中国非難の衆議院決議を考える

――八ヶ岳山麓から(359)――

 衆議院は2月1日の本会議で、「新疆ウイグル等における深刻な人権状況に対する決議」を与野党の賛成多数で採択した。概略は以下の通り。
 「新疆ウイグル、チベット、南(内)モンゴル、香港等における、信教の自由への侵害や、強制収監をはじめとする深刻な人権状況への懸念」を示し、「人権問題は、人権が普遍的価値を有し、国際社会の正当な関心事項であることから、一国の内政問題にとどまるものではない」
 「人権の尊重を掲げる我国も、日本の人権外交を導く実質的かつ強固な政治レベルの文書を採択し、確固たる立場からの建設的なコミットメントが求められている」
 「本院は、深刻な人権状況に象徴される力による現状の変更を国際社会に対する脅威と認識するとともに、深刻な人権状況について、国際社会が納得するような形で説明責任を果たすよう、強く求める」
 そこで日本政府が事実関係に関する情報収集を行い、「国際社会と連携して深刻な人権状況を監視し、救済するための包括的な施策を実施すべきである」
 
 決議文は、各政党の意見に妥協したからこうなったといえばそれまでだが、悪文である。批判対象は「中国」なのに、「中国」という国名がない。「国際社会が納得するような形で説明責任を果たすよう、強く求める」といっても、だれに求めているのかあいまいである。れいわ新選組は中国批判が不十分として反対したが、ほかの野党は異論がありながら賛成したという。
 人権問題が内政にとどまらず国際問題だと主張するときは、せめて国連憲章前文や世界人権宣言を引くなどして、もう少し格調の高いものにならなかったのか。中国も中華民国の承継国として国連入りしたからには、「人権及び基本的自由の普遍性」について承認したはずだ。
 フランス国会も同じような決議をやったが、中国はほとんど相手にしなかった。今回の衆議院決議も同様で、中国外交部がお義理のような抗議をしただけで、実際にはハナもひっかけなかった。

 国会が本気で人権問題解決を考えているならば、中国向けか否かあいまいな決議をするよりも、むしろ国連人権理事会への要請の方がよかったと思う。いま同理事会も調査要員を中国へ送る交渉をしているのだから。
 「かもがわ出版」編集主幹の松竹伸幸氏は、中国人権問題についていま取るべき方策は国連人権理事会の場において、中国を「特別手続」の対象国にすることだという。氏によれば、アメリカはかつて国連人権理事会の場で、キューバに特別手続を適用するための決議案を提出したことがある。これに対して、キューバはメンツを失わない形で、調査団を受け入れることをみずから表明し、これがキューバの人権問題をある程度進展させたという(くわしくは「軽薄な『外交ボイコット』論を憂える」、松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba (ameblo.jp)を参照してください)。

 ひとくちでいって、中国の人権問題の解決は困難である。その最大の要因は、中国人口の90%強をしめる漢民族が少数民族を支持しないからである。漢民族の多くは、魏晋南北朝などの分裂状態よりは秦漢・唐宋・明清など統一王朝を好ましいと感じる。だから少数民族の漢化は統一を進めるから進歩であり、少数民族の独立だの高度自治だのは時代錯誤だということになる。
 私は中国で少数民族地域での言語政策や2008年のラサ事件などによる社会の動揺を見てきたが、チベット人やウイグル人、モンゴル人の命がけの抵抗に対しては、ごくごく少数の漢人インテリが共感するだけだった。ふつうの漢人は無関心か嫌悪感を持つのが一般的で、同情は爪の垢ほどもなかった。
 この感情は、さまざまな民族自決論よりも強力である。しかもそれは「中華民族の夢」をとなえ、民族運動を「国家分裂罪」とする中共中央の政策と一致するものである。

 いうまでもなく、新疆やチベット、内モンゴルの人権問題は、民族問題から派生している。在外ウイグル人組織などは、ウイグルの100万人が強制収容所に収容され、強制労働をさせられているという。2010年現在、ウイグル人とカザフ人、それに回族以外のムスリム民族を合わせても1000万人にしかならない。
 これだと老人から子供まで合わせて10人に1人が囚人になる勘定だが、収容されたものは成人であろうから、これが10年20年続くとすれば、その他の少数民族政策と重なって新疆の回族以外のムスリム民族は、3,4世代のちにはその痕跡しか残らないことになる。
 この事実を中国の人権問題を非難する側は、写真や亡命者の証言で証明しようとしているが、具体的で確固たる事実の裏づけが今一つ足りないことが問題の複雑さを示している。国連人権理事会もこの点をよく知っているから、中国に調査要員を派遣しようと交渉しているのである。
 しかし、だれの目にも確かな事実は、学校における民族語教育の大幅削減あるいは禁止、宗教の「中国化」政策によるイスラム教・チベット仏教に対する厳格な管理、漢民族との通婚奨励政策である。そのどれをとっても、「中華民族の偉大な復興」というスローガンのもとで少数民族の民族性を削ぎ落そうとするものである。
 2008年のラサ事件をはじめとして2010年代の前半までは、デモであれテロであれ焼身自殺であれ、少数民族の抵抗はほとんど毎週発生していたが、当局は事件のたびに、国内外のテロ組織が結託した、組織的で緻密に計画されたものだと非難した。そして逮捕・拷問・射殺・長期の投獄・死刑でこれに報いた。こうした激しい弾圧のために、昨年の内モンゴル・シリンホトでの教育言語政策に抵抗するデモを最後に、表立った抵抗運動は終わった。

 ところで、万が一でも中国の民族政策が変る可能性があるだろうか。
 まず考えられるのは、中国共産党指導者間の矛盾が先鋭化して政権が交代したときである。秋の中共党大会を見なければ確実なことはいえないが、いまのところ習近平氏の権力が揺らぐ兆候はない。これだと少数民族政策は強化されこそすれ、緩和することはない。
 また、国際的な圧力によって政策が揺らぐ場合も考えられないことはないが、これも可能性が小さい。西側の民主主義・基本的人権を建前とする論理は、限られた国家・地域でしか通用しないからである。
 たとえば、2021年6月、国連人権理事会において、新疆、香港、チベットにおける人権状況を懸念する欧米日そのほか44カ国が署名した共同声明が発表された。これに対してベラルーシ代表が中国擁護の声明を発表し、署名する国はアフリカ、中東などを中心に69ヶ国にのぼった。中国外交部は、正式署名国以外にも合計90カ国以上が中国を支持していると勝利を宣言している。

 「新疆ウイグル、チベット、南(内)モンゴル、香港等における、信教の自由への侵害や、強制収監をはじめとする深刻な人権状況への懸念」の解決は、10年20年の時間がかかることを覚悟してかからねばならない。だから国会決議は、いまのところは国会議員の反中国感情を満足させるだけの効果しかない。(2022・02・09)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

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