動き始めたダライ・ラマ転生問題

――八ヶ岳山麓から(454)――

かまえる中国
 中国「環球時報」は、突然、12月7日「欧米では誤解が多いチベット仏教の輪廻転生」と題する論評を掲げた(2023・12・07)。
筆者の楊永純氏はチベット関連法実務の主任専門家・仏教学博士・法学博士という。
 その主旨は、チベット仏教の高位活仏の転生者を承認する権限は最終的に歴代中国皇帝にあった、高僧の地位は明清皇帝の「勅誉権(≒叙勲権)」による、現代中国政府の転生者の認証もそれにもとづいている、だからそれはローマ・カトリック教の法王の地位決定とはまるで違うというものである。さらに言う。
 「西側の政治代表者が、中国中央政権が法に従い、……チベット仏教の輪廻転生に参与した歴史的法的事実を真に責任ある態度で検証すれば、『法に従い、伝統的な制度に従い(輪廻転生に)参与する』ことが(明清帝国を継承する)中国政府の一貫した路線であることがわかる」
 「もし欧米が人権を口実に、何百年にもわたるこの国の法の支配や制度の事実を誤解したり攻撃したりするのであれば、善意の期待を寄せる理性的な世界の人々の理解と尊敬を得ることはできないだろう」

 楊氏がいま西側に向かって、高僧の転生者選定の権限を持つものは中国政府だと力説するのは、なぜだろうか。ごく常識的には、ダライ・ラマ14世が高齢なこと、パンチェン・ラマ11世選定時のスキャンダル(後述)を避けたいからである。
   注)チベット仏教は日本と同じ北伝(大乗)仏教である。その高僧をラマ(師僧)といい、一般僧侶はアク(尼僧はニク)という。
 14世紀半ばから、特別の高僧を「ほとけ」がこの世に送り出した「菩薩」だとして、各宗派は転生活仏・化身(子供の場合「霊童」)をもうけるようになった。最大宗派のゲルク派の最高位はダライ・ラマであり、これに次ぐものはパンチェン・ラマである。17世紀ダライ・ラマ5世以後は、チベット国王も兼ねるようになった。
 ところが、時代が下るにつれて、高位ラマ選定をめぐって貴族や寺院の勢力争いが激しくなり、チベットを支配下に置いていた清朝の乾隆帝は、混乱をみかねて転生候補者名簿を金瓶に入れ、くじ引きで選定をするよう定めた。だが、清朝が衰弱して権威がチベットに及ばなくなると、ダライ・ラマ13世(1876~1933)選定時のように、この制度は用いられなくなった。14世の時も行われていないが、現在、中国政府は、正式の高僧ラマの地位は金瓶籤引きと中国政府の認定によって保障されるとしている。

パンチェン転生時の混乱
 ダライ・ラマ14世は、1959年チベット人地域の叛乱のとき、ヒマラヤを越えてインドに亡命し、ダラムサラ―に亡命政府をおいた。これに対してパンチェン・ラマ10世は、中国共産党に従順でチベットにとどまった。ところが彼は叛乱30年後の1989年1月28日、チベット西部のタシルンポ僧院で、中共のチベット政策を糾弾する演説を行って参加者を驚かせ、その晩急逝した。天安門民主運動5か月前のことであった。
 パンチェン・ラマ10世入寂後、江沢民政権はタシルンポ僧院長のチャデル・リンポチェに命じて転生者探索委員会をつくり、「霊童」探索にあたらせた。ところがチャデル・リンポチェは、「霊童」はダライ・ラマ14世の認定を受けなければ正式ではないと考えて、こっそりダライ・ラマ側に探索経過を報告していた。
 1995年5月14日、突然ダライ・ラマは中国国内に住むゲンドゥン・チューキ・ニマ(6歳)を10世の転生者として認定したと発表した。これによってチャデル・リンポチェの隠密行動が中国側にばれてしまった。
 江沢民は激怒し、チャデル・リンポチェら関係者は逮捕、長期刑に処せられた。ゲンドゥンは父母と共に拉致された。その後、あらためて組織された探索委員会が3人の候補者を選び、政府関係者立会いの下で、金瓶くじ引きの方法で6歳のギェンツェン・ノルブをパンチェン・ラマ11世として選んだ。
 このとき、ゲンドゥンは世界最年少の政治犯といわれ、江沢民政権は国際世論から袋叩きにされた。しかも中国政府のねらいに反してパンチェン・ラマ11世は今日に至るまで、チベット人からは「ギャ・パンチェン」つまり「漢人の、あるいは偽物のパンチェン」と呼ばれ、ほとんど崇拝の対象にはなっていない。
 思えば、ダライ・ラマ14世が江沢民政権の公式発表を待ってから「霊童」認定を公表すれば、ゲンドゥンは正当な転生者になり、「ギャ・パンチェン」が登場する余地はなかったはずである。ちなみに中国外交部によれば、ゲンドゥンは大学を卒業しふつうの生活を送っているという。

モンゴルに「ジェブツンダンバ10世」転生
 ダライ・ラマ14世は88歳。いつ入寂し転生者探しが始まってもおかしくはない。にもかかわらず、楊氏が2023年12月7日に、なぜ高位ラマ転生問題を持ち出したのか。
 この1か月前、モンゴル・ウランバートルの少年(8歳、双生児?)が、「ジェブツンダンバ・ホトクト10世」であると認定された。認定したのは中国共産党が敵視するダライ・ラマ14世だ (東京新聞 2023・11・15)。わたしはこれが楊氏の論評執筆を促したかもしれないと思った。
 チベット仏教はチベットだけでなく、モンゴルや中国東北、シベリアの諸民族でも広く信仰されている。民族名「満洲」は「文殊=マンジュシュリ」からきている。
 モンゴルではジェブツンダンバ・ホトクト(聖なる尊者、略称ボグド・ゲゲン=聖なる師)が仏教最高の地位にあった。1911年清朝からの独立宣言以来、ボグド・ゲゲン8世はモンゴル国王(ボグド・ハーン)を名乗った。その後、政権を掌握した人民革命党が仏教を徹底的に弾圧したから、ボグド・ゲゲンの法統は、1924年8世の入寂と共に絶えたはずであった。
 ところが、その9世(1932~2012)はリタン(現四川省甘孜蔵族自治州)に転生し、その後彼はインドに亡命したという。これをダライ・ラマ亡命政府が公表したのは、モンゴルがソ連の束縛から脱出し人民革命党の支配が崩れた1991年のことである。
 それが今回は10世の「霊童」がウランバートルに転生したというのである。そうだとすれば楊氏の論評は、ボグド・ゲゲンの地位も、かつて清朝皇帝の認定によるものだったと注意を喚起する意味があったと思う。
 
転生制度は続く
 ラマ転生制度は仏教の輪廻転生思想から生まれたように見えるが、チベット仏教だけに存在するのであって、他地域にはない。そもそもシャカの教えからはかけ離れている。21世紀の今日、この制度を残す必要があるかという疑問を持つ人は多いと思う。かつてダライ・ラマ14世自身も、転生制度は自分で終りにしたいといったことがある。
 だが、わたしはチベット人地域で暮らしてみて、上は地方政府の高官から下は農牧民に至るまで、チベット人からラマの転生を失わせることは不可能と感じた。中国政府もこれはわかっており、寺院を厳密に管理することでチベット民族を統制下に置いているのである。亡命政府にしてみれば、チベット民族の象徴はチベット仏教とダライ・ラマであり、ラマ制度維持が亡命政府の使命である。
 そう時を待たずして、中国政府と亡命政府が「霊童」の真偽論争を行う日が来る。インドでは亡命政府の「ダライ・ラマ」が生れ、中国では「ギャ・ダライ」が「ギャ・パンチェン」と同じ運命をたどるのである。           (2023・12・15)

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