元ブンド・赤軍派 高原浩之(2025.01.27)
植垣康博(関係者全員敬称略)の死去を知った。赤軍派最高指導部(政治局)の一人という立場で、以下の謝罪を改めて表明する。私には、殺害された遠山美枝子の夫、今も彼女の母および姉妹と共に生きているという立場もある。「追悼」はしない。「謝罪」をする。・
「赤軍派の指導部は、路線の誤りが根本原因であると認めなくてはならない。第1に無念にも殺された同志に謝る。第2に不本意にも他人を殺して生き残る立場になった者にも謝る(同時に殺された者の遺族の感情に配慮した言動を要求する)。第3に傷ついた多くの赤軍派関係者の全てに謝る。」(2018年3月4日「塩見孝也お別れに思う」)
・日本革命の原動力を日本人民の闘争に求めなかった 赤軍派路線の根本的な誤り
赤軍派は、ベトナム民族解放闘争と中国文化大革命(社会主義革命)、このアジアを中心とした民族解放・社会主義の国際的波及で日本革命を展望した(「過渡期世界論」の「三ブロック階級闘争の結合論」)。ベトナム反戦闘争の中、全共闘運動=大学における学生の反資本主義闘争に依拠して革命をやろうとした。
日本革命の根拠と原動力を、日本社会に内在する資本主義の矛盾と労働者階級の階級闘争に求めることができなかった。現実離れした武装蜂起・革命戦争の方針を実行しようとして破綻した。そこで国外の民族解放・社会主義に頼る「国際根拠地論」で「よど号ハイジャック」を実行したが、それは実際は「国外逃亡」であった。こうして追い詰められた。最後まで逃亡できなかった、逃亡しなかった結果が連合赤軍事件であった。
・連合赤軍事件は指導の誤りを超えている 指導の支配への変質・転化である
弱い兵士の指導を誤って暴力を行使した、という次元では絶対にない。指導者が組織を維持し自分の地位を守るろうと、次々にリンチを組織しリンチに動員した。『連合赤軍 遺族への手紙』(遠山幸子・江刺昭子共同編集/2024年インパクト出版会)を読んでほしい。母の「激しい怒り」が真相を引き出している。
『私だったかもしれない ある赤軍派女性兵士の25年』(江刺昭子著/2022年インパクト出版会)も読んでほしい。殺された者が弱い兵士であったはずがない。皆、強い決意と覚悟をもって参加したはずである。
連合赤軍事件は、中国文化大革命の破綻に通じる。官僚主義に対する闘争が最後は「私心と闘う」といった観念論の主観主義に転落した(連合赤軍の「共産主義化」)。カンボジア・ポルポト政権にも通じる。中国に続いてベトナムも変質し、マルクス・レーニン主義と国際共産主義運動が破綻した。そういう世界史的な構えで総括しなくてはならない。
・植垣個人に思う 感情を逆なでされたことも多かったが最後に支持しておきたい
1977年のダッカ事件、日本赤軍がハイジャックによって、獄中の連合赤軍や「東アジア反日武装戦線」のメンバーを釈放するよう要求した。連合赤軍では坂東は釈放に応じたが、植垣は連合赤軍の総括をやると拒否した。これは支持する。
人民闘争と革命運動にとって、日本赤軍の兵士徴募よりも、連合赤軍の総括がはるかに重要である。日本赤軍の行為は連合赤軍総括に対する妨害と敵対であった。「国際根拠地論」は実は国外逃亡であることを総括しなくてはならない。
「恒一!天寿を全うしろよ!」 寺岡の父親が山に向かってこう叫んだと聞いた。それを思い出した。植垣は天寿を全うした。遺族の思いは複雑である。死後の世界はあるか。その世では殺された人たちにはっきり謝罪してもらいたい。(おわり)
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