(新・管見中国 4)
虎もハエも、そして・・・
習近平体制になって歴代のトップ指導者と際立って目立つのが腐敗撲滅への意気込みである。独裁体制に腐敗はつきものであるから、これまでも何とかして幹部の腐敗をなくそう、減らそうという努力は共産党政権によって行われてきた。
まだ建国直後の1951年11月には党員幹部の汚職・浪費・官僚主義に反対する「三反運動」が始まり、それが52年1月には共産党に協力していた資産階級による賄賂・脱税・資材の横領・手抜きとごまかし・経済情報の窃取に反対する「五反運動」が加わって、大規模な反腐敗キャンペーンが展開された。
また50年代後半の反右派闘争、社会主義教育運動の延長上で、60年代前半の農村では、当時、社会主義の農村のあり方として広まった人民公社における労働点数・帳簿・倉庫・財産の4つを点検する「四清運動」が広がり、これがその後の文化大革命へとつながる。
70年代末からの改革・開放期以降でも、1989年6月、あの天安門事件にいたる大規模な民主化運動の背景には「官倒」と呼ばれた官僚による物資の横流しなどの不正に対する民衆の怒りがあった。
習近平体制政権は発足後の最初の中央委員会総会(一中全会・12年11月15日)で、共産党中央政治局常務委員7人で構成する最高指導部の1人、王岐山(序列6位)を中央紀律検査委員会のトップに据えて、習近平自らが打ち出した「虎もハエも叩く」、つまり大物も小物も区別なしに摘発するという掛け声のもとに従来にない激しさで活動を始めた。
すでに報道で知られているように、それから現在までに摘発された「虎」は前党中央政治局常務委員で石油関係の利権の元締めだった周永康、前党中央政治局員で重慶市党委員会書記つまり重慶のトップだった薄熙来、それにいずれも軍人で前中央軍事委員会副主席つまり制服組トップに君臨していた徐才厚、郭伯雄、さらに胡錦濤総書記時代に党弁公庁主任つまり日本式にいえば政権の大番頭、内閣官房長官に匹敵する要の地位にいた令計画などが挙げられる。
中國には昔から「刑不上大夫」という言葉があり、刑罰は一定以上の高級役人には課せられないものとされてきたが、確かにこの顔ぶれを見るとそうした悪習を習近平は打ち破ったように見える。特に周永康は当時のトップ9人の1人であり、中国の常識で言えばまず何があろうと一生身分は安泰のはずであった。それを摘発して無期懲役の刑に処したのだから、「習近平、なかなかやるな」と思わせた。
それではハエのほうはどうか。まず12年11月から13年9月までの10か月間に摘発された人数は16699人(90%以上は科長クラス以下)という数字がある。最近では今年(15年)1月から9月までの摘発は29389人である。これは驚くべき数字である。運動は下火になるどころか、ますます燃え盛っている。これまでの全体の数字は私の手元にないのだが、6~7万人には達しているだろう。
こうなると、誰がいつ摘発されるか分からず、役所では仕事が手につかない、といった話をよく聞く。とくに令計画の兄弟が勢力を誇っていた山西省では多くの幹部が捕まってしまったために仕事がさっぱり進まないという報道もあった。
虎とハエの間には「小虎」もいる。各省や市のトップ、あるいはそれに準ずる幹部がさしずめ小虎である。中國にはそういう大行政区が31あるが、今年の11月に入ったところで、それまでに28の省・市・自治区はそろってトップ級の落馬者(失脚した人間)を出しているが、寧夏回族自治区、上海市、北京市の3区市からはトップ級の落馬者がいないということが話題になった。
このうち西北部の小自治区である寧夏についての理由は分からないが、上海は習近平の前任地であり、北京は首都で現在のおひざ元だから、手心を加えているのだろうという憶測が飛んだ。
するとどうだろう。まず11月6日に寧夏自治区の副主席、白雲山という人物が挙げられた。次に10日、上海市の艾宝俊副市長、翌11日に北京市の呂錫文副書記(市長級幹部)が相次いで摘発されて、全ての一級行政区から「小虎」が発見され、全国公平、めでたしめでたしとなった?
勿論、役人ばかりでなく経済界からも多くの落馬者を出している。周永康が君臨していた石油業界、それに関連する業界、航空会社、金融関係など、いちいち挙げていたらきりがない。
でもここまで来てみると、なんだか奇妙ではないだろうか。捕まえても捕まえてもハエは無尽蔵にいる。小虎だってあのあたりから一匹と思えばすぐに適当な獲物がいる。ということは反腐敗がさっぱり効果を上げていないのではないかという疑問を生む。
そうなのだ。独裁政権と腐敗は切っても切り離せない。不正に手を染めることは、多少なりとも権限や権力を持つ人間にとっては、当たり前のことなのだ。へんな例えだが、血糖値や中性脂肪の値が高いといった成人病のようなものだ。値が高いからといって全部捕まえれば誰もいなくなってしまう。だから目立って高いのに狙いをつける。それでも捕まえる対象はいくらでもいる。つまり状況は変わらないのだ。
大虎にしたところで、初めは彼らの悪行を聞かされて、胸のすく思いがしたとしても、世の中が変わらなければ、この捕り物も権力者どうしの争いにすぎないと民衆は興ざめするであろう。
習近平の反腐敗も腐ったものを捨てるだけで、腐敗を生む社会の仕組を変えなければ、いつまでやってもぐるぐる回りだ。腐敗をなくすには権力を監視し、時に権力者を壇上から追い落とす装置がなければならない。それは政権交代のメカニズムと世論の監視だ。
しかし、それを取り入れようとする気配は習近平にはまったく見えない。むしろ、それがいやだから反腐敗と称する無限運動を国民に見せて、誤魔化そうとしているとしか私には思えない。(151218)
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〔opinion5825:151224〕