――八ヶ岳山麓から(290)――
今年1月、元北京大学教授鄭也夫が「中国共産党は歴史の舞台から退場を」という趣旨の主張を公開したというニュースがあった(信濃毎日新聞2019・1・9)。習近平政権の思想統制のなか、リベラル派の投獄覚悟、捨身の訴えは1年に1,2回はある。まさに中国知識人の精神力の強さを感じさせるものだが、こうした散発的な抵抗はいったいどのくらい社会的影響力をもつのだろうか。
これを気にしていたところ、先日偶然にも新聞広告で張博樹著の邦訳『新全体主義の思想史――コロンビア大学現代中国講義』(白水社 2019・6)を発見した。
張氏は1955年北京生れ、20歳で工場労働者、1977年文革後初めての大学入試で中国人民大学に入り、のち中国社会科学院院生、そして研究員という出世コースを歩んだ。ところが1989年の天安門事件をきっかけに中国共産党を批判し始めたから、社会科学院では20年間干されっぱなしの目にあった。2008年3月アメリカ旅行中に起きたラサ事件ではチベット人の味方をするなど各地で中共批判やったから、2009年に「自宅待機」の行政処分を受け、2011年56歳の時アメリカに出国のやむなきに至った。現在アメリカに家族とともにいる。
邦訳書名から「新全体主義」の発展史かと思ったらそうではなかった。原著は『改変中国;六四以来的中国政治思潮』 香港・〇源書社 2015、〇はサンズイに朔)である。2016年1月に本欄で民主派の思想家馬立誠の『最近四十年中国社会思潮』(東方出版社2015)を紹介したことがあるが、『改変中国;六四以来的中国政治思潮』も馬氏の著作同様張博樹による現代政治・社会思潮分析の書であった(八ヶ岳山麓から(169)参照)。
張、馬両氏はともにリベラリストで人権・自由派だから、思想分類の方法は似ている。ただ張氏はアメリカにいるから歯切れのよい主張ができるが、馬氏は当局の検閲があるからそうはできないことがある。
張氏は、改革開放後の中国に現れた思想を説明するのに平面座標を用いた(図参照)。横軸の中央すなわち原点に現在の党=国家イデオロギーを置く。原点の左に来るのはマルクス・レーニン主義、毛沢東思想による諸派、右に来るのは反体制諸派である。とはいえ原点に近いものほど現体制肯定的で、遠ざかるものほど反中共になる。縦軸は時間を反映するのに用いた。
張氏は党=国家イデオロギーを専制主義としたうえで、その歴史を以下のように説明する。
第一段階(1949~76)は毛沢東の全体主義とユートピアを構想した社会改造期であるが、これは最終的に完全破綻した。その後、短い過渡期(1976~78)を経て第二段階に入ったが、その前期は鄧小平執政、後期は江沢民と胡錦涛執政の権威主義段階(1978~2012)である。ちなみに馬氏は、鄧小平に思想があったとすれば、それは権威主義と実用主義の混合物だったという。
89年の天安門事件で党=国家統治者は統治の正統性の危機に陥ったが、民主化要求を押さえつけながら経済の市場化を図り、(深刻な環境破壊を無視して)30年にわたる高度経済成長を実現した。
第三段階は今日の習近平の専制であって、張氏はこれを「新全体主義」と呼ぶ。2012年の中共第18回大会を契機に始まり、権力集中をはかりつつ、党=国家の中興と紅色帝国の勃興を掲げて、極端なナショナリズムを内包しつつ、いま肥大化の途上にある。
党=国家イデオロギーのすぐ右側は「新権威主義」である。遠い将来の民主改革を展望するものもあるが、当面は一党独裁のもとでの経済改革先行を説く。反体制的になるものも、当局のブレーンになるものもいる。私の考えでは、経済の市場化をめざして国家指導者らに政策を提供した新自由主義経済学者らもこのグループである。
その右に位置するのは「中共党内の民主派」で、党外リベラリストの同盟軍である。自由と民主を求めて革命に参加した古参党員中心の集団で、張氏は完全な民主派から半民主までをひとくくりにする。中共総書記を務めて失脚した胡耀邦と趙紫陽もここに属する。
さらに右は「憲政社会主義派」である。最近現れた思潮で、これは漸進的な政治改革を主張する。憲政も語るが、権力の制約を主張せず一党独裁制も否定するわけではない。習近平政権登場後その存在空間は縮小した。
張氏もいうように、リベラリズムは党=国家イデオロギーの最強の敵であり、社会変革の旗幟である。いわゆる西欧のデモクラシーを淵源とし中華民国時代にも存在した。今日では民主化を要求した「零八憲章」がその綱領である。人権派弁護士などもここに属する。
その温和派は民主化のコースとして人民代表大会を将来真の議会にするなど、現体制化の「合法的な改革」を主張する。これに対し急進派は急速な変革すなわち中共の一党独裁の転覆を目指す。いずれのリベラリストも発言の権利を奪われており、逮捕投獄されたものも多い。
この最右翼は中華民国への回帰を主張する少数派である。
党=国家イデオロギーのすぐ左側には「新左派」がいる。名前は似ているが、欧米のニューレフトとは全く異なる。貧困層の立場から新自由主義を攻撃し、ときに政府の政策を批判したが、体制改革に進むほどの気力はない。近年、一部の新左派たちは「主流をなすイ
デオロギー」への擦り寄りを加速し、他の一部は独裁体制のお先棒を担いでいる。
「毛左派」はさらにその左にある。毛左派は前述の馬立誠の著作では旧左派となっていた。馬氏は「旧左派はスターリン型の社会主義モデル、毛沢東晩年の極左思想を相続している」としたが、張氏もほぼ同じ認識である。天安門事件以後30年、富の格差と不公平が拡大し、社会に不満が充満している。これが毛左派が(人民公社時代を記憶する)中高齢の低所得層から支持される理由である。しかし張氏は文革が残した社会問題を「毛沢東のユートピア」によって解決しようとすることは、実現不可能であり非科学的であり愚昧であるという。
かつて毛左派はサイト「烏有之郷網」によって、現代中国の政治、社会の暗部に敢然と挑んで腐敗を暴露し、為政者の不当不正を批判していた。ところが、張氏によると2012年の習近平登場以来、この一部も変節して権力にすり寄り、新旧左派と党=国家イデオロギーとの「三左派合流」傾向が出現しつつあるという。
さらに「新儒家」がある。この派は反西欧文化の感情が強い。現状肯定的で、反体制的な言論はまるでない。
以上、字数制限の関係で大雑把な紹介になったが、張博樹はびっくりするほど多数の思想家の主張や著作をとり上げ、生き生きとした詳細な分析と批判をおこなっている。
リベラリストの主張は、中国国内では「中国選挙与治理網」のサイトや月刊誌「炎黄春秋」などに掲載されてきたが、「中国選挙与治理網」は毛左派の「烏有の郷網」と抱き合わせで閉鎖され、「炎黄春秋」は抵抗むなしく2016年7月廃刊となった。さらに週刊紙「南方周末」も幹部の更迭、社説書換え事件が起こるなど、習近平政権による言論界への統制は厳しくなる一方だ。
本書に見る張博樹は意気軒高だが、中国で共産党がソ連共産党のように支配力を喪失するまでには時間がかかるだろう。リベラル派の受難はまだまだ続くと見なければならない。
ところで、この2,3年、訪中するたびに感じるのは、宗教統制が強まっているにもかかわらず、仏教、イスラム教さらにはキリスト教などの信仰が民衆の中に熱を帯びて浸透していることだ。宗教は政治思想とはいえないかもしれないが、しかしこの傾向はチベット・モンゴル・ウイグル・カザフなどの少数民族だけでなく、漢人民衆にもみられる。弾圧にもかかわらず、漢人の中で著しいのは地下教会によるキリスト教の拡大である。
私はここに党=国家イデオロギーでは満たされない庶民の感情が現れていると思う。こうした庶民の動向は、政治思潮研究の対象にはならないのだろうか。これはいささか難解の日本語訳を読み終えて去来した私の感傷である。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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〔opinion9009:190920〕