共産党敗北の原因を考える

――八ヶ岳山麓から(385)――

  立憲民主党と共産党の敗北は、はなからわかっていたとはいえ、じつに残念だった。社民党が消えそうないま、両党には頑張ってほしいと切に願っている。
 立憲民主党の問題点については、広原盛明氏の論評で十分だと思うので、わたしは共産党についてだけ意見を付け加えたい。これは共産党常任幹部会の参院選の総括で「どうか率直なご意見・ご提案をお寄せください」というのに応えたものである。

 今度の参院選での共産党の敗北の原因の一つとして、政策のわかりにくさがあった。例を挙げる。
 共産党は元来自衛隊解消論である。だが、2000年に民主連合政府のもとで「急迫不正の侵略」にたいしては自衛隊を活用することに変更した。ところがその後も機関紙赤旗は、毎週のように活用するはずの自衛隊の増強や防衛予算の拡大を非難してきた。
 今回の参院選をひかえて、志位委員長はあらためて自衛隊の活用を主張した。専守防衛とはいえ、「力対力」の防衛政策である。だが参院選がはじまったとたん、赤旗は「力対力ではなく外交で」といい、さらに「大軍拡反対」「戦争か平和か」といいだした。これはわからない。
 経済政策では、「やさしく強い経済」を「見出し」にした。中身は新自由主義からの決別であり、賃上げや非正規労働者対策を盛り込んだまともな政策だったが、「見出し」が「やさしく強い」だから、有権者が一目みただけではぴんとこないのである。
 それに他党同様に、巨額の国債対策がなかった。日本は2022年度末には国債残高が1026兆円に上るという爆弾を抱えている。ここで共産党が目覚ましい対策を打ちだしていたら、支持が幾分か高まったはずである。
 残念なことに、共産党の経済政策にも、盛田常夫氏の「消費を拡大させることが景気回復の道だと、物知り顔に主張する御仁や政治家もいる」という批判が当たる部分があった(本ブログ2022・07・21)。
 以上のほか、去年の衆院選でも今回の参院選でも、共産党は「北東アジア地域協力」や「環境保護」「ジェンダー平等」を政策としてかかげたが、あまり効き目はなかった。

 だが、選挙で振わない根元的な理由は、党の路線と活動のマンネリズムにあると私は考える。
 この30年、党活動は党員と機関紙購読者数の拡大に「特化」し、口ではともかく、実際には労働運動をはじめとする大衆運動を軽視してきた。だから活動家は育たず、若者の入党は少なかった。この間、わが衆院選小選挙区では企業内党組織はほとんど消滅したものとみられる。
 今日新聞・テレビよりもSNSによって情報を得ている人が増え、一般紙すら読者が減少しているなかで、ニュース伝達の機能がほとんどない赤旗の拡大は、一層困難だ。たとえ拡大しても、昔と違い、日曜版購読者一人につき支持者が二人増えるといった結果は得にくい。拡大運動の繰り返しの中で、党員は疲れる一方なのに、「共産党は選挙の時しか顔を出さない」とか、「票になることしかやらない」という批判が生まれた。
 友人の共産党員は、「高齢者が増えて活動力が小さくなっているのだから、それなりの戦い方があるはずだ。尻を叩くだけでは動かない」といった。

 この党活動のマンネリズムはつまるところ、党指導部の自分(たち)の路線は常に正しいとする無謬性信仰に根源があると思われる。
 日本共産党最高指導者の在任期間は、他党と比較するといずれもおどろくほど長い。指導者の「長期在位」が権力への執着心によるものでないとすれば、理由は自己の正しさへの過信にあるとしか考えられない。
 議会を通した社会変革と自主独立の路線を確立した宮本顕治氏は、1955年から97年まで40数年間最高指導者の地位にあった。宮本路線の継承者不破哲三氏は1970年に書記局長、82年幹部会委員長、2000年に議長となり、2006年までつごう36年間指導的地位にあった。92歳の現在もなお常任幹部会員である。
 現共産党委員長志位和夫氏は、1990年党書記局長となり、2000年に共産党委員長になった。在任期間実に30余年。この間、国会議員をはじめとして、党員、赤旗読者など党勢はほとんど半減した。
 2003年総選挙で惨敗したとき、志位氏は「路線は間違っていないから辞任しない」と言った。昨年の衆院選でも、今回の参院選でも「やめない」といった。共産党は、議会を通して社会変革を実現する政党のはずである。議会選挙で後退しても、路線に間違いがなかったというなら、どんな状態になれば間違いなのであろうか。

 ところが、共産党は、路線や情勢認識の見直しを幾度もしてきた。
 たとえば、1991年末ソ連が崩壊したとき、議長宮本氏は「巨悪の消滅を歓迎する」といった。ならば、ソ連を天まで持ち上げていた過去をどう説明するのか。
 2020年の党大会では、それまで中国を「社会主義をめざす国」と定義していたのに、大国主義・覇権主義を理由にそれを取り消した。しかもこの定義を発明した不破哲三氏は自己批判もなく、けろりとしていた。志位氏もまた「社会主義をめざす国」は、当時は間違っていなかったと不破氏を弁護した。
 かつては、日米安保反対などで一致しない限り国政選挙での「共闘はない」といっていたのに、いまや「野党共闘」でなければ夜も日も明けないありさまだ。これについて有権者にわかりやすい説明があっただろうか。
 党中央幹部が見直し以前の路線や認識を自己批判しないのは、正しさへの信仰が揺らぐからである。揺らげば指導力が問われるからである。政治姿勢は保守的にならざるを得ない。

 この路線と活動スタイルは、30年間の党勢衰退を示す数字によって限界が明らかである。外から見ると、指導部の交代は必然である。しかし共産党の場合、指導者自らが辞任の意志をもたない限り、それは不可能だ。そして彼らにはその意志がない。
 共産党員には最高指導部を直接選挙で選ぶ権利がなく、リコール権も事実上保証されていない。民主集中制の組織原則によって、所属する支部以外の党員に働きかけ数をまとめるのは、分派行動として禁止されているからである。また党組織の中核である専従者の場合、党中央に対する批判は失業覚悟でないとやれない。ひとたび党から排除されれば、一般社会で職を得ることがきわめて難しいからである。

 共産党はソ連・中国など既成の社会主義を否定し、マルクス主義本来の社会主義を目指すとしている。だが、現存社会主義国あるいはその承継国は軒並み専制国家である。社会主義革命によって歴史は後退したのである。
 ソ連崩壊から最近のウクライナ侵攻まで、激動の30年を見届けた今、有権者の多くは賞味期限切れとして社会主義に関心を持たなくなった。このままでは党員がいくら苦労しても、いつ国会で議席の過半を占め、政権に到達できるかわからない。
 わたしは、党員の皆さんに最終目標を社会主義・共産主義においていることの検討も含めて、いまこそ党の現行路線と自らの活動スタイルを検討し、新しい共産党の在り方を追求してほしいと心から願うものである。           (2022・07・24)

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