アメリカでは銃の発砲事件による悲劇が後を絶たないが、25日の中国の国際問題紙『環球時報』は次のような“安全注意”記事を掲げた。
「このところ米国の各地で銃の発砲事件が多発し、在米中国人を含めて被害者が相次いでいることから、外交部および在米公館は領事保護応急メカニズムを発動するとともに、在米の中国公民に居住地の安全情勢に細かく気を配り、自身の安全・防犯につとめ、人の集まる場所に出かけることを控えるよう呼びかける。安全が脅かされた場合には、直ちに米国の救急電話、911(中国語サービスの要求可)に連絡するとともに、在米の中国大使館、領事館、あるいは北京の中国外交部の全世界対応領事保護および緊急ホットラインに救助を求めるように」。
そして北京の外交部の24j時間対応のホットラインの電話番号と在米中国大使館およびニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス、シカゴの総領事館の電話番号を列記している。
また、同紙は別の記事で、この2日前の23日午後、カリフォルニア州ハーフ・ムーン・ベイ市で銃の乱射事件があり、7人が死亡、1人が負傷(被害者に中國人も)した事件についての、サンフランシスコ総領事館の同様の電話番号の案内を掲載している。
さて、この記事をどう読むか、というと、いささか大げさだが、ちょっと違和感を覚えないだろうか。勿論、頻発する米の銃発砲事件には胸が痛むし、同時に、昔の開拓時代ならともかく、今になってもまだきちんと銃規制が出来ないという米社会の奇妙な伝統には驚くしかないのだが、だからと言って、巻き込まれた場合の緊急電話番号を、太平洋を隔てた本国の国民にまで細かく知らせるのは、果たして親切心だけからと言えるのだろうか、とつい考えてしまうのである。
早い話、米国内の銃にまつわる事件は日本国内でも大きく報じられるが、そのニュース番組や記事の最後に緊急電話番号などは伝えない。それは現地の日本人社会が必要に応じて対応すればいいことだからである。
つまり、引用した中国の記事の最後の電話番号案内は「必要だから」というより、米社会の「怖さ」を同胞に強調したい気持ちの表れではないかというのが私の受ける印象なのである。間違っているだろうか。
老人の昔話で恐縮だが、私は1935年生まれだから、6歳くらいの時に大東亜戦争がはじまり、「鬼畜米英」という言葉を知った。そして10歳で敗戦、神奈川県の厚木飛行場の比較的近くに疎開していたから、間もなくその「鬼畜」を近くで見た。その時の気持ちは「なんで普通の人間なのに『鬼畜』なんて言ったんだろう」とそこに込められた悪意に子供心に恥ずかしさを感じたことを覚えている。
この比較は的外れと言われるなら、それに異は唱えないが、米の銃発砲事件を緊急電話番号とともに報じるのは、2年前、トランプ支持の群衆が議会の建物に乱入した時の中国の報道ぶりを思い出させる。あの時は、「米の自慢=議会制民主主義=乱暴狼藉・混乱」の公式で報道が行われた。今回は「米の自慢=(銃を持つ)自由=恐怖の社会」の公式のようである。この発想がどこまで続くのか、まだ終わりは見透せない。
米のブリンケン国務長官は来月(以前の原稿で「1月」と書いたのは早とちりでした)、中國を訪れて、王毅(党の外交責任者)・秦剛(外相)の外交新ペアと対峙する。2年前、アンカレッジで行われた楊潔篪・王毅組との会談は記者団の前で怒鳴り合いを演ずる修羅場となったが、今回は前回、中國側の主役を務めた楊潔篪が引退し、王毅が主役に昇格、前駐米大使の秦剛が外相として登場する。
本欄で紹介したように、先日、スイスで行われた劉鶴・イエレンの経済閣僚会談の雰囲気はよかったようだが、はたしてそれが外交分野にまで広がるか、それとも公式健在で終わるのか。(230125)
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