冷静、鋭利な視点で「新疆ウイグル自治区」を見れば

――八ヶ岳山麓から(410)――

 まず恥を申します。
 去年12月8日拙稿「八ヶ岳山麓から(405)」に「中国当局が行った『結対認親(結婚促進)』活動の中で、『漢人と親戚になる』ことへの大量の騒動があり、ウイグル女性強姦事件があったと伝えている」というところがあります。「結対認親(結婚促進)の部分は、「結対認親(親戚制度)とすべきでした。
 2016年チベット自治区書記から新疆ウイグル自治区書記に横滑りした陳全国は「結対認親」という制度を実施しました。これは漢人公務員を「親戚」と称して現地のムスリム家庭に入り込ませる制度で、ムスリム家庭に押しかけた漢人の「親戚」は、定時に礼拝をする、豚を食わない、酒を飲まない、異教徒と結婚しないなどムスリムの習慣を無視して傍若無人に振舞いました。これによって新疆のムスリム諸民族は、信仰上・文化上の大きな屈辱と損害を被りました。

 これを正確に教えてくれたのは、熊倉潤氏の『新疆ウイグル自治区』(中公新書2022・06・25)である。同書は、中国新疆ウイグル自治区のムスリム諸民族の歴史を振り返り、現状を分析した概説書である。主に中国共産党の軍事制圧から今日の民族強制収容までが描かれている。目次に従ってその中身を示すと下記の通り。
 序章  新疆あるいは東トルキスタンの二千年
 第1章 中国共産党の統治の始まり
 第2章 中ソ対立の最前線として
 第3章 「改革開放」の光と影
 第4章 抑圧と開発の同時進行
 第5章 反テロ人民戦争へ
 第6章 大規模収容の衝撃
 終章  新疆政策はジェノサイドなのか

 新疆問題は、東トルキスタンのウイグル・カザフなどのムスリム諸民族の独立あるいは高度自治を是とすべきか、そうではないとすれば中共の民族政策はどうであるかというに尽きる。
 1949年中共が建国直前にソ連型の民族共和国連邦制を取らないと決めてからも、少数民族の独立あるいは高度の自治要求は続いていた。「反右派闘争」が始まったばかりの1957年の青島民族工作座談会でも、新疆からの参加者はなお連邦制を要求した。
 この会議に参加したチベット人コミュニストのプンツォク・ワンギェルは、わたしに「新疆の代表から民族自治区の境界変更と連邦制への要求が出された。この考えは人を興奮させるものだった」と話した。だが、これ以上のことは話さなかった。

 この会議では、中共民族委員会側は、はじめは自由な発言を保証したが、最終日に首相周恩来が連邦制は取らないとし、その後会議で多少とも異議を唱えたものを地方民族主義者・右派分子として侮辱し吊し上げ長期刑に処し、あるものは殺害した。
 私は、プンツォク・ワンギェルの話を聞いた時から、新疆のムスリム民族代表のだれがこの勇気ある発言をしたか、ずっと関心をもってきた。
 熊倉氏の別の著書『民族自決と民族団結』(2020・03東京大学出版会)は、カザフ共和国とこれに隣合う新疆ウイグル自治区を対比して、ソ連と中国の少数民族政策を分析した実証的な著作である。同書は多数多方面の資料を用いているが、新疆からの青島民族工作座談会への参加者には触れていない。本書でもこれは明らかになっていないが、氏に手掛かりがあればかならず書いたはずである。

 本書228ページに次のくだりがある。
 「中国の新疆政策には、『ジェノサイド』というより、民族の文化の抹殺を意味する『文化的ジェノサイド』という言葉の方がしっくりくる部分がある。その最たるものが、中国語(漢語)教育の普及、『中華民族共同体意識』の鋳造(確立)、イスラームの中国化といった同化であろう」
 「労働力として生かされた現地ムスリムは、中国語(漢語)の教育、中華民族としての意識の確立といった改造を経て、まっとうな中国人に生まれ変わることが期待され、そう強いられている。教育改造しても、まっとうな中国人にならなかった側はその過程で弾き落され、どこかに消えていくが、……しかし、生かしておくからといって、それでよいということにはならない。むしろいっそう根深い問題をはらんでいる」

 この中の「中華民族共同体意識」は、私の考えでは「漢民族共同体意識」であり、「中国化」は「漢化」であり、「中国人」は「漢人」のことでる。だから習近平主席のいう「中華民族の大家庭」は、「漢民族の大家庭」である。
 数年前新疆に行ったとき、イスラム教のモスクは商店になり、ウイグルの男たちはムスリム特有の髭を落としていた。カザフの少年は上手な中国語をはなすことができた。そして学校でカザフ語を話すと罰せられるといった。民族区分も1950年代に行われた民族識別以来の間違いが訂正されることなく続いており、アルタイ山中のモンゴルに区分された民族はよくよく聞くとチュルク系トゥバ民族であった。
 いまや中国では、中央アジア諸民族の歴史はもちろん、共通の文章語であるチャガタイ語など少数民族語・民族文学の研究も続けるのは危ない状況にある。
 ことは新疆にとどまらない。チベットではすでに学童同士の会話が漢語になっているところがある。寺院・僧侶は中共によって格付けされ、監視されている。内モンゴルでは青少年の多数が牧畜の技術や文化はいうまでもなく、モンゴル語すらわからなくなっている。

 著者熊倉氏は、新疆問題には大きく分けて、在外ウイグル人・欧米側からの批判・告発の観点があり、これに対する中国側の反論の観点が存在する。それぞれの主観があり、それぞれに都合の悪い事実は語らない傾向がある。それで、「中国の新疆統治という、たいへん敏感なテーマを取り上げるにあたって、第三者的な立場から本書を書くよう心がけた」という。
 本書は、中共側からすれば、容認できない内容となったかもしれないが、それは著者のせいではない。偏見のない冷静な視点をもち、鋭利な手段をもって分析すれば、新疆問題はこうなるに違いないのである。
                             (2023・01・01)

初出 :「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion12697:230106〕