中國・李克強前首相の死を惜しむ ―誰かさんに教えたい論理的思考法

 中国の李克強前首相が10月27日に亡くなった。68歳であった。惜しい、と思う。と言っても、もとよりその人となりに直接触れたことがあるわけではない。伝えられるニュースを見聞して、もっと活躍してほしいと思っていたからである。
 3年前の20年5月、全国人民代表大会終了後の恒例の首相記者会見で、時の李克強首相は質問に答えて、中国人一般の生活レベルに触れ、「人口の半分、6億人がまだ月1000元(当時のレートで1万5~6、000円)以下で暮らしている。これでは中位の都市で部屋を借りるのさえ難しい」と語った。
 万事順調、習主席万歳!、で大会を締めくくって欲しかった習近平総書記にとってはさぞ不快な発言であったろう。この後、ひとしきりこの李克強発言は事実か否かが話題になった。たしか「間違いだ」ということにはならなかったはずだ。
 死去の報道で「リコノミクス」という言葉がよく使われた。「李克強経済学」という意味だが、この言葉は本来、首相としての氏の経済政策を意味するものではなく、発端は氏が遼寧省の書記(トップ)当時、米誌のインタビューに答えて、「私は発表される経済についての統計数字はあまり見ない。それより貨物輸送量、電力消費量、銀行融資残高を見れば、経済の状況は分かる」といったことがその語源である。
 当時も思い切った発言として注目されたが、経済の動きを構造的にとらえ、その自律的動きを理解しているからこそ、言える言葉である。それが新鮮でリコノミクスという言葉が生まれたと理解している。
 と言っても、中国の指導者たち誰も経済を構造的に捉えないという意味ではない。革命以来の指導者、毛沢東も鄧小平もそれぞれ自らの論理の中で構造的に経済をとらえてはいたと思う。
 例えば毛沢東の有名な言葉に「階級闘争が要(カナメ)である」というのがある。これは階級闘争さえやっていればよい、という意味ではない。階級社会では階級闘争を通じて搾取、被搾取の構造を理解、納得してこそ労働者階級は革命に立ち上がる。社会主義社会でも搾取階級の残りかすを暴き、なくしてこそ、民衆の労働意欲は高まると毛沢東は考えたのである。
 1950年代、東欧で続発する反スターリン暴動を見て、毛沢東が国内で反右派闘争や大躍進という政治運動を繰り広げたのは、別に闘争のための闘争ではなく、それをしなければ労働者や農民の生産意欲をかきたてられないと考えたからだと私は理解している。
 50年代の反右派闘争、大躍進運動などが失敗に終わっても、毛沢東は60年代に再び文化大革命を発動し、「資本主義の道を歩む実権派」の打倒を呼びかけた。66年8月の中国共産党8期11中全会という会議が採択した「プロレタリア文化大革命に関する決議」(いわゆる「16条決議」)が文革開始ののろしとされているが、その第14条にはこうある。
 「革命に力を入れ、生産を促すこと。文革はわが国の社会的生産力を発展させる強大な推進力である。文革を生産の発展と対立させるような考え方は正しくない」
 毛沢東はまた、文革が成功したか否かを決めるのは「生産が上がったか否かである」とも言っている。毛の闘争はたんに闘争のための闘争ではなかった。それが結果として失敗に終わり、大きな悲劇を生んだことは毛沢東の責任であるが、彼とてやみくもに社会を混乱させたわけではなく、国民の生産へのエネルギーを引き出すための革命であったのである。
 1970年代末、毛沢東の次にリーダーの旗を握ったのは鄧小平である。鄧は毛の「階級闘争が要である」に代えて、「発展こそ道理の中の道理である」(原文は「発展こそ硬い道理」)いう一句を掲げた。「世の中に道理はさまざまあろうが、経済を発展させなければ何事も始まらない」という意味である。そこから「白い猫でも黒い猫でも、ネズミをとるのがよい猫だ」という有名なスローガンが出てくる。そして中国は改革・開放路線へ進み、今日に至っている。
 毛沢東と違って鄧小平は、人間はだれしも「豊かになりたい」という欲を持っており、国民の手足を縛ってちいさな金儲けまで禁ずるのは間違いである、それは理屈にあわないと割り切る。その結果、小さな商売が生まれ、社会には「万元戸」(この言葉、ご記憶だろうか。1万元貯めた家という意味)が群生した。
 一方、「革命で尻尾を巻いて出て行った外国帝国主義が、今度は札で膨らんだ鞄を抱えて戻ってきた」という庶民の皮肉をよそに、鄧小平は外国資本に割安の土地と労働力を提供して、国土に大々的に生産活動を移植した。この積極的な外資導入策の効果は覿面(てきめん)で、2010年にはGDP総額で日本を抜いて、中國は世界第2の経済大国にまで登り詰めた。
 さて、そこで現在である。明らかに「割安の土地と労働力」がものを言った時代は過ぎた。2010年代半ばごろには、なにもしなくてもある程度の経済成長は続くという時代は終わった。ここからは問題の所在を突き止め、惰性に流されるのでなく、時宜に即した経済運営を適宜適切に進めなければならなくなったのだが、その先頭にたつ習近平にはまったくその能力がない。
 見るところ習近平には物事を構造的にとらえる能力が欠如している。したがって、彼の発する指示は自分の望むところを羅列するだけで、それをいかに実現するかには彼の頭脳はまったく働かない。それが分かるのは、望む結果をいくつも並列するだけの指示がすこぶる多いからである。2つのナントカから始まって、3つの、4つの、5つの、6つのくらいまでの多数の指示は、ああせよ、こうせよと望む結果を並べるだけである。
 「2つから」例を挙げると、まずもっとも頻出する標語に「両個確立」、「両個維護」というのがある。「2つの確立」は「習近平同志の党中央の核心、全党の核心の地位を確立し、習近平新時代の中国の特色のある社会主義思想を確立する」であり、次の「2つの擁護」は「断固として習近平総書記が党中央の核心、全党の核心であることを擁護し、断固として党中央の権威とその集中的、統一的指導を擁護する」である。要するに習近平を指導者として盛り立てようというだけのことをこれだけくどい言葉遣いで強要しているスローガンである。
 次に国民に向かって「持て」と呼びかける「4つの意識」と「4つの自信」を見よう。まず持つべき「4つの意識」とは「政治意識、大局意識、核心意識、看斎意識」である。常に政治や大局を意識せよというのだが、最後の「看斎意識」とは「多数に協調せよ」という意味で、直訳すると「右へ倣(なら)え意識」である。「オレはみんなと違う」というのは許されないのである。
 国民が持つべき「4つの自信」は「道路自信」、「理論自信」、「制度自信」、「文化自信」である。要するに国のやっていることには間違いはないのだから自信を持て。路線や制度に疑問を持つなということである。
 それでは肝心の経済について習近平は国民にどんな指示を出しているか。これは6つづつ2つの範疇に分かれている「6穏」と「6保」と呼ばれている。
 まず「6穏」。「つぎの6項目を安定させよ」という。「就業・金融・外資・外貿・投資・予期」の6項目である。これらが安定することは結構であろう。しかし、これを国民に向かって呼びかけてどうなるというのだろう。それぞれをいかに安定させるかはそれこそ習近平ら当局者が頭を絞って考えることで、国民にどうしろというのか。金融や投資が不安定になったからといって、国民にどうしろと言うのであろう。中でも不可思議なのは最後の「予期」である。ここではおそらく「予測」の意味であろうが、予測は過去の実績の上に冷静、客観的に立てなければならないもののはずだ。それを「安定させよ」とはどういうことであろう。まるで意味不明である。
 もう1つ「6保」。これは以下の「6項目を確保せよ」ということである。「居民就業・基本民生、市場主体、糧食・エネルギーの安全、生産チェーン、サプライチェーン、基本的流通」である。
 いずれも国民経済の基本であるから、これらを「保」、確保・安定させることは大事であるが、それを指導者が包括的に指示することになんの意味があるのだろう。
 何処をどう動かせばどうなる、という構造を把握して、全体として齟齬をきたさないように運営するのが為政者の責任である。それを大声で国民に刷り込んでみてもどうなるものでもない。
 とにかく習近平の政治は自分がこうあって欲しいということをスローガンにして叫ぶだけである。号令をかければ、国民はそれを実行し、実現するべきで、できなければ、できないほうが悪い。正しい指示を出しているのだから、という頭の持ち主なのであろう。
 今、中國経済は様々な難問に直面している。中でも世界が注目するのは、とてつもない規模の不動産業の大不況である。
 ひと頃は我が世の春を謳った、かつての業界トップの「恒大産業」に続いて、第二位の「碧桂園」もデフォルトに陥った。今、中国の地には建設途中でストップしたマンションが林立し、購入したのに建設が中断して、入居の目途が絶たない人たち、不動産会社の債券が紙くずになろうとしている人たち、工事代金を払ってもらえない建設業者たちが、不安の中に日を送っている。
 これに対して習近平自身はもとより政策担当者からも事態収拾に懸命の努力をしているような気配は感じられない。やたらに指示を発するのが好みの習近平もこと不動産に関しては、数年前、今とは逆に買い手が多く、ブームに湧いていた頃、「住居は住むためのもので、転がして金儲けをするためのものではない」と加熱を抑える指示を出したことがあったが、深刻な不況に見舞われている今はだんまりを決め込んでいる。手の打ちようがないのであろう。
 もしまだ李克強が存命で執行部にいたとしても、事ここに至っては、彼にも妙手があるとは思えないが、習近平の顔色を見るしか能のない側近集団だけでは、不動産業界は落ちるところまで落ちるかもしれない。反右派闘争、大躍進、文革、89年の天安門事件・・、中國では政治が大きな社会的不幸を生んできたが、その歴史にまた新しい頁が加わるかもしれない。(231028)

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