――八ヶ岳山麓から(346)――
この20年間の革新・リベラル勢力の衰退、特に社会民主党の消滅は悲しい。今回の総選挙は、保守本流を自認する立憲民主党と共産党の「保革共闘」である。1960年代に社会党と共産党の革新連合政府を夢見たものとしては、いささか拍子抜けする。だが、総選挙で革新・リベラルが進出するには、共産党に頑張ってもらう以外手がない。共産党を応援する立場から同党に意見を言いたい。
立憲の枝野氏はしばしば「共産党との連立政権はありえない」といってきたのに、今回の総選挙では共闘をやる、だが共産党とは「閣外協力」にとどめるという。立憲は議員政党で市町村レベルの支部組織がない。そこで共産党の足と票が欲しい、でも仲間には入れないよ、という下心がみえみえだ。
これに対し、共産党の志位氏の方は、自党の候補を下ろして立憲の候補を担いでも、野党共闘には「対等平等」「相互尊重」原則が貫かれていると言う。あれこれご配慮の上の発言だろうが、「枝野氏に信頼感を持っている」のだそうだ。
志位氏が卑屈なまでに野党共闘にしがみつくのは、自民党政治を打倒したいという表向きの理由のほかに、これによって党勢沈滞を打開したいという目的があるのではないかと思う。しかし党改革なしに、党員の尻をたたくだけでは現状脱出は無理だ。
共産党の政治スローガンは、しばしば的外れである。
10年ほど前の共産党のポスターの文言は「老人と子供を大切にする政治」だった。いまは「やさしい政治」だ。だが、自民党と同じお題目を唱えていては、ポスターの志位和夫氏全身像も間が抜けて見える。ここは断固、勤労大衆の立場に立った文言を選んでほしい。
いよいよ総選挙だが、コロナ禍の中で我々が実感したのは、日本は医療体制にせよ、国民の実質収入にせよ、三流以下の国家になったという冷酷な事実だった。いま、これにどう対処するかが求められている。
共産党は岸田首相が唱え出した「分配重視の『新しい資本主義』」に対抗できるだろうか。与野党挙げてのバラマキ競争に乗っかって、「コロナで収入が減った家計への支援として、1人10万円を基本にした5兆~6兆円規模の『くらし応援給付金』」と、いうが、それで有権者の心をつかめるか。
きのう配られた共産党のビラには、「新自由主義を克服し、ケアを支える」「気候危機打開へ」「ジェンダー平等の社会へ」「憲法9条を生かした平和外交」という見出しがあった。それを見て、私は思った。村の中に「新自由主義」「ケア」「気候危機」「ジェンダー」といった文言を一目みて同党の政策の中身のわかる人が果たしてどのくらいいるだろうか、と。
それに「平和外交」という、手あかのついた決まり文句ではなく、中国に「軍事的挑発をやめよ」「台湾の武力統一反対」といえばいいのである。そうすれば「日本の共産党だって中国共産党と同じだ」という人への有効な反論になるはずだ。
さらに「原発ゼロ」や「医療福祉関係者の待遇改善」や「非正規労働者の正規化」といった具体的な要求をもっと前面に押し出せないか。全国的な課題を並べるのも結構だが、選挙区の現状に即したスローガン、わが村についていえば「コメの低価格対策」とか「野菜の出荷価格安定」など、生活・生産に追われる人たちを意識した、わかりやすいスローガンを掲げることができないものだろうか。
私の村では、青壮年層からの入党者がいないから、党員は70歳以上が多数、60代もごくわずか。村の別荘地帯へ移住してくる党員がいなければ、あと5年で党組織そのものが消滅するだろう。
共産党後援会などで、党員、民青(民主青年同盟、共産党の青年組織)や赤旗読者がなぜ増えないかという話になると、たいていは現今の教育やメディアのせいにする。これは正しくない。共産党が「倍々ゲーム」の勢いで伸びた1960年代、70年代も反動攻勢は強かったし、メディアの味方もなかった。それでも経済の高度成長という情勢をうまくつかんで民青も党員も増えたのである。
いま若者の中で社会変革を望む者は少数だ。彼らは以前の世代と比べると、スマホを媒介にして友人を求め、仲間からの評価を気にし、教師や親との摩擦もあまりない。さらに「親ガチャ」という言葉に象徴されるように、親の社会階層から抜け出そうという気持になかなかなれない者もいる。
総選挙には間に合わないが、共産党といわず革新・リベラル派は今の若者の置かれた状況を分析してから、彼らと向き合う必要がある。
自民党総裁は国会議員のほか地方党員と党友の直接選挙で選ばれる。国政選挙で負ければ辞任する。今回はまがりなりにも総裁候補者は政見をあきらかにして争ったから、国民の強い関心を呼んだ。
共産党も党規約では、党の指導機関は各レベルの党会議で選出され、立候補も自由ということになっている。だが自民党総裁にあたる中央委員会委員長をはじめ最高幹部は、党員の直接選挙ではなく、党大会代議員・中央委員による間接選挙である。しかも事実上任期がないから不破哲三氏など91歳でも党の要職についている。
その大会代議員は、党中央と異なった意見を持つものが選ばれることはない。県、地区の指導部はすべて上級の推薦するものが党会議で選ばれている。
共産党の規律は、下級は上級に従い、少数は多数に従うという、ロシア革命以来の秘密結社の規律そのものである。党の決定と異なった意見は公表できないし、派閥はもちろん党支部間の意見交換すら許されない、じつに閉ざされた組織である。だから国政選挙に敗北しても、政策の重大な変更があっても、最高幹部は変わらない。
地方では、自民党は「党員になれば総裁・総理を選べる」という殺し文句で若者を誘っている。共産党は、なにかといえば民主主義を強調するが、これでは共産党より自民党の方がよほど民主的だと思う人がいてもおかしくない。
共産党は、2015年まで野党間の選挙協力は「野合」だとしていたのに、突然「野党共闘」に転じた。また中国・ベトナム・キューバなどを「社会主義を目指す国家」と定義し、中国の「市場社会主義」をほめたたえていたのに、2020年の28回大会では、突然中国の「大国主義・覇権主義」を批判した。
だが、こうした路線転換以前の政策がどこでどう間違ったか、原因はどこにあったかを国民に丁寧に説明したことはない。党内で間違いについて討論された痕跡もない。党員に聞いてみても下は上に従っているだけで、転換の理由がよくわかっていない。これでは、党員は自分の頭でものごとを考えられなくなる。
わが村では、「共産党は国政問題しかやらない、村のことには関心がない」というのが、一般の人の受け取り方である。だが関心がないのではない。村の政治を考える余裕がないのだ。だから、中央が打ち出す全国レベルの政策だけを村民に繰り返し訴えるという党活動が続いている。
菅首相の退陣表明から10月4日に岸田氏が自民党の新総裁に選出されるまでのお祭り騒ぎによって、菅内閣の無能、失政つづきの閉塞感は払拭された。19日総選挙公示、31日投開票のはこびとなった。
岸田首相は短期決戦で勝負に出た。よく考えられた演出である。自民党には知恵者がいる。共産党も「野党共闘」だけに注力するだけでなく、もっと我が身を大きくする知恵を絞ってほしい。(2021・10・10)
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