中国、李国防相の解任ようやく公表 ― 習一強体制になにが起きているのか

 去る8月29日、北京での国際会議で発言して以来、ぱたっと姿を消し、国内メディアにも名前が登場しなくなってほぼ2か月、世界中が注目していた中国の李尚福国防相について、24日、習近平国家主席が「国防相と国務委員(副首相格)を解任する」主席令に署名したことが全国人民代表大会常務委員会から公表された。また同時に7月に外相職を解任された秦剛氏に関しても、これまで報道がなかった同氏の国務委員職についてあらためて「解任」が明らかにされた。
 この奇妙な経緯をどう見るか。たとえば「習一強人事のほころび」(時事通信)とかたづけるのは簡単だが、「ほころび」程度なら、「いや、実は・・」と事態を説明するのは簡単だろうし、世界中が注目している中で2か月も3か月も「だんまり」を続けて、わざわざ疑問を膨らませる必要はなかったはずだ。
 では、何があったのか、となると、両氏の解任の理由については、事ここに至っても、中国のメディアはなにも伝えていない。政権としてはおそらくそれを言いたくないから、解任そのものの発表がなかなかできなかったとも考えられる。
 この間、外部では当然のことながら、解任理由についてさまざまな憶測が飛び交った。秦剛氏については、外国籍の女性ニュース・キャスターとの不倫、あるいは本人が米国のスパイであったのでは、といった推測が流れ、李尚福氏については、2017年9月から軍の「装備発展部長」をつとめていた間に資材の調達を巡って不正を働いたのではないかとの疑惑が指摘されている。
 いずれもありそうなことと思えるが、われわれにはその真偽を判断する材料はない。ただこれらの推測のどれかが当たっているとして、それでこの間の事態についての疑問が解消されるわけではない。
 疑問というのはほかでもない。とくに李氏の場合、姿を消してから2か月もそのことについて政府は一言も触れず、秦氏についても「外相罷免は分かったが、国務委員は?」という当然の疑問が即座に提起されたのに、それへの答えが3か月もかかったことになる。よそごとながら、どういうこと?である。
 外相、国防相というのは一国の外向きの仕事を処理する外向きの顔である。その顔が引っ込んで長期間なんの説明もなかったのは異常である。引っ込んだ理由以上に、そちらのほうが関心を呼ぶ。
 現在の中国の政権は「習近平一強体制」と言われる。確かに党の最高指導部である中央政治局常務委員会のメンバー7人は全員が習派(序列4位の王沪寧は江沢民によって常務委に取り立てられた人物だが、習時代でもすでに2期10年、常務委に留まっているので、習派に数える)であるし、常務委7人をふくむ24人の政治局員でも過半数が習派である。胡錦涛(元総書記)、李克強(前首相)を輩出し、中央指導部の人材養成機関と見られた共産主義青年団系は現在、政治局からいなくなった。
 強力な反対派というのは、今の中国の政治世界には存在しない。共産党自身が共産党独裁を標榜し、政治世界の要所は習派が抑えている。そして人事というものは多くの場合、最高指導者の意向がほぼすべてを決定すると言っていい世界だ。
 秦剛も李尚福も外相、国防相への起用を決めたのは習近平のはずだ。罷免も同様のはずだ。それでいて発表が遅れ、理由は沈黙、という事態が何を意味するか、そこが問題ではないだろうか。
 しかし、そこから先のことは残念ながら私にはわからない。2人の罷免の最終決定は習自身によって行われ、それにはだれも異論は差し挟めなかったであろうが、可能性としてはそこから先で内部が割れたのではないか。私の推測は以下のような展開だ。
 まず発表の仕方で、罷免と言ってしまうか、復活の可能性を残して病気といった理由にするかで対立が生じ得る。また、本人に同情したり、あるいは2人の罷免に続いて、さらに追及範囲が拡大するのを恐れる、脛傷(スネキズ)の人間たちが、発表時期や理由を言うか言わないかで、注文をつけることも考えられる。
 こういう事態は最高指導部に反対派が存在する場合はなかなか表立っては話ができない。そこで少数の指導的立場の人間がひそひそ話で決めるということになりがちだが、自派の人間だけしかいない場では、たとえば李尚福が装備発展部長時代に装備の調達で不正を働き、それを知っていたり、そのおこぼれに与かったりした人間がいれば、罪状の公表には強く反対するだろう。
 そうこうするうちに、形式的に処分を発表する立場にある全国人民代表大会常務委員会からは、いつまでも黙ってはいられないと、再三の催促がくる。そんなこんなで、とにかく「罷免だけ発表して、あとはだんまりでいこう」という戦術が決まる。24日の発表はこんな状況で決まったのではあるまいか、というのが私の推理である。
 もとより当たっているかどうかは分からない。しかし、こんなことを胸に今後の事態を注目しようと思っている。「満れば欠くるは世のならい」というように、このところ習近平政権の動きはどこかギクシャクしている。一強体制とはかくも不便なものか、という習近平のボヤキが聞こえてくるような気がするのだが、それは私の空耳か。(231025)

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