活動に対しては、異様ともいえるほど厳格である。
 中北氏はその例として1972年5月「新日和見主義事件」をあげている。当時民青同盟を中心に「こころ派」という分派が形成されたのに対して、党がおよそ600人を査問し、100名以上を処分した。分派活動を疑われたものは、いきなり連行、監禁され、長時間の取り調べを受けた。分派結成の背景には、党活動が選挙や党勢拡大に傾き、労働運動など大衆闘争を軽視することへの不満があったとされる(本書p258、以下同じ)。
 同様の事件は1986年、東京大学大学院支部の伊里一智という党員が「宮本議長解任決議案」を東京都党会議に提出すべく、構成員の「3分の1」の総会開催要求を結集しようとしたときにも起こった。党はこれを分派活動と断定し、除名したのである(P290)。
 中北氏は「共産党は民主集中制を近代政党として当然の組織原則と主張するが、かくも厳格に分派を禁止し、強力な党内統制を加えている政党は例外的である」という(p398)。
 中北氏は、民主集中制のもう一つの側面、党員の投票権の問題をあげている。
 「共産党の人事は事実上の任命制であり、党員ですら委員長選挙の直接的な投票権を持たない」。「(1990年の)第19回党大会の際には、……最高幹部は全党員の直接選挙で選出すべきといった投稿が党員から寄せられたが、いまだ実現に至っていない」(p398)。氏は、民主主義を主張する政党に党内民主主義が欠けているというのである。

 さらに加えて共産党は、支部間、地区間などでの自由な水平的交流を許さない。理由は派閥・分派活動とみなされるからである。この結果、党中央幹部が全国的な情報を独占し、党内唯一最高の賢者となる。上級幹部が異様な権威をもつ啓蒙専制君主的存在になるゆえんである。
 ここでは、現存する不破哲三氏の例を述べよう。
 不破氏は2004年中央委員会議長として新綱領の作成を主導し、そのなかで「中国・ベトナム・キューバは社会主義をめざす新しい探求が開始された国家」であると規定した。その著書『激動の世界はどこに向かうか―日中理論会談の報告』 (新日本出版社 2009)でも中国を異様に持ち上げた。
 その弊害は16年間も続き、綱領からこの規定が除かれたのは、ようやく2020年第28回党大会でのことである。それも不破氏が過ちを認めたわけではない。92歳の今日、氏はなお常任幹部会員である(「前衛」臨時増刊 2020・01)。

 日本共産党は、人民的議会主義を提唱して以降、目標を議会の多数を得て民主連合政府を樹立し、市場経済を通して社会主義へすすむことに置いている(綱領)。
 中北氏は、「革命を成功させた各国共産党がことごとく人権の抑圧など共産主義の理想に反したのはなぜなのか、日本共産党は本当に兄弟党の失敗から無縁でありうるのか、ロシア革命に始まる共産主義(マルクス・レーニン主義)そのものに欠陥があるのではないか、こうした疑問に対して科学的な反論を十分に行っていない。そうである限り、共産党は多くの若者を引き付けた過去の輝きを取り戻すことはできないであろう(p399)」という。
 日本共産党が、ロシア革命はスターリンによってゆがめられ、「真の社会主義」は地球上に現れたことはないと主張していることは知られている。中北氏は、この「真の社会主義」の実現性について、ソ連研究者の塩川伸明氏の言葉を引いている(P399)。
 「負けたのは特定の型の社会主義に過ぎない」という人は、往々にして、「社会主義Aは失敗したが、社会主義Bはまだ試されていない」という風に考えがちである。だがそれは社会主義の歴史をふまえない見方である。1950年代半ばのスターリン批判以降、さまざまな国で様々な仕方でスターリン型社会主義からの脱却の試みが30年以上もの間続いてきたことを思えば、……そして、これだけ挫折の例が繰り返されれば、もはや望みは一般的にないだろうと考えるのが帰納論理である(塩川伸明『社会主義とは何だったか』 勁草書房 1994)」

 日本共産党が、めざす目標を社会主義・共産主義から変更することなしに、国民の多数の支持を得ることはきわめて難しい。国政選挙などでまじめに無党派層に働きかけた経験を持つ党員・支持者はそれがよくわかると思う。
 では、どのように方向転換するか。
 中北氏は「安定した連合政権の担い手になるためには、日米同盟や自衛隊の役割を承認するなど現実化が不可欠であり、平和や福祉の実現を目指しながらも、アメリカや大企業・財界と一定のパートナーシップを構築する必要がある」という。いわば体制内の改良の道、社会民主主義政党への道である。
 氏は、もうひとつの選択肢は民主的社会主義への移行だという。そして「民主的社会主義は、マルクス主義を含む多様な社会主義イデオロギーに立脚し、反資本主義や反自由主義など旧来の階級闘争的な政策に加え、エコロジー、ジェンダー、草の根民主主義などニュー・レフト的な課題を重視する」 ものである、としている(P402)。
 ただ、日本共産党の現指導部はきわめて保守的である。どのような転換も望まないと思う。
 
 読み終えて、中北氏の論考の多くに深い共感をおぼえた。おそらくは、氏が個人的なさまざまな思いを抑え、冷静な客観的論述に徹したからであろう。このことに心からの敬意を表したい。
                           (2022・06・10)

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