中曽根康弘は没して、新自由主義日本を残した!

2019.12.1 かと元首相・中曽根康弘が亡くなりました。享年101歳、大往生でした。<功成り名遂げた>政治家の死に、マスコミは「強力なリーダーシップ」「世界の指導者と渡り合った」「ロン・ヤス関係で強固な日米同盟」「風見鶏は現実主義者の愛称」、果ては「彼こそ平和主義者だった」と惜別の辞。20世紀の政治経済を長く見てきたものとしては、大いなる違和感です。中曽根康弘は、1980年代に、日本の政治経済の基本構造を大きく変えました。一言で言えば、日本における新自由主義政策の導入であり、一時はバブル経済で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと浮かれましたが、90年代以降の「失われた30年」、今日の悲惨な日本衰退・頽廃への舵取り役となりました。もともとイギリスのサッチャー首相が始めた新自由主義を、アメリカのレーガン大統領、西ドイツのコール首相とともに、世界的な新自由主義グローバライゼーションへと牽引しました。「小さな政府」を掲げた臨調行革、国鉄・電電民営化は、その重要な一環でした。世界的に見れば、第二次世界大戦後のケインズ主義的福祉国家から、今日の市場礼賛・拝跪の新自由主義国家への、転換点に位置する政治家でした。

かと 中曽根康弘は、もともと戦時の内務省官僚でした。戦後は「青年将校」として保守政党を渡り歩き、日本国憲法改正・自主憲法制定の志向(憲法改正の歌!)を、米国の政治家たちにも隠さず、それを「戦後政治の総決算」と称しました。それは、一方で日本の国力の再建をめざし、天皇制に執着して靖国神社に公式参拝したり、防衛費の対GNP1%枠突破など、自衛隊の増強と国家主義教育を推進しました。他方で日本を「不沈空母」にすると公言したのは、西側同盟の一翼として米軍と「核の傘」に従い、経済政策も米国との調整で「一等国」になりあがろうとする、対米追随ナショナリズムでした。強烈な反共意識を持ち、国鉄民営化で総評型労働運動を衰弱させ、「プラザ合意」のようなドル基軸の国際協調には積極的に応じました。その西側資本主義全体の新自由主義再編圧力が、ソ連東欧の現存社会主義崩壊と「自由市場」参入の背景となり、欧州の「短い20世紀」の終焉を見届けました。渡辺恒雄・読売新聞主筆と組んだ露骨なメディア利用、自分に近い学者・文化人を呼んでの審議会政治でも、名を馳せました。今日のメディア翼賛化の先駆けです。

かと その国家主義と新自由主義の接点で、中曽根康弘は日本の核・原子力政策を主導し、牽引し、遂には福島原発事故の遠因を作りました。米国訪問で原子力の威力を知り、キッシンジャーの講義で権力均衡論と核抑止論を学んだ中曽根は、1954年3月、第五福竜丸ビキニ水爆被爆とほぼ同時に、「原子力の平和利用」の名目で、学界の反対を押し切り原子力予算を通過させ、議員立法で原子力基本法を作り、CIAエージェントで読売新聞社主の正力松太郎を担いで56年原子力委員会と科学技術庁を発足させました。これが、日本の原発の出発点になりましたが、当時の国会答弁等では、原発があれば「いつでも自前の原爆を持てる」とも公言していました。その後の科学技術庁長官、防衛庁長官、通産大臣等の閣僚歴は、日本の核政策・エネルギー政策の中枢で、地震に弱く狭い国土に原発を林立させ、同時に、アメリカの「核の傘」のもとでも原発=「潜在的核保有」を持続し肥大させるものでした。マスコミはあまり触れませんが、中曽根首相時代に、核燃サイクル用プルトニウム保有を認めさせる対米交渉が進展し、88年日米原子力協定に特例が書き込まれました。それらの中曽根核政策のつけが、多発した原発事故であり、3.11以後も再生エネルギーへの転換ができぬまま原発再稼働を許し、核兵器禁止条約に加わることもできない、今日の日本を形作りました。中曽根風「大統領型首相」を、うわべだけファッションとして受け継いだ軽薄な安倍晋三は、9月の国連気候変動サミットでは「美しい演説よりも具体的計画を」と演説を断られ、来日したローマ教皇から核政策をたしなめられる醜態を演じました。中曽根死すとも、中曽根流新自由主義・核政策は死なず、です。

かと 香港市民の民主主義、隠蔽と嘘に満ちた「桜を見る会」私物化など、時局的には触れたい問題が多々ありますが、この間のパソコン不調、更新トラブル、それに早稲田大学定年退職後2年の年齢と体調を考え、本サイトでの発言は、今回更新の「中曽根政治」のような、歴史的・大局的問題に絞り、全体をデータベース中心に切り替えていこうと思います。当面月2回だった更新を1回に減らし、過去の論文ばかりでなく、講演記録やパワポ資料もpdfやpptで保存し、「ネチズンカレッジ」カリキュラムを、きめ細かく再編成します。各種書評や、ゾルゲ事件・731部隊等も、イシューごとでまとめることを、計画しています。そのために、12月15日更新はパスし、次回更新は、新年1月1日の模様がえをめざします。常連の皆様には、ご不便をおかけしますが、ご容赦・ご期待ください。

初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html

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