中国では先月末から今月初めにかけて、中秋節と国慶節(建国記念日)が連続することで、8日間という大型連休がスタートして、各地は大変な賑わいを見せているようである。昨年までは新型コロナの感染防止策の余波で人出もいま一つであったが、今年はこれまでの反動で、海外も含めて各地へ旅行する人はのべ20億5000万人とも予想されるという。日本の総人口の20倍とまではいかないが、少なくとも10数倍の人間が渦を巻いて動き回るのだから、気の遠くなるような話である。
昔から「北京秋天」という言葉に象徴されたように、華北の10月は抜けるような青空で有名であった。最近は空気の汚れで大分様子は変わったようであるが、今年は空気の物理的な汚れもさることながら、どうも国の在り方に不透明さが重なってなんとも気色の悪いことになっている。
まあ「北京曇天」というところだが、こんな時によく使われるのは「山雨欲来 風満楼」(山雨 来たらんと欲して、風 楼に満つ)という一句である。これは晩唐の詩人、許渾(きょこん)の「咸陽城東楼」という詩の一部であるが、ざあっと一雨来そうな大気の動きが楼上に立つ身に迫ってくる、という意味であろう。
それを感じさせたのは、まず7月の秦剛外相の更迭であった。その前の王毅外相時代が長かったから、昨秋の共産党大会後、王毅氏が党の外交責任者に昇格したのに合わせて、秦剛外相が登場したこと自体は別に異とするにはあたらなかった。ところが、その新外相が半年そこそこで7月に理由の説明なしに解任されたのは世界を驚かせた。不倫説、スパイ説などが飛び交ったが、解任の理由については、中国当局は口をつぐんだままである。
ところが8月末から、今度は李尚福国防相が表舞台から姿を消した。例によって当局は今回もだんまりを決め込んだまま、はや1ヶ月以上になる。中國の国防関係の意思決定機関としては共産党と国務院(政府)の双方に中央軍事委員会という組織がある。双方といっても顔ぶれは共通で、トップ(主席)は国家主席であり、党総書記である習近平。その下に張又侠、何衛東という古参軍人2人が副主席、そして4人の軍幹部が委員として名を連ね、合わせて7人で構成される。
姿を消している李尚福国防相はその4人の委員の1人であるから、国防の最高責任者というわけではないが、何と言っても現場の長である以上、いつまでもどこにいるのかわからないですむ存在ではない。
しかし、奇妙な国である。外相といい、国防相といい、いずれも対外的に国の重要部分を代表する要職なのだから、辞めたり、辞めさせられたり、病気になったりしたら、すぐにも公表して後任を決めるのが常識である。
ところが中国の場合、当の役所のスポークスマンが記者会見でトップの所在、安否を問われて、「何も言うことはない」と空とぼけて、何週間も日を送っているのである。トップにいない役所の中はいったいどうなっているのだろう。
ただここで注意すべきは、中國における要人の失脚のメカニズムである。三権が分立し、また法の下の平等が確立されている国においては、一定の法律違反を犯せば、公職にある人間はその職を離れるのは常識となっているが、中國ではそうではない。
中国共産党はもともと革命政党であり、武力による闘争で政権を握った。その闘争の中では紙に書いた法律で闘争の相手はもとより、味方の人間の悪行(とでも言うしかないが)も裁いたわけではない。時には合議で、時には組織の長の判断で、死罪を含む処罰が行われた。
その伝統は革命勝利後、新しい国家を打ち建てた後でも、反右派闘争、文化大革命などで実質的に死刑を含む刑罰が司法とは無関係に「革命幹部」や「革命大衆」の名において、党員、非党員の別なく適用された。
ほかならぬ習近平の父親の習仲勲も党内抗争というか派閥争いというか、ともかく法律による処罰でなく党による処罰として16年もの長きにわたって軟禁、投獄、監視生活を送ったのは有名な話だ(後に復活して深圳経済特区の発足に尽力した)。
2012年秋の中国共産党第18回大会で習近平は総書記というトップの座につき、10年後の昨秋は前例を破って3選を果たして「習一強体制」を作り上げたのだが、そもそも2012年の大会では習近平より、後に習体制下でナンバー2の首相を10年務めた李克強のほうがトップ争いでは有利と見られていた。それが逆転したのはその年の春、当時、重慶のトップだった薄熙来のスキャンダルが明るみに出た際、薄熙来を罪に問うかどうかを中央政治局常務委員会で討議した際、真っ先に処分すべしに賛成したのが習近平で、それが議論の流れを作り、さらに秋の党大会で習がトップの座を射止めるきっかけになったという説を読んだことがある。
あくまで読んだだけで、その真偽を判定する材料は私にはない。でも、そういう話が伝わる以上、幹部の処分は法によるよりも、政治的に決まることが常識になっていることが分かる。
ということは、最近の秦剛更迭、李尚福不明事件は、たんに素知らぬ顔でスキャンダルを隠したいというのではなく、彼らに責任を追及すべき行為があったかどうかを含めて、権力上層部に対立があって、結論がなかなか出せないという事情があるのではないか、という気がする。
些細ではあるが、そう考える根拠の一つとして私が気になるのは、秦剛前外相は外相ポスト以外にも「国務委員」という肩書を持っていた。これはポストというより身分を示すものとされており、国務院(政府)ではトップが首相、その下が副首相、その下に「国務委員」というクラスがあり、その下がただの部長(ヒラの閣僚)という構成と言われる。つまり秦剛はヒラの閣僚より上のクラスなのだが、政府が公表した決定は外交部長の罷免だけで国務委員には何も触れていない。
これはどういう意味か。勘ぐれば、秦剛更迭に反対する勢力(?)がいて、あえて国務委員の肩書を残して、復活の足掛かりにしようとしている、といったことも考えられる。そう考えると、秦剛の後任に前任の、それも確か10年近くも外相ポストにいた王毅をあえて兼任させたのも奇妙である。あたかも秦剛のカムバックを予期しているのでは?という疑問さえ湧いてくる。
李尚福のほうはいまだに国防部がだんまりを決め込んでいるから、考える手がかりすらない。しかし、この状態はたんに外聞が悪いから黙っているとか、頬被りをしていればその内、皆が忘れると思っているとか、そんなことではなく、どうにものっぴきならない複雑な情況が生じて、国防部は身動きがとれないのではないだろうか。国防部がいつどんなことを言うか、あるいは何も言わずのこのまま部長不在を続けるのか(まさか!)。「山雨欲来 風満楼」である。(231001)
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