――八ヶ岳山麓から(538)――
中国共産党機関紙人民日報の国際版・環球時報は、この夏インドに対して異例ともいえる友好的な記事を2度にわたって掲載した。
国境地帯の共同開発?
7月14日、清華大学国家戦略研究院・銭鋒研究員の「中印国境問題を『ともに安全保障で打開しよう』という論評によると、7月初めインドのジャイシャンカル外相が5年ぶりに中国を訪問し、上海協力機構(SCO)加盟国外相理事会に出席した。この動きは、長年の浮沈を経た中印関係における重要な交流であるだけでなく、両国間のデタント継続の重要なシグナルと見られているという。
銭鋒研究員は中印間では国境問題が依然対立点となっているが、「安全保障の解毒剤」としての「国境地帯での開発」を提案し、さらに中国とインドが結成当時からのメンバーである上海協力機構を持ち出し、「中印は2国間主義と多国間主義」という新たなモデルの確立を模索すれば、それは両国の主権的平等を反映したものになるだろう」という。
また7月25日環球時報紙は「中国とインド、関係改善のためさらなる国境協議を開催」という見出しで郭源丹記者の記事を掲載した。それによると、中国とインドは7月23日に第34回国境問題協議調整会議を開催し、外交部局長クラスの会談では、「国境画定交渉、国境管理、メカニズム構築、国境を越えた交流・協力などのテーマについて率直かつ突っ込んだ意見交換を行い、予備的なコンセンサスを得た。さらに双方は、外交・軍事チャンネルを通じて意思疎通を維持し、国境地帯の平和と平穏を共同で維持することで合意した」という。
アクサイチンやブータンのドクラム高原での両国国境守備隊の衝突があったとき、中印両国は互いに激しく相手非難を繰り返してきた。にもかかわず、二つの記事はそれを棚上げし、国境地帯の共同開発を持ち出し、インドもこれに同意しているという。
だが、わたしはインド側の対応を示す直接の情報が得られないので、中国がいうほど友好関係ができ上っているか事実を確かめることができない。どなたかお教えくださればありがたい。
インドのアメリカ離れ
中国はいままでの行き掛かりを捨てなぜインドへの接近を謀ったのか。当然考えられるのは世界経済をひっかきまわすトランプ米大統領による関税攻勢への共闘である。中国にとっては都合の良いことに、トランプ氏の発言によってインドのアメリカ離れは一段と高まる状況にある。
2,3の例を挙げる。トランプ氏は、5月10日カシミール戦争について「アメリカの仲介によってインドとパキスタンは完全、即時攻撃停止に合意した」と発表した。これにモディ首相は激怒した。インドの歴代政権は、カシミール問題はインドとパキスタンの2国間の問題であり第三者には関与させないという原則を守ってきた。トランプ氏の仲介で停戦が成立したとなれば、インド政界でのモディ首相の立場はない。
さらにトランプ大統領は8月末、モディ首相が中国で開催された上海協力機構首脳会議にロシアのプーチン大統領や中国の習近平国家主席と共に出席したことに対して「インドを中国に奪われたようだ」と述べ不快感をあらわにした。
やはり8月末、トランプ氏はロシア産原油の購入を理由にインドに対する関税を従来の25%から一気に2倍の50%へ引き上げるとした。中国には同じく50%だが、これにはロシア産原油の購入を理由とした関税はまだかけていない。
これが実施されるとトランプ関税に恐れをなして生産拠点を中国からインドに移した国際企業は重大な損害を被る可能性がある。たとえば、「Phone 17シリーズ」を9月19日から発売するという米アップル社はこれまでiPhoneの工場を中国からインドに移している。
9月9日になってトランプ大統領は、今度はロシア産原油を買っている中国やインドに最高100%の制裁関税を課すようEUに要求した。またロイター通信によると、アメリカはG7に対してロシア産原油の購入を続ける中国とインドに関税を課すよう要求し、日本を含むメンバー国にウクライナ侵略をやめないロシアへの圧力を強めるよう迫ったという(日経2025・09・12)。
ダライ・ラマ後継者選び
さて中国にはトランプ関税のほかもうひとつ、インドとの関係を改善したい事情がある。ダライ・ラマ14世の後継者選びである。チベット仏教の最高位僧侶であるダライ・ラマ14世は1959年チベット叛乱の際、ヒマラヤを越えてインドに亡命して亡命政府(ガンデンポチャン)を設立した。
今年7月2日90歳をむかえるなかダライ・ラマは彼自身の後継者選びに関する声明を発表し、死後「輪廻転生」に従って生まれ変わりを探す制度を続ける考えを示し、自分の後継者は中国国外で生まれると言明したのである。
これに対し中国外交部は直ちにダライ・ラマ後継者は伝統に従って(中国政府の認定によって)選ばれなければならないと声明を発表した。これだと亡命政府と中国政府はそれぞれ中国国外と国内からダライ・ラマ15世を選ぶことになる。
大騒ぎは必至だ
ダライ・ラマ14世はこれまで活発な国際的活動を展開してきたから、モンゴルを含むアジアの仏教国だけでなく欧米諸国からも仏教最高位の存在とみられている。ダライ・ラマ15世2人の並立となると、パンチェン・ラマ11世選出時とは比較にならない大きな騒ぎになる可能性がある。
1995年5月チベット仏教第二の高僧であるパンチェン・ラマ10世の後継者選出のときは、ダライ・ラマが認定した聖童パンチェン・ラマ11世親子は中国政府によって拉致されて行方不明となり、中国政府はこれとは別に11世を選び出した。これに対して国際世論は江沢民政権に激しい非難を浴びせ、江沢民氏は面目をひどくつぶされた(「八ヶ岳山麓から(454・530)」参照)。
中国政府がもっとも問題とするのは、インド・ダラムサラにあるチベット人の拠点亡命政府の存在である。この政府は社会統制が厳格になった今日でも中国国内のチベット人社会に大きな影響力を及ぼしている。「中華民族の団結」を掲げる習近平氏にとっては実にわずらわしい存在である。インド政府が亡命政府の活動を制限するとか、いや、それ以上にインドから追放してくれればありがたい。
ダライ・ラマ11世選定と亡命政府の問題を中国に有利に持ってゆくためには習近平政権はインド政府の支持を得なければならない。中国はここでもインドへの接近を迫られているのである。
(2025・09・13)
初出:「リベラル21」2025.09.26より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14446:250926〕