――八ヶ岳山麓から(365)――
はじめに
中国政府は、「NATOの東方進出がウクライナ戦争の始まりだ」と、NATO とりわけアメリカを非難してロシアの肩を持ち、他方で「国家主権と領土保全」を主張してウクライナに秋波を送り、公式にはどっちつかずの中間的立場をとっている。しかし、実際にはロシア寄りであるのは周知の事実である。
ところが3月11日、中国のネット上に突然「プーチンと手を切れ」と主張する論文が現れた。「ウクライナ戦争のこれからと中国の選択」と題する上海交通大学の特任教授胡偉氏の論文である。胡偉氏は野党的見解を持つ中国共産党から独立した研究者ではなく、中国国務院のシンクタンクのメンバーであり、いわばれっきとした体制側の人である。
胡偉氏は前書きで、「中国はいまウクライナ戦争の行方と国際関係への影響を正確に研究する必要があり、中華民族の将来の利益にかなった戦略的決断をしなければならない」「ロシアのウクライナに対する『特殊な軍事行動』は中国国内でも賛否両論が対立している。私はいずれの一方にも立たないが、一個の研究者として、戦争がもたらす結果の客観的分析とそれを基礎とした対策を提起し、中国最高指導層の研究と参考に供するものである」という。
これがネット上に登場すると、「反中国だ」と非難ごうごう、たちまち抹消されたが、日本ではすでに興梠一郎氏がyoutube上で論じたし、テレビでは羽鳥慎一モーニングショー(16日)が触れたのでご存じの方も多いと思う。
これはウクライナ戦争だけでなく、その後の中国の行き方を見るうえでも重要な見解だと思うので、原文にもとづいて以下にそのさわりを紹介したい。
〇胡偉氏のウクライナ戦争についての見方
1.プーチンの目的は、電撃戦によってウクライナを叩きのめして、指導層を取り換え、キエフに傀儡政権を樹立し、さらにロシア国内の危機をこれに転嫁しようとするものであった。だが電撃戦は失敗した。ところがロシアは長期の持久戦を戦いつづける力がない。いまプーチンの最も適切な選択は、和平交渉をやることだが、戦場で得られなかったものは交渉のテーブルでも得られまい。
2.戦争の代価が高騰しても、プーチンの性格と権力からすれば、この戦争から引くに引けない。戦争が拡大すると、戦火はウクライナの範囲を超える。欧米がこれを放置するはずはないから世界大戦、核戦争になるおそれがある。ところがロシアの軍事力はNATO には及ばない。プーチンの惨敗は目に見えている。
3.ロシアがウクライナを占領してもその負担は非常に重い。ゼレンスキーの生死にかかわらず、ウクライナは降伏せず亡命政府をつくり、ロシアと長期戦を戦う。ロシアはさらに西側の制裁とウクライナ国内の抵抗を相手にせざるを得ず、ただでさえ苦しい国内経済は維持することが困難になる。
4.ロシアには政変が起きるかもしれない。反戦と反プーチンの勢力が結集し、軍反乱の可能性もある。こうなると、もともと経済状態が悪いのだからプーチンは権力を維持できまい。わるくすればロシア連邦は瓦解して大国としての地位は終わるだろう。
〇胡偉氏のウクライナ戦争の国際関係への影響についての見方
1.アメリカは再び西側世界の指導権を握り、西側諸国はさらに団結と統一を強化するだろう。現在までのところ、アメリカの覇権は(軍事介入していないので)崩壊したようにみえる。一方フランス・ドイツがアメリカに代わって、NATOのイニシャティブを取り返そうとしていたが、ウクライナ戦争でその自主外交・自主防衛の夢は消えた。
ドイツは大幅に軍事予算を増加させ、スイス・スウェーデンなどは中立を放棄し、Nord Stream 2(ロシアからの天然ガスパイプライン)も無期限に放置され、ヨーロッパはアメリカの天然ガスへの依存を増加させるだろう。
2.西側は世界を民主国家と独裁国家に区分し、「鉄のカーテン」を再び降した。
新しい「鉄のカーテン」は冷戦ではなく、民主主義と反民主主義の生死を賭けた決戦場となる。アメリカのインド太平洋戦略は強固となり、日本も一層強くアメリカと結びつくだろう。
3.西側の力はあきらかに増加し、NATOは引き続き拡大し、アメリカは非西側世界においても影響力をさらに増加させるだろう。これに対するロシアは政治形態がどう変わっても、西側諸国に対抗する力は大々的に衰弱するだろう。
4.プーチン失脚以後、アメリカは攻略の対象を中国一国に集中し、ヨーロッパと中国を切り離しにくる。日本・韓国・台湾はアメリカの反中国包囲網に加わる。中国はアメリカとNATO、QUAD(米日印豪)、AUKUS(豪英米)などの軍事上の包囲に直面すると同時に、西側のイデオロギー攻勢と政治制度をめぐる挑戦を受けるだろう。中国は従来の国際関係を維持していてはさらに孤立する。
〇胡偉氏の主張――中国のあるべき選択
1.中国はプーチンと同盟する必要はない。むしろ早々に手を切る必要がある。ロシアが負けないならプーチンを支持してもいいが、このままプーチンが権力を失えば中国もそのあおりを受ける。国際政治の基本法則は、「永遠の友はないし永遠の敵もないが、永遠のものは利益だけ」である。
2.中立は利口な選択のように見えるが、この戦争では不適切であり、中国は漁夫の利を得ることはできない。中国は国連安保理事会と総会でのロシア非難に対して(反対票ではなく)棄権票を投じるなど、国際的立場は中間路線だった。ところが、これはロシアの要求も満足させないし、ウクライナはもちろん、その支持者も怒らせて多くの国家と対立してしまった。中立が双方から歓迎されないなら、これを放棄して世界の主流の立場(すなわち西側諸国)を選択するべきである。
3.中国は戦略的に包囲を突破しないと、西側からの孤立を免れない。中立政策を放棄することは、中国の国際的イメージを確立するうえで有効である。ウクライナ戦争はヨーロッパの政治闘争を激化させ、アメリカがヨーロッパからインド太平洋地域に戦略移転をするのを遅らせるという見方もあるが、そう楽観はできない。
またアメリカには、ヨーロッパよりも中国を重視して、中国がインド太平洋地域の主導力となるのを抑えるべきだという意見がある。ウクライナ戦争を利用して、アメリカの中国敵視の態度を改めさせ、孤立局面から脱却することは、中国の直面する最重要事である。
4.中国は世界大戦と核戦争を阻止し、世界平和のために比類のない貢献をすべきだ。その力があるのは中国だけだ。プーチンはすでに、ロシアの戦略抑止力(核戦略部隊)に特殊な戦備段階に入るよう命令した。このままでは、ウクライナ戦争はコントロール不能になる可能性がある。もしロシアが世界大戦あるいは核戦争を挑発したら天下の大惨事である。中国はプーチンと手を切らなくてはならない。
おわりに
胡偉氏は、「ウクライナ戦争の遠因は、NATOがやみくもに東方に拡大してロシアの安全を脅かしたからだ」といった中国の事実上の公式見解(日本でもないわけではないが)を意識的に無視している。
そしてウクライナ戦争を民主主義と専制主義との熱い戦いとする価値観外交的見方を否定しない。しかも胡偉氏は中国が国際的に孤立させられていると考えていて、中国が戦争の拡大を防ぎ終戦に導くことで、中国は孤立局面から脱出できるばかりか、アメリカとその他の西側諸国との関係を改善することができるという。
一見強固に見えるプーチンの政治基盤を脆弱とみて、中国がプーチンを見限ればプーチンは戦争を続けられないといい、これと早く手を切ったほうがよいという。ウクライナ戦争におけるプーチンの敗北とそれによる失脚、ロシアの衰退を確信しているのである。
このような主張は、胡偉氏が独自にロシア政局を分析した結果か、それとも中共中央の一角を占めるメンバーに共有されている見解なのか、それはわからない。またアメリカ敵視・ロシア寄りの政策からの転換をもとめる提案が、中国最高指導部の一致した同意を得られるとも思えない。
だが、冒頭紹介したように、胡偉氏はウクライナ戦争をめぐって最高指導部内でも意見が割れていることを明言している。氏の冒険的な論文がネット上に登場したのは、氏の背後に有力者がいたことを、それがたちまち抹消されたのはそこに激しい論争のあることを物語る。
胡偉氏が今後も現在の地位を保てるか、どのような待遇を受けるかは、中国外交のその後を見極めるうえでも重要である。(2022・03・16)
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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