● 2023.7.1 ロシアのネオナチ・プリゴジンによる民間武装集団「ワグネルの反乱」が、世界を揺るがせています。まだまだ謎が多く、深刻な情報戦の様相を呈しています。国防軍内部にも密かに通じ、ウクライナとの戦争での主導権と利権を握ろうとしたようですが、プーチンの「戦争の大義」を否定して怒りを買い、モスクワまで200キロまで迫りながら、急遽「進軍」を停止しました。プーチンと内務省に鎮圧されて粛清される前に、ベラルーシのルカシェンコ大統領が仲介して、プリゴジンのベラルーシへの入国が認められ、ルカシェンコはワグネル軍の陣地を準備しているともいいます。もっともプリゴジンの一時帰国説もあり情報は錯綜、プーチン側近として構築した彼のアフリカ、シリアに及ぶ経済的利権の行方も、これからです。
● ベラルーシの独裁者ルカシェンコは、ロシアの戦術核兵器を引き受けたとも公言しており、「反転攻勢」に入ったはずのウクライナの戦争の行方を、いっそう不透明・不安定にしています。ワグネルの北方からのウクライナ侵略・首都攻略、プーチンがプリゴジンに核のボタンを押させるような事態はないだろうといいますが、すでにザボリージャ原発での放射性物質拡散テロ攻撃の可能性も伝えられており、深刻な危険です。西側・NATOに支えられたウクライナ対プーチン独裁のロシアという構図に、ロシア国内の内部矛盾、それにロシア周辺国のプーチンへの距離、さらには「グローバルサウス」という一言では表現できない、中国・インドや中東・アジア・アフリカ・中南米諸国の関与まで、考慮に入れざるをえなくなりました。事実上の第3次世界大戦が始まったとみる評価や、1905年、17年、91年に続くロシア的な「戦争・内乱と革命」の伝統をプリゴジンに期待する向きさえありますが、これらの歴史の審判には、数十年のスパンが必要でしょう。6月4日に民衆の民主化運動を軍事力で押しつぶした天安門事件から34年、習近平の中国の出方が、不気味です。
● 歴史の審判には、100年くらいで評価が覆る事例は、多くみられます。女性の政治参加は、ほぼ100年で世界史的に不可逆的なものになりましたが、人種を考慮した大学入試は違憲だという米国連邦最高裁判決のように、バックラッシュで揺れ動く場合もありえます。人種・民族や性・宗教による差別の世界では、自由と人権思想の発展がなければ、暴力の支配や権力的抑圧が復活する場合があります。本サイトが掲げる、「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にし て起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」という丸山眞男の論理になぞらえれば、日本の性差別・ジェンダーギャップ指数が世界146カ国中125位と前年から9つもランクを下げたのは、性差別とたたかう「無数の人間の辛抱強い努力」がまだまだ足りず、世界の大勢とかけ離れているからです。
● かつて日本資本主義の畸形性・脆弱性を「インド以下的労働賃金=植民地以下」と評した講座派経済学がありましたが、今日のジェンダーギャップの世界では、日本は「先進国」どころか、カースト制度が色濃く残る127位のインドとほぼ同じで、105位の韓国、107位の中国からも、大きく遅れています。人種差別や性差別が続く大きな理由の一つに、「人類の遺伝的素質を改善することを目的とし,悪質の遺伝的形質を淘汰し,優良なものを保存することを研究する学問」といわれる優生学、「生産性の高さや障害の有無などによって人間を「優れた人間」と「劣った人間」に区別し、「劣った人間」は社会から排除してもよい、という優生思想の考え方が跋扈した、20世紀の問題があります。優生思想は、遺伝学や進化論ばかりでなく、科学主義や生産力主義とも親和性を持ち、さまざまな宗教やマルクス主義とも容易に結びつきました。「革命」をめざす「前衛」政党の中に、女性を「後衛」とみなすハウスキーパー制度がビルトインされていたのも、20世紀優生思想の広がり・深刻さを示していました。
● しかし、欧米ばかりでなくデンマーク、スウェーデン、フィンランドなど北欧諸国にもあった優生学・優生思想が、20世紀の後半以降徐々に克服されてきたことは、ジェンダーギャップの世界で、北欧福祉国家諸国が圧倒的に上位にあり、ナチス優生学を忌まわしい経験として意識的に克服したドイツが第6位であり、「断種法」発祥の地でありながら公民権運動やアファーマティヴ・アクションで克服に取り組んだアメリカが43位であることで、この100年の変化がみられます。逆に言えば、天皇制の長く支配する近代日本は、優生学・優生思想の伝統が根強く、反省がきわめて遅れている国ということになります。ただしそれは、日本経済の「失われた30年」と関係はしますが、同一ではありません。ジェンダーギャップ指数は、ニカラグア7位、ナミビア8位、ルワンダ12位のように、むしろ女性登用が経済発展に寄与する国をも示しているのです。日本は、戦前関東軍731部隊の中国人・ロシア人「マルタ」を使った人体実験・細菌戦や、国内で戦時体制構築に使われた「民族衛生」「国民優生法」の伝統が21世紀にまで持ち越された、特異な女性差別・外国人差別残存国なのです。
● こうした観点からすれば、6月19日に立法府・衆議院ホームページのトップに公開された、「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律第21条に基づく調査報告」という長いタイトルの文書(旧優生保護法報告書)は、ジェンダーギャップ解消のみならず、出入国管理・難民認定法、外国人技能実習制度等の問題を、「無数の人間の辛抱強い努力」で前向きに改訂していく上で、重要な橋頭堡・ヒントになりうる公文書だと思われます。概要版、全体版、分割版という丁寧なかたちでダウンロードもできるPDFファイルとして収録されました。プリントアウトすると1400頁にものぼるその内容は、21世紀に入って関東軍731部隊の戦時細菌戦・人体実験を追及し、この3年のコロナ対策やワクチン製造にもその負の遺産の影を見出してきた私の立場からすれば、意味あるものです。概要版だけでも、すべての国民が、とりわけ若い世代の人々が読むべき、画期的なものです。それは、日本の強制不妊手術=「旧優生保護法(旧法、1948~96年)下で、障害や特定の疾患がある人たちが不妊手術を強いられた問題」について、衆参両院調査室が「立法の経緯や被害の実態」などを3年かけて調査し、3編構成にまとめたものです。
● その第1編は「旧優生保護法の立法過程」、2編は「優生手術の実施状況等」、3編は「諸外国における優生学・優生運動の歴史と断種等施策」です。1編の立法過程では、1938年、内務省から分かれてできたばかりの旧厚生省に「優生課」が設置されるなど、優生思想が国の施策となっていく過程を記述します。「不良な子孫の出生を防止する」目的で1948年に旧優生保護法が成立した際には、「批判的な観点から議論がなされた形跡はなかった」と指摘します。左翼を含む議員立法で、全会一致でした。学校教科書の記述も分析して、1975年の高校保健体育の教科書に「国は国民優生に力を注いでいる」という趣旨の記述があったこと、その上で旧法に対する批判も含めた記述が出てきたのは、82年に施行された高校学習指導要領以降だと説明します。2編からは、官民一体で不妊手術を推進した実態が描かれます。旧厚生省は49年、身体拘束したり、だましたりすることが許されると通知。医療機関や福祉施設への調査では、実際に「他の手術と偽った事例が見られた」としました。一部の自治体は、手術を後押しする運動を展開したり費用の助成をしたり、強制不妊手術を推進しました。手術の背景には「性被害による妊娠のおそれ」「育児が困難とされた」「家族の意向や福祉施設の入所条件とされていた」などのケースがあると記述しています。旧法で認められていたのは、卵管や精管を縛るといった不妊手術でしたが、実際には子宮や睾丸の摘出、放射線照射など、法定外の手術が実施されていました。本人の同意が得られない強制手術の場合、都道府県審査会の決定が必要でしたが、定足数を満たさず開催されたり、書類だけで審査されたりするケースもあったと指摘、結果的に2万4993件の手術が実施されたといいます。ピークは1955年で、強制不妊手術の約75%は女性だったいいます。
● 第3編では、各国の歴史や制度を分析。優生学や優生運動が国際的に広がり、アメリカの一部の州やドイツ、スウェーデンなどで断種が行われていたとしました。旧優生保護法は、20世紀末の1996年に母体保護法に改正され、被害者の一部による司法裁判も進行中とはいえ、立法府である国会が、1948年に超党派の議員立法、与野党全会一致で採択された法律とその運用を、戦前の優生学・優生思想、民族衛生運動にまで遡って問題点を整理したのは、画期的です。ナチスの優生政策などとの国際比較や、ハンセン氏病対策との関連まで含めて批判的に考察したのは、公文書として有意義です。旧満洲国731部隊など植民地医学での問題が触れられていない点、占領軍の関与についての記述が簡単すぎる等の専門的批判は、これから学術的に加えていけばいいでしょう。日本の厚生行政についてのみならず、学校教科書作成、歴史認識の素材としても、活かしてほしいものです。内閣府ホームページによると、公文書とは、「国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録であり、国民共有の知的資源」なそうです(公文書管理法)。だが、裁判所が重大少年犯罪の記録を廃棄してきた問題で、最高裁判所は「深く反省」する報告書を出さざるをえませんでした。そんな公文書の世界に、司法でも行政府でもなく、国権の最高機関たる立法府の歴史的文書が加わりました。やや大げさにいえば、立法府による優生学・優生思想との訣別宣言とも読めます。ぜひ出入国管理・難民認定、外国人技能実習制度等に貫いてほしいものです。さまざまな実例が挙げられていますから、各自治体ごとの、これからの調査の指針にもなります。
●同じ公文書でも、行政府である総務庁トップの「マイナンバー制度」の説明はいただけません。「マイナンバー制度は行政の効率化、国民の利便性の向上、公平・公正な社会の実現のための社会基盤です」というキャッチコピーは、この間のあまりにお粗末な執行過程の山積した問題群を知ると、強制不妊手術を国策とした旧優生保護法成立の際も、きっとこんな感じで「不幸なこどもが生まれない運動」へと強引に組織されたのだろうと、見当がつきます。また、その実施過程では、北海道などですべての精神病院に事実上の強制不妊手術「ノルマ」が押しつけられたように、自治体に仕事をおしつけるだけでなく、「先進県」と「後進地域」を競わせ、補助金・助成金の配分で事実上強制したものでしょう。旧優生保護法の場合は、北海道が突出した「モデル自治体」となり、旧731部隊ペスト防疫隊長だった長友浪男が、厚生省公衆衛生局精神衛生課長とし精神障害者への不妊手術を推進し、北海道衛生部長・民生部長・副知事へと出世して、北海道の「不幸な子どもを産まない運動」を推進しました。当時の北海道知事は、旧内務省警察官僚あがりの町村金五、内務省から分かれた厚生官僚の中の優秀な若手として、731部隊軍医少佐出身の長友浪男をスカウトし登用したものでした。「マイナンバー制度」を推進する総務省、デジタル庁、厚生省等にも、その予算執行をめぐる膨大な利権、談合、天下りが隠れていると推測できます。誤登録など次々と問題が起こる基本システムは、富士通によって設計されたそうです。国家に寄生した同じ大企業が、日本の国家安全保障・防衛システムの有力な担い手ともなっています。健康保険証や運転免許証に紐付けされる前に、マイナンバーの「自主返納」運動が起こっているのも、当然の愚策です。ロシアの「ワグネル」騒ぎは、他人事ではありません。
● 本サイト更新中に、悲しい知らせが、ドイツのベルリンから届きました。元東大医学部助教授で、スターリン粛清の日本人犠牲者であった国崎定洞の遺児、タツ子・レートリヒさんが、6月27日、肺炎で死亡したとのことです。1928年生まれですから、享年95歳、コロナも乗り切っての天寿全うでした。1937年末のソ連で「日本のスパイ」として父・国崎定洞が銃殺処刑された後、ドイツ共産党員だった母フリーダ・レートリヒさんと共にモスクワからナチス・ドイツに「難民」として強制送還され、元共産主義者として抑圧され差別されたナチス時代の証言者でした。日本語は全くわからないのに、その顔かたちが父の血を引いて日本人そっくりだったため、戦後の西ベルリンでは別の人種差別を受け、大学にも入れず、苦難の生活をすごしました。1980年に、川上武医師と私が事務局をつとめた「国崎定洞を偲ぶ会」の招待で来日し、かつてナチス台頭期のベルリンで父国崎定洞の「同志」であり、戦後日本の再建を担ってきた千田是也・有沢広巳・鈴木東民・平野義太郎らから初めて亡父の話を聞き、日本の親族と顔をあわせたのが、最初で最後の日本訪問でした。私の「国際歴史探偵の30年」の始まりに存命していた貴重な証言者で、優生思想や国際共産主義の問題点を、その生涯で体現してきた、一人のたくましい女性でした。心から、ご冥福をお祈りいたします。合掌!
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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