北京が打ったとっておきの秘策? ―台湾総統選へ「鴻海」郭台銘氏が出馬

著者: 田畑光永 たばたみつなが : ジャーナリスト
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 先週書いたアメリカ・フロリダに中国人の奇妙な女スパイが現れた一件にも驚かされたが、今度は17日、台湾の鴻海精密工業の郭台銘(68)董事長が来年1月の総統選へ向けて、野党国民党の候補者選びの予備選挙に参加を表明したのには、またまた驚かされた。
 ご存知の方も多いと思うが、「鴻海」(ホンハイ)といえば電子機器の受託生産では世界1の企業である。台湾はもとより、中国大陸でも各地に「富士康」の社名で工場を展開し、中国人従業員数約100萬人を擁して、米アップル社のスマホなどを受託生産。年間売上高は19兆円にも達するという。経営不振で身売りした日本のシャープの買い手でもある。
 台湾の政界は大陸寄りの国民党と独立志向の強い民進党が総統の座を奪い合う歴史をたどってきた。現在は民進党の蔡英文女史が総統であるが、国民党の馬英九総統時代の2015年11月7日には中国の習近平主席と馬英九総統がシンガポールで、内戦終結(1949年)以来初めての首脳会談を行った。詰めかけた600人もの内外記者団の前で両氏は1分20秒もの長い握手を交わし、話題になった。
 この時の両氏の親密ぶりが「統一近し」の印象を広め、台湾内部では逆に危機感が高まって、翌年1月の総統選挙での民進党の勝利につながったとさえ言われている。
 そして生まれた蔡英文政権は馬英九政権とは打って変わって北京との距離を広げる政策をとる一方、昨年来の「米中新冷戦」の余得というべきか、米トランプ政権との関係を深め、F16戦闘機の購入、パイロットの訓練、さらに国産潜水艦の建造への協力などを取り付けて、北京をいらだたせている。
 これに対して北京の側でも台湾に対する軍事的威嚇を強めている。3月31日には中国軍の戦闘機が台湾海峡の中間線を超えて台湾側に入り、台湾軍機がスクランブルをかける事態となり、4月15日には台湾南側のバシー海峡に艦艇5隻及び轟6K爆撃機4機を含む24機の軍用機を動員して、台湾南部に対する爆撃訓練を実施した。この日は台北で1979年の米中国交正常化によって米台間の外交関係が切れたのを補うために制定された米の「台湾関係法」の40年を記念する式典が米のライアン前下院議長らを迎えて行われており、中国による露骨な威嚇であった。
 このように「台湾海峡波高し」の雰囲気の真っただ中で来年1月に次期総統選挙が行われる。現在の情勢は、昨年の地方選挙で与党民進党が大敗を喫したために、再選を望む蔡英文(62)総統の人気が衰え、与党内から頼清徳(59)前行政院長(首相)が立候補を表明する事態となって、民進党にとっては苦しい情勢である。
 一方、政権交代のチャンスを迎えた国民党側では、これまでのところ王金平(78)前立法院長(国会議長)、朱立倫(57)前新竹市長、韓国瑜(61)高尾市長の3氏の出馬が噂されているが、この中での注目株は何といっても韓国瑜高尾市長である。この人は法学修士の学位を持つが、庶民気質丸出しが売り物で、立法院議員だった1990年代、後に民進党から総統に当選する陳水扁氏に議場で平手打ちを食わせて入院させたという武勇伝の持ち主でもある。
 そしてこの人が昨年の地方選挙では爆発的に人気を集め、長年、民進党の地盤であった南部の大都市、高雄市の市長の座を射止め、国民党圧勝のシンボルとなった。その勢いを駆って一気に来年の総統選に挑もうとしているわけである。
 このほか、民進、国民両党外から、柯文哲(59)台北市長も独特の人気を背景に無所属で出馬する構えと言われているが、この構図に何の前触れもなく、突如、郭台銘という超大物が舞い降りたのである。
 まず影響を受けるのは国民党であるが、本命と見られた韓国瑜氏との予備選が見ものである。庶民代表が売り物の韓国瑜氏と個人資産が日本円で8000憶円以上ともいわれる台湾1の富豪の郭台銘氏が同一政党で争うことになるが、どちらが勝っても、負けたほうの支持者は反感から、本番の総統選では勝ったほうへ投票しないのではないかといった予測とも心配ともつかない見方まで現れている。
 一方の民進党では、大陸で大きな工場を運営し、習近平主席とも「古い友人」を看板にする郭氏が総統になれば「統一は不可避」と、15年の馬英九・習近平会談以上に危機感をあおることができ、今の不人気を挽回できるのではないかという期待も生まれているやに聞こえてくる。
 もっとも早速、現職の蔡英文対郭台銘となった場合の世論調査の結果も伝えられた。台北の世新大学が17~19日に行った調査では、郭氏支持50.2%、蔡氏支持27.1%と20ポイント以上の差で郭氏有利という結果だったそうである。
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 さてここまでが、郭台銘氏の出馬宣言から20日現在までの現況報告であるが、どうもこの話には一筋縄ではいかない裏がありそうな気がしてならない。またかと思われるかもしれないが、聞いてほしい。
 企業の経営者という人種は危ない橋はわたらないのが身上であると私は思っている。危険が迫っていると感ずれば、それを極力、最小化し分散し、致命傷を受けないようにふるまうのが行動原則のはずだ。とくに台湾の経営者は根底に大陸と台湾という大きな対立がある中で、安い労働力や大きな市場がある大陸で仕事をするにあたっては、どちらの政権とも決定的な対立はもとより、過度の親密さも避けて、「細心のノンポリ」に徹するしかない。台湾の経済界からはまず政治的な発言は聞こえてこないのが常識であった。
 勿論、郭台銘氏も例外ではなかった。その郭氏が68歳という年齢で台湾の総統という地位に惹かれたとはどうしても思えない。私の推測にすぎないが、郭氏は総統選に出馬しなければならないところへ追い込まれたのではないだろうか。
 出馬を表明した17日、郭氏は「午前に幼少期を過ごした台北郊外・板橋の道教寺院を参拝し『夢で台湾に平和と繁栄をもたらせとの神のお告げを受けた』と意欲をにじませていた」(4月18日・日本経済新聞)そうである。人を煙に巻く答え方であるが、私はこの「お告げ」という言葉が氏の口をついて出たところにヒントがあるように思う。回りくどい言い方を避けて、結論を言えば、「習近平に言われた」のではないだろうか。
 昨年来の「米中新冷戦」には通商、ハイテクの保護、台湾の3つの要素がある。通商は貿易不均衡の是正であるが、これは長い交渉の結果、なんとかめどがついたように伝えられている。それに近接するハイテクをめぐる争いは簡単ではないが、ともかく問題をテーブルにのせてやり合っていれば、いつかはそれなりのルールができ、落としどころも見えてくるだろう。
 難しいのは台湾問題である。昨年10月の米ペンス副大統領のハドソン研究所における講演は、中国が外交的に台湾を孤立化させようとしているのを非難し、さらに「台湾の民主主義への支持は全中国人にとってよりよい道であると常に信じています」とまで言った。
 この言葉は受け取りようによっては、台湾の民主主義を中国に持ち込んで習近平独裁体制に取って代わらせようとしているとも読める。中国が「核心的利益」と位置付ける台湾統一を否定し、妨害するという意思表示に見える。
 当然、習近平のはらわたは煮えくり返っているだろう。こうなれば一日も早く、台湾を統一するしかないと思い詰めているとしても不思議はない。今年の正月、習近平は台湾向けの演説で統一の手段として武力行使も排除しないと明言した。
 とはいえ、実際に武力を使って統一しようとすれば、ボルトン補佐官ら対中強硬派に囲まれた米トランプ大統領がどう出るか予測ができない。なんとか台湾を話し合いで統一したい。そのためには来年1月の選挙で統一に前向きな総統が生まれるようにしなければならない。
 そこで習近平が熟慮の末、白羽の矢を立てたのが郭台銘氏ではなかったか。ほかでもない台湾1の経済人が統一の話し合いに応じようと言い出せば、職業政治家の言とはおのずと違った受け取り方をされるはずだ。幸いなことに郭氏は米トランプ大統領とも親しい間柄と言われるから、同大統領も乱暴なことはするまい――習近平渾身の一策はこうして生まれたとみることはできないか。
 もとより、これといって挙げられる根拠はない。しいて言えば、「神のお告げ」という言葉がつい口から出た郭氏のその時の心理状態にめぐらせた想像の産物である。ともあれこれから半年余にわたって繰り広げられる総統選へのさまざまな動きをみる視点の1つに「お告げ」の正体を見定めることも付け加えておきたい。(190420)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

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