――八ヶ岳山麓から(451)――
はじめに
来年1月開催の共産党第28回大会決議案は、ASEAN(東南アジア諸国連合)について概略次のように記している。
「ASEANは……徹底した粘り強い対話の努力を積み重ね、この地域を『分断と敵対』から『平和と協力』の地域へと劇的に変化させてきた」
「その最新の到達点として、わが党が注目してきたのが、2019年のASEAN首脳会議で採択された『ASEANインド太平洋構想』(AOIP)である。この構想は、インド・太平洋という広大な地域を、東南アジア友好協力条約(TAC)の『目的と原則を指針』として、『対抗でなく対話と協力の地域』にし、ゆくゆくは東アジア規模の友好協力条約をめざそうという壮大な構想である」
「この4年間の進展で重要なことは、AOIPが、構想の段階から実践の協力事業へと発展しつつあることである」
「いま日本政府がやるべきは、破局的な戦争につながる軍事的対応の強化ではなく、ASEAN諸国と手を携え、『ASEANインド太平洋構想』(AOIP)の実現を共通の目標にすえ、すでにつくられている東アジアサミットを活用・発展させて、東アジアを戦争の心配のない地域にしていくための憲法9条を生かした平和外交にこそある――これがわが党が提唱してきた『外交ビジョン』である」
上記のように、共産党はASEANとAOIPをたいへん高く評価する。だがASEAN首脳会議は東アジア規模の友好協力条約へ発展させる力があるだろうか。むかし地理の教員としてASEANを教えたものとしては、この点について共産党にひとこと言いたい。
ASEANは、EUのような各国政府から独立した決議機関もない、常設の事務局もない、通貨統合、共通の外交や防衛体制も目指してはいない緩やかな組織である。意思決定は、定期的に開催される首脳会議での「全会一致」・「内政不干渉」の原則でなされる。このため過去においてASEAN が共同声明などはともかく、実効性を伴う共同行動をとることはそう多くはなかった。
〈参考〉東南アジア諸国連合(ASEAN)/Association of South East Asian Nations。原加盟国はインドネシア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・タイで、冷戦時代は反共連盟であった。1984年にブルネイが加盟、冷戦終結後の1995年から1999年の間に反共色は消え、ベトナム・ラオス・ミャンマー・カンボジアが加盟して現在の10か国体制となった。東ティモールの加盟は準備中である。
ASEANの多様性
東南アジア諸国は、熱帯雨林・熱帯モンスーン地域にあり、タイを除けばいずれもかつては列強の植民地であったこと、現在多民族国家であり発展途上にあるといった共通点がある。だが、民族も政治制度も歴史も文化もそれぞれである。
2015 年末「ASEAN 経済共同体」(AEC)がスタートしたから経済関係が緊密になったと思われがちだが、事実は逆である。ASEAN 全体の貿易総額は 2015 年から2021 年 にかけ47%増加したが、 域内取引の増加率は33%にとどまった。域外とりわけ中国との取引が断然大きくなったのである。
ASEANを1ヶ国とみれば、2021年現在で人口は 6.7 億人で世界第 3 位、名目 GDPは合計約 3.3 兆ドルで第 5 位だ。だが域内人口の41%、名目GDPの36%はインドネシア1国に集中している。
22年の1人あたりGDPもばらばらで、EU主要国のような平均値は得られない。シンガポール8万2800ドルに対して、カンボジア1802ドル、ラオス2047ドル、ミャンマー1228ドルである。日本の1人当たりGDPは3万3854ドル(世界32位)である。
各国の外交政策
ASEAN各国のばらばらの外交は、ミャンマーの軍部クーデターとロシアのウクライナ侵略に対する態度を見ればわかる。
2021年 2月ミャンマーの軍部によるスーチー政権打倒のクーデターに対して、厳しい姿勢を示したのは、シンガポール・マレーシア・インドネシア・フィリピンであり、他の6ヶ国は原則の「内政不干渉」を理由に介入に消極的であった。
同年4 月ASEAN 首脳級会議では、暴力の停止と最大限の自制、ASEAN 特使による対話プロセスの仲介など5項目を決め、これによる合意がミャンマー軍政権との間であったはずだが、その後進展はなかった。
ASEAN域内で孤立したミャンマー軍政権は、中国・ロシアに接近しているが、ASEAN にはそれを引き留める力はない。これは地域協力機構としての ASEAN の限界を示すものである。
2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻に対して、西側諸国は一斉に反発し、ロシアに対する経済制裁にふみきった。ASEAN の外相共同声明は、ウクライナ情勢に「深い懸念」を表明し、シンガポールはロシアとの銀行取引制限や輸出規制をとったが、ASEANとしてロシアを名指しで批判することはできなかった。冷戦期以来ロシアと関係が深いベトナムとラオスが反対したためである。
とりわけミャンマーはロシア支持の声明を発表した。
同年3月の国連総会におけるロシアの即時撤退を要求する決議では、193ヶ国中、賛成は141ヶ国、反対はロシアなど5ヶ国、棄権は中国やインドなど35ヶ国だった。ASEAN は8ヶ国が賛成、ベトナムとラオスは棄権した(ミャンマーは賛成したが、これはスーチー政権の国連代表が暫定的に総会の席にいたためである)。
中国の存在
共産党の決議案のASEAN部分は、中国(それに華僑)の存在を勘定に入れていないが、これはどうしてだろうか。
今や、ASEAN諸国にとって中国は外交的・経済的に最重要国であるが、対中国関係もまた各国各様である。第一は南シナ海の領有問題。臨海諸国5ヶ国が中国と対立しているが、中国と激しく争っているのはベトナムとフィリピンだけだ。
第二は中国の経済進出。米中は対立の激化とともに、互いの高すぎる貿易依存度を減らすために東南アジアへの進出を図っている。2020 年時点でミャンマー・ラオス・カンボジア・ベトナム・インドネシア・フィリピンは、日本同様、貿易総額の20%以上を中国が占めている。
インドネシアの人口の3%に過ぎない華僑の経済活動は、GDPの70%を占めているといわれる。インドネシアは習近平の「一帯一路」を受入れ、ジャカルタ・バンドン間の高速鉄道を建設したが、南シナ海では漁業権をめぐって中国と対立している。
フィリピンは、2016年反米親中国のドゥテルテ大統領就任以来、積極的に中国の投資やODAを受入れていたが、22 年 6 月のマルコス政権成立後は、親米反中国傾向を強めている。ここでも華僑資本はGDPの30%程度を占めていると見られている。スプラトリー諸島における領有権問題では、中国と力ずくの対立に至っている。
ベトナムは1979 年の中越戦争以前から反中国親ソ連であったが、90年代以降、関係は改善した。だが西沙諸島などをめぐって厳しい対立がある。
ラオスとカンボジアの独裁政権は、ベトナム戦争後一時中国と対立した。だが、その後関係が改善してからは、両国とも中国の投資やODAに依存するようになり、外交政策も中国の意向にそうものとなった。
このほど、中国昆明―ラオスのビエンチャン間の汎アジア高速鉄道が完成した。それ以前からビエンチャンやプノンペンには漢字看板があふれ、現地人と漢人とのトラブルも多発している。今後、サルウィン川・メコン川流域諸国の対中国依存度は一層高まり、「債務のわな」に陥る危険が指摘されている。
中国はミャンマーのラカインから中国瑞麗を結ぶガスラインを設置するなど、軍政権とは良好の関係を結んできた。反軍政民主勢力と少数民族独立運動は連携して軍政権と対峙してきたが、この数ヶ月国軍の不利が伝えられている。中国は窮地の軍政権と自国に逃れてきた難民にどう対処するだろうか。
おわりに
1967 年のASEAN発足以来、小規模な武力衝突を除けば、加盟国間では戦争が起きてはいない。このことは共産党がいうようにASEANの大きな功績である。またASEANは域内10ヶ国を対象に核兵器の保有、開発を禁止する東南アジア非核兵器地帯条約(バンコク条約、97年3月発効)を締結するなど平和への努力をしてきた。
共産党は、AOIP構想を高く評価するのだが、現状からはこの目標ははるか彼方にある。たとえば核保有国である中国は、バンコク条約への参加の条件として「条約は各国の領海や排他的経済水域には及ばない」という覚書を交わすよう求めている。中国の要求を受入れると、中国が領有を主張する南シナ海では条約はまったく無効となる。
ASEANは外見も多様、中身も複雑である。これからASEANはどこへむかうか。
米中対立の影響によって、経済発展の可能性はあるが、そうなると各国間の溝は一層深くなるだろう。
共産党には、かつて中国を「社会主義への探求が開始された国」としたような、とんでもない過ちをASEANでくりかえしてほしくはない。再度冷静にASEANを分析し、現実的な外交政策を提起してほしい。
(「三井住友信託銀行 調査月報」(2022・12)「経済の動き ~ 東南アジアはどこに向かうのか」に大変教えられました。お礼申し上げます)
(2023・12・02)
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