中国は日本人人質虐殺事件をどう見るか

――八ヶ岳山麓から(135)――

中国のメディアは、日本人人質虐殺事件に強い関心を持って連日報道した。
2月1日、後藤健二氏のネット上の映像が「イスラム国」のAl Furqanによるものであること、「ジハード・ジョン(聖戦戦士・約翰)」が声明のなかで「日本の悪夢はここに始まる」としたことや、後藤の死は日本政府が責任を負うべきものとしたこと、「『イスラム国』による日本人に対する大虐殺はどこでも起りうる、その原因は、日本首相安倍晋三が愚かにも勝ち目のない戦に参加したことにある」と脅していると伝えた。
また、いつになく好意的に後藤健二はフリージャーナリストであり、戦争の中の無辜の子供について報道し続けてきたこと、日本のテレビは特別番組を放送し、新聞は号外を発行して後藤の死に哀悼の意を表したことも伝えた。安倍首相の「人道支援を拡大する」と宣言したことも伝えた(環球時報ネット2015・1・2)。

実はこれまで、中国が「イスラム国」に対しては強硬な態度で臨むことはなかったし、これに対する国際協力も口頭にとどまっていた。イラクでの石油利権を確保するためには、戦局を拡大する「ムスリム国」との決定的対立は避けたいからだ。中国共産党中央がテロ分子と徹底的に戦うと発言するときは、チベット人や新疆のムスリムに対するものである。
今回の日本人人質殺害事件にたいしても、事件発生当時中国外交部報道官は「人質が安全に釈放されることを望む」といいつつも、メディアは「実際の状況から見て、日本政府が残り少ない時間で取り得る救出手段は非常に限られている」という見方であった。
だが、中国公安・情報当局は、この事件に無関心ではいられなかった。ひとつには「イスラム国」と新疆ウイグル自治区のムスリム急進派が連携するのを警戒しているからである。かつては新疆のテロリストの中には国境を越えてアフガニスタンのタリバンなどの影響を受けたものもある。昨年5月から今年1月中旬まで、雲南省・広西チワン族自治区などの国境地域で、密出国を謀った800人余りを拘束したが、このほとんどが新疆のムスリムだった。なかには「イスラム国」に参加するとしたものもいた。
ただ、産経新聞矢板記者によれば、中国の国際関係学者の間には、「イスラム国は米国の高圧的な中東政策に抵抗する弱者たちの連合だ」と主張する人もいるというし、反米思想は依然として大きな影響力があり、インターネットにも「イスラム国」を支持する書き込みが多いとのことである。

もちろん中国当局は日本の情報収集能力や危機処理の方法、交渉能力について深い関心を持っている。日本政府は事件経過と交渉の詳細を明らかにしないし、後藤さんらが無残にも殺害された結果だけから判断すれば、いまのところ中国当局の得たものは僅少であろう。
新華社をはじめとする中国メディアの見方、すなわち中共中央の認識は、安倍晋三首相が1月17日にエジプトのカイロで、中東地域のインフラ整備のために25億ドルの新たな支援を約束し、うち2億ドルを「イスラム国」など過激派組織の脅威への対応に充てるとしたこと、これが今回の事件の導火線となったというものである。
日本のメディアに現れた専門家の一部にも、イスラエルのダビデの星旗の前で、「イスラム国」と戦うと発言したことはまずかったという人がいた。いうまでもなくイスラエルはアラブ・イラン共通の敵である。この映像をみたとき私ですら驚いたのだから、ムスリム民衆がこれを見たなら穏健な人々も大いに反感を持ったことだろう。

中国の国際問題研究者には事件の見方に若干の違いがある。
2月2日、中国社会科学院日本研究所厖中鵬は、事件がもたらすものは、第1に、集団的自衛権の行使容認の問題だ。事件は安倍首相のいわゆる集団的自衛権行使容認の本質が、日本の軍拡と戦争への備え、国際社会における軍事的影響力の強化に向けた戦略的地ならしであることを十分に暴露したという。また第2に、これは平和憲法改正の問題だとし、世界の多くは安倍首相が「人質危機」を利用して憲法改正の「十分な理由」とすると予測している。実際には、在外日本人の安全保護と平和憲法改正とは必然的なつながりはないのだから、在外日本人の安全を守るのに最も重要なのは日本の外交政策の修正であるはずだ、という(人民ネット日本語版2015・2・3)。

厖中鵬は中共中央のドグマを繰返したに過ぎないが、これとは対照的に、すでに1月25日上海国際問題研究院アジア太平洋研究センター副主任の廉徳瑰は、環球時報の記者に対してこう語っている。
「安倍政権は集団的自衛権の行使を容認し、海外派兵しようとしている。この目標を実現するため、人質事件を利用できる。しかし現状を見る限り、朝鮮の拉致事件、東中国海などの情勢は、すでに安倍政権の十分な口実になっている。人質事件がなくても、安倍政権はその政策を推進できる。
今回の人質事件は、日本の情報面の改善を促す可能性が最も高い。これまでも日本人が海外で拉致されることがあったが、情報収集部門が力を持たず、仲介者を見つけられず、米国に支援を求めるしかなかった。しかし米国も手を貸すことはできなかった。ゆえに今回の人質事件は、日本の情報収集部門の改善の維持と、情報収集能力の強化を促す可能性がある」(チャイナネット 2015・1・28)。

廉徳瑰のいうとおり、人質殺害事件は直接に集団的自衛権に結びつくとか、安倍内閣のために憲法改悪への道を開いたというわけではない。安倍内閣が自衛隊の海外派遣や憲法改悪に進むのは既定のコースであって、人質殺害事件を奇貨としなくても十分やれる性格のものである。
むしろこのたびの事件によって露呈したのは、まさに対米従属下の日本の情報収集や危機処理、交渉といった方面の能力の低さである。安倍内閣は1月20日に「イスラム国」側が「人質事件」を明らかにする前から、後藤さんら2人が「イスラム国」に拘束されていることを知っていた。このため日本政府と首相官邸と外務省がそれぞれ昨年8月と11月に情報連絡室と対策室を設置した。だが部屋はあっても、事件は最も悲惨な形で結末を迎えた。
その後の国会でのやりとりからすると、政府は「イスラム国」側との直接交渉はまったくなかったといっている。交渉の詳細の情報や経過がわからないから、断定はしないがしろうとには安倍内閣の無能としか映らない。

ここで注目すべきは、とっぴなようだが2014年5月の日本・イスラエル共同声明である。拙稿「八ヶ岳山麓から(133)」でも少しふれたが、この共同声明によって、日本はイスラエルの同盟国、すなわちアラブ・イラン人民の敵という立場を明らかにした。共同声明には、首脳・閣僚 級及び 高級事務レベルの交流 活性化を確認したこと、安全保障に関する初の首脳級対話を実施することが強調されている。
ここにはサイバー・セキュリティに関する対話、安全保障当局間の交流拡大、さらには投資協定の交渉開始、産業・文化分野の共同研究開発の交流促進努力などがある。対話だの共同研究だの交流だのというのは双方の得意とする分野の(とりわけ軍事・IT関連の)技術や情報のやり取りを意味する。
日本政府は、事件以前から情報収集能力・軍事技術の不足を感じていた。イスラエルの諜報機関モサドなどの持つノウハウや、パレスチナ民族運動指導者を個別に殺害する高度の技術などはもちろんほしい。それへの期待はこのたびの人質殺害事件によって格段に高まったであろう。

さらに日・イ共同声明が「二国家間解決」を通じた中東和平の実現とか、イランの核問題の真の解決の必要性についても一致したことは、アラブやイランの利益を無視し、イスラエルの政策に沿うことを表明したものである。日本・イスラエル関係は軍事同盟へあと一歩である。
中国の国際問題研究者がこの声明の持つ好戦性・危険性について発言しないのは故意か、そうでなければ勉強不足だ。いや中国だけではない。日本のテレビでもこれに関する発言をした専門家はいなかった。例外はある。『新・戦争論』(文春新書)の佐藤優氏の発言である。

「人道支援」なるものを継続強化するというのは安倍首相の発言だが、研究者の中にもこれを支持するものがいる。ところが「人道支援」はいつでも軍事支援に姿を変えるのはアラブもイランも知っている。自己の論理しか認めない「ムスリム国」ならずとも、日本はイスラエル・アラブ戦争の脇役から主役になったと判断するものが、西アジアや北アフリカに生まれるのは自然である。かくして日本を敵対視するムスリム民族主義者が生まれる。その分だけ我々は危険地帯に接近したのである。(2105・2・5記)

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