―27年党大会以降の布陣が争点か (下)
前回の続きとして、習近平政権内部で抗争があるとすればその中心は誰と誰との争いか。目に見える証拠はなくとも該当範囲内の人間関係から、抗争のありそうなところの見当をつけてみたい。
まずは現在の中国共産党中央政治局常務委員会を構成する7人がその範囲と考えられる。その外側に常務委員でない中央政治局委員が17人いるが、その人達は一応、権力争い参入候補からは除外して考える。
その7人は
トップ 習近平(総書記・国家主席・71歳)
序列2位 李強(首相・65歳)
3位 張楽際(全人大委員長・67歳)
4位 王滬(コ)寧(政治協商会議主席・69歳)
5位 蔡奇(党中央書記処常務書記・中央弁公庁主任・69歳)
6位 丁薛祥(筆頭副首相・62歳)
7位 李希(紀律検査委書記・68歳) である。
この内、張楽際が抜きん出るのに待ったをかけそうな人間は誰かと見渡せば、5位の蔡奇がまず筆頭に挙げられる。ほかの人間たちはと言えば、李強はすでに首相の要職にあるし、その人柄も遠目で見るかぎり、野心家であるようには見えない。4位の王滬(コ)寧はもともと上海の復旦大学の政治学教授から前世紀末に江沢民に引き抜かれて現実政治の世界に入った人物で、やはりこの先に大きな野心があるようには見えない。6位の丁薛祥、7位の李希にもこれまでのところ野心の持ち主といった話は聞こえて来ない。
それでは逆になぜ蔡奇か、となると、この人は結構、材料に事欠かない。浙江省時代の習近平に仕えて、気に入られ、2014年に北京に呼ばれて、17年5月には北京市のトップの座についた。そして22年秋以降の習一強体制のもとでは、共産党の中央書記処書記、政府の中央弁公庁主任という、日本で言えば自民党の幹事長と政府の官房長官を兼務しているような立場に上った政権の大幹部である。
地方幹部から中央の大幹部へと急速に上り詰めたのにははっきりした理由がある。とにかくあちこち先回りして習近平を喜ばせるべく、動き回るのである。北京トップへの着任間もない2017年の秋、北京でAPECの国際会議が開催された。その際、晴れ渡った「北京秋天」を「国際友人」に見せるべく、学校(だけではないが)の石炭暖房を止めさせ、青空を実現して見せた。習近平は「APECBLUE」と名付けて喜んだそうである。しかし、この時、暖房が切れた学校では、子供たちが寒さをしのぐために、校庭を走り回っていたという話が残っている。
しかし、蔡奇という人物には、もっと大きな問題行動があった。話は同じく2017年の年末のことである。11月18日の夜、北京の中心部から南へ20キロほどの北京市大興区新建村というところで火事がおきた。そのあたりは村といっても農地はほとんどなく、周辺の農村から出稼ぎにきた人々が多く住み着いた一帯であった。
その一角の地上2階・地下1階の雑居ビルから火が出て、地下の違法住宅に住む19人(うち子供が8人)が焼死した。出入口が一か所しかなかったために犠牲者が増えた。
翌日、蔡奇は「大調査、大整頓、大整理」と号令を発し、「区画丸ごと取り壊し・住民強制立ち退き」が数日後に北京市当局によって強制執行された。しかし、当局は取り壊しの事実そのものさえ公式には発表しなかったから、どのくらいの面積だったかは報道でも「数百メートル四方」とか「1キロ四方」とか、記者の目分量によるあやふやな数字しかない。
じつは私はその直後にたまたま北京に行ったので、現場を見ることが出来た。一望千里とまでは言わずとも市街地にとてつもなく広い廃墟が現出したことに驚いたものであった。(その後、この広大な廃墟はどうなったか、私が2年ほど後に現場を再訪した時には、まだ手付かずで、周囲に高さ2メートルを超えるコンクリート製の塀が張り巡らされ、内部が簡単には覗けないようになっていた。隙間から見た限りでは、地面には水色のビニールの網が布かれて、廃墟を隠そうとしているさまが見て取れた。)
最近の蔡奇については付け加えておかなければならないことがある。幹事長と官房長官を兼ねたような立場にいると書いたが、それでいて習近平が外遊する時には判で押したように蔡奇が随行するのが最近の通例となっている。立場上、この2人がそろって国を留守にするのはわれわれから見ると異常だが、蔡奇が習近平に次ぐ指導者は自分であると今から外国に売り込んでおくため、それをまた習近平が許していると考えれば、そう不思議でもない。
蔡奇というのはそういう人物である。そしておそらく習近平によほど気に入られたのであろう、1922年の党大会でめでたく序列5位にまで躍進したわけである。
とすれば、もし前回、書いたように2021年11月18日の『人民日報』に載った趙楽際の大論文とそっくりなタイトルの文章が2月10日の同紙に連載①として掲載されているのを発見して、すぐさまそこに何らかの政治的目的を感じ取って、関係方面に圧力をかけて、連載を中止させるなどという芸当をやってのけられる人間は蔡奇以外にはいないのではないか、というのが私の見方である。
しかし、そんな想像だけではいかにも論拠薄弱である。まあ、もうすこし様子を見ようと思っていたところ、待つほどもなく、当の『人民日報』の今年2月21日付の第一面に「全国社会工作部長会議北京で開会蔡奇が出席して演説」という記事が現れた。
発端の『人民日報』の①の11日後である。内容は見出しに言う如く、全国社会工作部長会議なる会議が前日の1月20日に北京で開かれて、蔡奇が演説した、というものである。しかし、蔡奇は肩書でも分かる通り、党・政府双方にわたって政権全体の調整役というか、お目付け役というか、そういう立場であって、特定の分野の政策を担当しているわけではない。
その蔡奇が出席して演説したとは珍しいなと思うと同時に、それにしても社会工作部とは何だ?という疑問が湧く。調べてみると、中央社会工作部というのは一昨2023年春の共産党中央委員会で設置が決まった新しい「部」(日本の「○○省」)で、今回の「全国社会工作部長会議」は成立後初の全国会議であったそうである。
そして「社会工作」とはいったい何を意味するかというと、これまでの職業の範疇に入らない、新しい形の、例えばネット通販などに従事する労働者を対象にする役所だそうである。詳しいことは分からないが、まあ蔡奇が出て演説してはおかしいというわけでもない会議である。
したがって、『人民日報』の①の11日後に出たからといって、それへの対抗を意識したとも言い切れないが、忙しい蔡奇が出るまでもない会議に出て、演説を掲載させたと言えばそうも言える微妙なところである。となると、とりあえずは事の推移を黙って待つことにするしかない。
間もなく3月、北京では政治協商会議、全国人民代表大会と大規模な大会が開かれる政治の季節である。中國では不動産不況からの脱却の道がまだ見えず、ウクライナ戦争を巡っては、これまでことあるごとにプーチンの肩を持ってきた習近平を置き去りにして、プーチンはどうやら米のトランプとなにやら密約のごときものを結んだらしい。おかげで中國は外交でも目的地を見失ったかのごとき状態にある。習近平にとってはこの春の黄沙は例年にも増して先の見通しを悪くするかもしれない。
春の政治の季節が終われば、次の中国共産党大会までは2年半、現体制も半分が経過して、後半戦に入る。その後を見据えた動きも活発になるはずで、2月の『人民日報』連載中止事件の真相もこぼれ出て来るかもしれない。それまで『人民日報』ではないが、この話も続編休止としたい。(250228)
初出:「リベラル21」2025.03.05より許可を得て転載
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-6698.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14128:250305〕