今後の日本においてインフレーションを惹起することは可能であろうか

著者: 岡本磐男 おかもといわお : 東洋大学名誉教授
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 現在の日本ではデフレ(物価下落)が進行している。30年前からの平成の時代から大体そうであった。それ故、現在の安倍内閣はアベノミクスなる経済戦略において、まず第1にデフレ脱却を指向したのである。デフレ下においては経済成長が高まらないと認識したからである。
 しかし、今日の新型コロナウィルスの世界的な流行によって、周知のように日本でも感染拡大を抑える政策がとられたため、経済活動は抑制され、失業が発生し仕事が収縮し、内需が減退したため、デフレ現象がいっそう激しくなった、だが他方では安倍政権は国民に対して財政資金を配分せざるをえなくなり、そのために借金を増やさざるをえなくなったため財政赤字を増やさざるをえなくなった。昨年までの日本の財政赤字累積は1,100兆円を超えていたが、今後はこれを上回っていくことは必然である。
 国家財政の赤字が増大していけば、最終的には、国家は債権者としての国民から返済を迫られれば破産せざるをえない。その防衛のためには、貨幣価値を極度に低下させるインフレーションを惹起せざるをえない。こう考えて日本もいつの日かは超インフレに見舞われるに違いないと考える人がふえている。だが私は政府財政の赤字が拡大していけば、いつかはインフレが発生するという見方には賛成できない。実際今日の日本でも諸商品は過度に生産されているのである。それは現代の日本では実際には1974年のオイル・ショック以後50数年間にもわたって激しいインフレーションなるものは経験してこなかったのである。アベノミクスでは、日本銀行の金融緩和策によって物価を2%引上げることを企図していたのであるが、この政策すら達成できなかったのである。
 それは何故かといえば、アベノミクスでは日銀が供給する貨幣とは、商品交換を媒介する流通手段としての貨幣(通貨)であり、通貨量がふえれば物価は上がるものだ(貨幣数量説)と把握されている(マネタリストの立場)ためである。だが実は私はこのような貨幣の捉え方自身に賛同しない。貨幣には一方ではこのように通貨としての側面があるとはいえ、他方では、これを貯蓄として蓄蔵したり支払い手段の準備金として保有したり、国際通貨として使用するため保有するという場合もありうる。このために保有される貨幣を今便宜上資金と呼んでおこう、すなわち貨幣には通貨としての側面と資金(貨幣としての貨幣)としての側面がある。日銀が貨幣を供給するというのは、普通銀行から国債を買ったり、他の有価証券類を買ったりすることによるのであるが、そのさい通常しばしば誤解されているように日銀が普通銀行に対して日本銀行券(金と交換しえない不換銀行券)を手渡すのではない。日銀は単に普通銀行に対して帳簿上の預金を設定するにすぎない。すなわち今日の貨幣とは7割以上が預金形態をとるのである。その預金に実は通貨と資金が含まれるのである。
 銀行預金が貨幣であるといったが今日の銀行は当座預金、普通預金、定期預金等々の形態に分かれるが、これらの預金形態のうちの何れが通貨であり、何れが資金であるというように区分できるわけではない。今日では何れの預金形態においても、これに対して小切手をふり出して支払いができるかぎり、預金形態による通貨と資金の区分はできないのである。だが区分できないといってもこの2種類の貨幣が存在していることは確かである。例えば、今日企業の内部留保資金等(利潤および固定資本の原価償却資金)は巨額の金額となっているが、これは銀行に資金として存在しているのである。
 そして日銀が普通銀行に対し貨幣を供給してもその貨幣が通貨であるかぎりは実体経済に影響を与え物価を引上げるのであるが、その貨幣が資金化するかぎりにおいては、実体経済には影響を与えず、それ故物価を上昇させ、インフレーションを引き起こすことにはならない。それは通貨を実体経済に過剰に流通させるのではなく、資金の過剰を引き起こしているにすぎないためである。今日、日銀がいかに金融を緩和してもインフレは発生せず、銀行の預金・貸出の金利が低下していくのはそのためであって、金利は資金の需給関係によって決まるためである。すなわち通貨の過剰流通ではなく、資金の過剰が生じているのである。資金が過剰であるということは、銀行から資金を借りようとする借手がこれを生産過程に投じ利潤を上げられないため資金を需要しないためである。そのためにまた資金の価格としての金利は低下する。資金需要が低下していくため、最近ではマイナスの金利さえも現れるようになってきた。
このように資金の金利がマイナスとなってきたことは日銀も知っているが、注意すべきはいわゆる資本主義の原理論で説かれる利子論とは背理してきたことである。経済学者マルクスが19世紀中葉のイギリス資本主義のメカニズムを解明した理論は経済学の原理論として知られているが、その理論においては、貨幣資本や資金の貸付による利子の問題は資本主義の運動のメカニズムにとって重要なものとして、位置づけられており、決してマイナスの金利などというものが発生可能などとは考えられていない、この点からいえば、今日の資本主義、とくに日本の資本主義はもはや資本主義ともいえないような経済システムに変化してしまったといえるのかも知れない。(私達高齢者は老後の生活資金に貯蓄利子をあてにしてきた者が多いと思うが、利子は入手できなくなってしまった)このようにマイナスの利子の発生によって経済成長にとってもマイナス要因が追加されたことは確かである。
 このように、一方では国家財政の赤字累積が過度に進みながらもインフレーションは惹起しえず、国家財政の破綻がいつ生ずるか判らなくなった半面、他方では金利の低下-マイナス金利の発生-によって経済成長率も引上げられなくなったのが日本資本主義の現況であるが、これに3ヵ月程前からは新型コロナウィルスの発生という新たな経済悪化要因がつけ加わった。もっともこの悪化要因は、本年5月26日には、緊急事態宣言の全国規模での解除によって、ひとまず解決のきざしが発生した。だが今後の見通しは決して明るいものではなく、危機的状況は持続するであろう。
 新型コロナウィルス発生問題によって日本の経済が悪化したというのは、人々への病原菌の感染拡大を恐れて生産活動を2か月近く停止させたためである。そのために賃金を支払って貰えない人、収入が減少した人、失業してしまった人達が大勢発生した。これらの人達を救済することが最優先の課題である。安倍政権はもはや、アベノミクスによって経済戦略をたてようとはしないであろう。そうであれば、政府は今、何をすることが最も重要であろうか、その点の私見を述べて本稿をしめくくりたい。安倍政権はこうした人々の救済資金の調達を、もっぱら国債発行による財政資金の調達によって対処しようとしているようである。だが、これは、極めて安易な方策であって早晩日本は国家破綻をもたらすかもしれない。
 日本には現在、通貨と資金というお金がないのかといえば、私は必ずしもそうはいいきれないと思う。第1には銀行には大企業の内部留保資金として400兆円近い資金が現存しているといわれてきたが、こうした資金を取り崩して貧困な労働者大衆のために役立てるようなことを政府は考えるべきであろう。もっとも安倍政権もこの内部留保についてごく僅少な額について取り崩すことを考えたようだがより大規模な額についての計画を望みたい。第2には、新自由主義の時代に入った平成の初頭から日本は、格差が拡大するような格差社会になってきたことに留意すべきである。実際労働者階級においても正規雇用者と非正規雇用者との間の所得格差ははげしくなってきたし労働者と資本家(大株主)経営者、管理職、大地主との間の格差はさらにはげしい。例えば労働者の平均賃金は年500万円程度であるとすると経営者の収入は、年5,000万円から1億円に上るなど格差はきわめて拡大してきたのである。政府はこうした所得格差を綿密に調査して所得の平準化に努める責任がある。すなわち高額所得者から低額所得者への税制による所得の再配分によって平等化を進めることである。こうした政策をより強力に推し進め経済システムを変化させていくことが重要である。
 単なる国債発行のような安易な政策に依存しきっていけば、いつかは国家に危機が訪ずれるであろう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1124:200605〕