―27年党大会以降の布陣が争点か (上)
こんなタイトルをつけてはみたが、「なるほど」と読者に膝を叩かせるほどの材料があるわけではない。なんだ、これしきのことか、と叱られるかもしれないのだが、気にはなるので、一応、文章にしておこうと考えた次第。
始まりは、中國共産党の機関紙『人民日報』が今月10日の紙面に「“二つの歴史主動”を把握し、新しい歴史の偉業の創造へ-党の自我革命をもって社会革命をリードしよう①」という記事を掲載したことからである。署名欄には「本報評論部」とあるので、論説委員クラスの合作か、あるいは持ち回り執筆か、いずれにしろ個人の見解ではなく、中国共産党の機関紙である『人民日報』の公式見解といった性格の文章であることをうかがわせる。
文章の内容については、今後、必要があればふれるが、とりあえずは文章の内容云々ではなくて、問題にしたいのは、①と番号をつけながら、その後、②以降がいっこうに姿を見せなかったことである。①を出して②以降が出ないというのは、新聞社としてははなはだみっともないし、なにがあったのだろうと読者に余計な勘ぐりをさせる。
10日の第1回からすでにすでに3週間が経過しているから、もはや第2回以降が登場してくることはないだろうし、登場しても、1回目と2回目の間隔がそんなに開くのはやはり異常である。それでは一体、何があったのだろう?
私はまず自分の見落としではないかと、10日以降の紙面を探してみたが、見当たらないので「百度」という中国の検索サイトに文章のタイトルを入れて探してみた。やはり該当する②は見当たらなかった。ということは、①に対して誰かから、あるいはどこか有力筋から、クレームがついて、それが公けにできるような性質のクレームではなかったために、『人民日報』側は不体裁を覚悟の上で説明なしの掲載中止を決定したと考えるのが自然であろう。
さてそうなると、ますます理由が気になる。しかし、手掛かりなしでは、誰がどこにクレームをつけたかなど分かるはずもない。下司の勘ぐりは骨折り損であったか・・・。
その時、検索サイトのある1篇の文章のタイトルが目に入った。タイトルは「偉大な自我革命をもって偉大な社会革命をリードしよう」。これは①のサブタイトル「党の自我革命をもって社会革命をリードしよう」とそっくりである。2021年11月18日の『人民日報』に載った文章で6298字という長編である。中国語でこれだけの字数だと、日本語にすれば少なくとも15,000字くらいにはなる。しかし、タイトルが似ていると言っても、そう特異な言い回しでもないから、タイトルだけでこの2篇の文章を関係づけるのには無理がある。
内容はどうか。『人民日報』の①では、腐敗に反対する様々な具体例が挙げられているが、「党の自我革命で社会革命をリードすることには重要な意義がある」というフレーズは1回登場するだけである。長さも1000字強だからだいぶ差がある。
一方の長編の方は、「一、党の百年の奮闘の歴史は偉大な自我革命をもって偉大な社会革命をリードした歴史である」、「二、新時代の党の自我革命の尊い経験を深く掌握しよう」、「三、新時代の党の偉大な自我革命によって新しい偉大な社会革命をリードしよう」の三節に分けて、「自我革命」の理論を説く大論文である。
書いたのは誰か。張楽際―中国共産党中央政治局常務委員で全国人民代表大会常務委員長、党内序列では習近平総書記兼国家主席、李強首相に次ぐ3位、である。
一般にこのクラスの大幹部が新聞に長い論文を執筆して、載せることは非常に稀と言っていい。大幹部はさまざまな大型会議に出席して、基調報告といった類の演説を行い、それが新聞に大きく載る例は少なからざる程度にあるが、それはスタッフが知恵を集めてまとめる場合が通例であろうから、大幹部本人が論文を執筆する例はごく少ないのだ。したがって「自我革命」をテーマにした張楽際論文は首脳間でかなりの話題を呼んだものであった可能性が高い。
それが何故①の連載中止と関係があるか?張楽際論文を快く思わない、あるいは張氏その人を快く思わない同クラスの幹部がいて、その人物から、趙氏の持論をあたかも党の共通認識のように機関紙の連載評論で扱うのは適当でないといった批判が出たとすれば、どうなるか。
党の中枢が「自我革命」を巡って対立している状況を社会に知らせることは、百害あって一利なし、という点では、党の上下は一致するであろうから、人民日報社は黙って連載中止とする道を選んだと考えれば、事態の説明はつく。
では、趙氏を快く思わない人物は実際にいるのか?それは誰か?となると、私も確たる答えを持たない。しかし、一般論として現在の習近平体制を考えると、内部にそうした状況が発生していることは十分に考えられる。
政治の論理として、対立する派閥が存在すれば、派閥間に相手を駆逐しようとする抗争が発生する。そして勝者敗者が決まれば、次は勝った派閥の内部で主導権争いが発生するのは必然の道である。
2022年秋の第20回中国共産党大会の最終日、北京の人民大会堂の舞台の正面最前列に着席していた胡錦涛前総書記が議事開始直前に場内整理係のような人物に脇を抱えられて退場させられた一幕をテレビでご覧になった方もおられると思う。
あの場面についての公式説明はいまだにないが、中國共産党の党内抗争の激しさが図らずも全世界の人々の目に明らかにされた瞬間であった。あれが言わば習近平一派の胡錦涛率いる共青団(共産主義青年団)一派に対する荒っぽい勝利宣言であったとすれば、次の段階として、習近平派の内部での抗争の機が熟してきたと考えてもおかしくはあるまい。
今のところ、それが証拠には・・・といって、並べてご覧に入れられる材料は持ち合わせていない。しかし、あるいはと思われる現象はないわけではない。それを次号で。
初出:「リベラル21」2025.03.04より許可を得て転載
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