中国の人口が正真正銘、減り始めたことが確認された。去る17日、中國の国家統計局が2022年末の人口は14憶1175万人で、これは前年末より85万人減少した、と発表したのである。
昨年7月11日の世界人口デーに国連が発表した世界人口予測は、今年2023年にインドが中国を抜いて世界一の人口大国になると「予測」したが、その根拠となる22年の両国の人口の数字は中國14億2600万人、インド14億1200万人であった。17日に中国が発表した昨年末の中国の人口、14憶1175萬人はすでにインドの14億1200万人より少ないから、インドが中国を抜いたこともまず間違いないところだろう。
それにしても、中國の人口が減り始めたという事実には時代の変わり目を感じざるをえない。勿論、どこの国でも人口は必ず増えると決まったものではないし、中國でも前世紀50年代末から60年代初めにかけては、大躍進政策のあおりで3000万とも4000万ともいわれる餓死者を出したとされるが、戦争や飢饉といった異常事態でなくして人口が減るというのは、やはりただ事ではないというべきだろう。
孟子の有名な言葉「不幸有三、無後為大」(親不幸に三種あり、後継ぎなしがその最大)は中国人の重要な人生観の一つであるはずなのに、それをも否定したくなる世の中だということなのだろうか。
中年という年頃を過ぎた中国人と話をすると、よくこのことが話題になる。「なぜ、中国の若い人は子供をつくりたがらないのか」という質問に対する答えの典型的な一つは、「十分余裕のある生活でなければ、競争を勝ち抜く教育を子供にしてやれないから、子供を不幸にする、と思っている」というものだ。
昔話だが、1980年代は中國で民主化運動がかなりさかんな時代であった。それが最後は1989年の「6・4天安門の悲劇」に収斂してしまうのだが、デモや集会に参加している学生をつかまえて話しかけると、よくこんなことを聞かされた。「よほどいいコネがあって、就職に困らない学生は別にして、今、学生はトー派とマー派のどちらかに分かれている。トー派はトーフルの英語検定でいい成績をとって、なんとか欧米に留学するチャンスをものにしようというやつ。マー派はそれもあきらめて、マージャンで毎日を送っているやつ」。(注釈を加えれば、マー派は「マルクス」、トー派は「トロツキー」をもじっている)
その流れを汲むのかどうか不明だが、今の学生には「寝そべり派」とか「四つん這い派」とかいうグループがいて、ひたすら怠惰に徹したり、無意味にキャンパス内を這い回ったりしているという。
どちらも社会の閉塞感を反映しているといっては、我田引水と思われるかもしれないが、その地位が崩れることはまずないと思われた「世界一の人口大国」の人口が減り始めたという事実は、ただたんに多すぎるから減り始めたのではない理由があるのだと思う。昨年末にほんの数日、登場して消えた「白紙」デモのエネルギーはどこから出てきたのか、そしてどこへ消えたのか、あたりかまわず聞いて回りたい。
人口の話のつけたしとして、前にもこのブログで紹介したが、「改革・開放の総設計師」鄧小平が言った「選挙と人口」の話を改めて紹介しておきたい。習近平はこれを忘れたふりをしているからだ。
「私はある外国からの客人に言ったことがある。(中国)大陸では次の世紀(21世紀)の半分が過ぎたころ、普通選挙を実施できるだろうと。現在、我々は県以上では間接選挙を行っている。県クラスおよびそれ以下だけが直接選挙である。なぜなら我々は十億人以上の人口を抱え、人民の『文化素質』(教育程度)が不十分である。全国一律に選挙を実施する条件がととのっていない」(『鄧小平文選』第三巻、220頁。発言は1987年、カッコ内は引用者の注)
「我々のような大国、人口がこれほど多く、地域の間に不均衡があり、さらに多くの少数民族がいる。高いレベルでも選挙を行うことは、現在、まだ条件が熟していない。まずは文化程度が不十分である」(同242頁)
鄧小平は普通選挙を実施できない理由に人口が多いことと、国民の「文化程度」(教育水準)が低いことを挙げている。べつに選挙がよくないとか、中国に合わないとかと言っているわけではない。あくまで条件が熟していないというのが理由だ。
しかし、中國より人口が多くなったインドでは何十年も前から選挙で政権が選ばれている。かつては州により地域差が大きく、言葉も違うとか、あるいは国民の間に階級があるとかの理由で、選挙は難しいと言われたインドでもすっかり選挙は定着している。
中国では標準語(普通話)の普及はインドの比ではないはずであるし、教育レベルでも大学卒業生が毎年1000万人を越え、世界各国に大勢の留学生を送り、特許出願数では世界トップクラスの実績を誇りながら、普通選挙だけはできないというのは、いったいどういう理由付けができるのだろうか。
鄧小平が言った次の世紀の中頃に普通選挙を可能にする条件はすでに十分のはずなのに。(230122)
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