2017.9.15 ◆首相官邸での記者会見で鋭い質問を浴びせた東京新聞記者に対して、「どうして政府の言うことに従わないのか」「殺してやる」という脅迫電話がありました。それを政府は誘発し、放置しています。「ファシズムの初期症候」は、安倍内閣の一時的支持率凋落や麻生副総理のヒトラー容認発言にもかかわらず、いっそう強まっています。一度後退したかに見えた残業代ゼロを認める「働き方改革法案」も連合の容認で再浮上し、自民党の9条改憲論議も再開されました。いうまでもなく、北朝鮮の核実験・ミサイル危機と、最大野党民進党のふがいなさ・敵失に便乗した、ファシスト安倍晋三の巻き返しです。世論調査では、不支持率も高いものの、軒並み安倍内閣支持率が回復しています。
◆本15日朝も、北朝鮮の「火星12」ミサイルで、日本はJアラートの空襲警報、韓国は 長距離空対地ミサイル「タウロス」実射で対抗、航空機で移動中の安倍首相はいつもの「動きは完全に把握」して「暴挙」糾弾・「制裁」強化、トランプ大統領は「グアムや米本土の脅威ではない」 とアメリカン・ファースト。「対話」の糸口は、つかめていません。金正恩独裁の冒険主義と米国トランプ大統領の気まぐれで、予測困難な戦争の危機がエスカレートし、韓国や日本も核武装すべきとか、非核3原則を改めて米国の核配備を明示すべきとか、きな臭い議論が出ています。そこで標的にされるのは、日本国憲法の、戦争放棄・戦力不保持・交戦権否定です。
◆平和主義・戦争放棄は、1928年の不戦条約をはじめ、二つの世界大戦の経験を経て、世界の憲法典に入っていきました。日本国憲法の独自性は、これを「戦力不保持」にまで、つきつめたところにあります。それは、日清・日露戦間期の1901年、日本で初めて生まれて即日禁止された社会主義政党、社会民主党の「万国の平和を為すには先ず軍備を全廃すること」という結党宣言の思想の延長上にありました。「戦争は素これ野蛮の遺風にして、明に文明主義と反対す、若し軍備を拡張して一朝外国と衝突するあらんか、其結果や実に恐るべきものあり」と軍人の専横・武断政治を予言し、「若し不幸にして戦敗の国とならんか、其惨状素より多言を要するまでもなし」と、勝っても負けても悲惨な戦争、軍備の放棄、非戦平和の決意を唱っていました。日本国憲法第9条は、米国の「押しつけ」ではありません。軍国主義の支配、敗戦の悲惨の体験と共に、日本の中に非戦平和を願う人々の伝統があったからこそ、1947年施行の日本国憲法は、国民から歓迎されたのです。
◆改憲問題とは、朝鮮戦争を機に米国から「他律的に押しつけられた」ものだ、と喝破したのが、本サイトの指針とする「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にし て起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」と述べた、政治学者・丸山眞男です。丸山「憲法第九条をめぐる若干の考察」(『後衛の位置から』未来社、1982所収)は、「改憲問題は、第9条が政治問題化したところから」出発した、といいます。占領中の米国が朝鮮戦争の基地である日本に警察予備隊を設けたため、政府も矛盾した答弁を重ね、それがサンフランシスコ講和・日米安保条約締結から保安隊・自衛隊へと展開して、9条2項「戦力不保持」に抵触するかどうかが争点になりました。1955年2月総選挙で、保守合同を控えた「自主憲法制定」勢力が国会議席の3分の2を占めることができず、「護憲勢力」が3分の1以上を確保できたことが、その後の長い「改憲問題」に連なったことを述べています。そのさい、護憲派も改憲側も平和憲法の「理想」は疑いないものとして、安全保障・防衛政策の「現実」との二元論を説く政府(解釈改憲)、憲法を大枠として核保有のような「自衛力の限度」を説く立場、それに丸山自身のように、憲法前文と第9条の「精神」にもとづき「現実」を「理想」に近づける「政策決定への不断の方向づけ」ととらえる立場が、ありえます。憲法が「平和国家」としての緊張緩和・軍縮への貢献を政府に要請している、という最後の立場からすれば、21世紀の防衛庁の防衛省への昇格、武器輸出・原発輸出、集団的自衛権容認と新安保法、そして北朝鮮に対抗する核保有論議の再燃は、「理想」そのものを投げ捨てて、核軍拡・「戦争国家」へと向かう、「改憲問題」の土俵そのものの変容を意味します。「ファシズムの初期症候」は、確実に増殖し、この国の身体と精神をむしばみ、蔓延しようとしています。
◆1940年に、日本は紀元2600年と銘打って、東京でのオリンピック、万国博覧会の同時開催が決まっていました。しかし、日中戦争の泥沼化と同盟国ドイツの欧州侵略戦争で、どちらも不可能になりました。日本の軍国主義化は、国際社会での孤立をまねき、太平洋戦争・敗戦に連なりました。いま辺見庸さんの『1★9★3★7』が読まれたり、NHKスペシャル「731部隊 エリート医学者と人体実験」や私の『「飽食した悪魔」の戦後ーー731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』が話題になったりするのも、「戦争国家」の実相を知ろうとする人々が、なお市民社会に根強く存在しているからでしょう。マスコミの中にも、NHK沖縄放送局制作のスクープドキュメント「沖縄と核」のように、史資料とインタビューにもとづくすぐれた調査報道が、残っています。森友・加計問題が安倍政権のアキレス腱であることは、変わりはありません。東京新聞記者への殺害予告やジャーナリストであるレイプ被害者の告発への支援・後続報道が弱いのは気になりますが、マスメディアでも 、ウェブ上でも、「戦争国家」への道と「平和国家」の理想に近づける道のせめぎあい・情報戦が、なお続いています。『「飽食した悪魔」の戦後ーー731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』の講演記録や正誤表・補足は、情報収集センターに。アントニオ・グラムシ没後80周年にちなんだ寄稿「現代社会科学の一部となったグラムシ」(『唯物論研究』139号、2017年5月)をアップ。原爆・原発問題で、私もちょっぴり出演している原村政樹監督の長編ドキュメンタリー映画「いのちの岐路に立つ~核を抱きしめたニッポン国」 は、大阪で9月23日ー10月6日淀川文化創造館「シアターセブン」で上映とのことです。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
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