占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について、情報をお寄せください!

著者: 加藤哲郎 かとうてつろう : 一橋大学名誉教授・早稲田大学客員教授
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symbolnonuke2014.11.14 明日は、 一年ぶりの上海です。北京の日中首脳会談が何とかぎこちなく成立し、永田町には安倍首相のご都合主義的解散風。政治は一寸先は闇といいますが、野党の準備が整わないうちに総選挙で勝てば、消費税ばかりでなく外交安全保障、エネルギー政策を含む与党のすべての政策は追認され、内閣支持率が40%前後に落ちた政権の求心力を回復できるだろう、という思惑が見え見えです。折から、九州電力川内原発再稼働から始めて、関西電力高浜原発は40年を越えても動かす方向、廃炉を含む原発費用は総括原価方式撤廃後も電気料金に上乗せすることまで立案済みで、安倍内閣が長期化すれば、日本が再び原発大国になりそう。16日投開票の沖縄知事選の結果如何にかかわらず、衆院選という国政選挙で押させこみ、来年4月の統一地方選挙に備える算段でしょう。社会運動に対しては、京大私服警官立入事件に機動隊導入で応え、かつての東大ポポロ事件最高裁判決にならって、大学の自治・学問の自由侵害を合理化し、特定秘密保護法施行の手はずを整えています。

私の方は、ちょうど11月初旬の「ゾルゲ・尾崎処刑70周年:新たな真実」国際シンポジウムで中国の現代史研究者の皆さんと交流し、中旬に中国海南島訪問・客員講義を控えて、日中ばかりでなく、米中・中韓などAPECとASEANの全体の進行が気になりました。案の定、中国と米国の首脳会談は特別待遇で長時間、「米中蜜月時代」を印象づけました。中国での私の講義テーマは「ジャパメリカからチャイメリカへ」と決まっていましたので、目先の国際関係ではなく、20世紀から21世紀の世界の長期展望の中で、日中学術交流の可能性を探ってこようと思います。

sorgecase11月8日のゾルゲ事件国際シンポで、即興で私のペーパー「戦後ゾルゲ団、第二のゾルゲ事件 の謀略?」に加えた口頭報告が、思わぬ反響をよんでいます。簡単には、時事通信高田記者がコラムにしてくれましたが、ゾルゲ事件731細菌戦部隊の接点という、国際会議開催直前に見つけた論点。幸い今年は、昨年の上海に続いて東京での会議だったので、日本語である程度話せましたが、舌足らずもあったので、本サイトでは久方ぶりの「尋ね人「国際歴史探偵」情報提供のよびかけです。占領期の右派カストリ雑誌『政界ジープ』とその発行元ジープ社社長で、731部隊残党の医師「二木(ふたき)秀雄」について、皆さんからの情報提供をお願いします。その経緯と理由は、拙著『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)の延長上のもので、以下に、関係者・研究者の皆さんにメールでお願いした探索依頼を、本サイト用にアレンジして載せることで、中国出発前の早めの更新としておきます。

11月8日の「ゾルゲ・尾崎処刑70周年:新たな真実」国際シンポジウムの翌9日、多磨霊園でゾルゲ・尾崎墓前祭がありました。そこにリヒアルト・ゾルゲとゾルゲ団の墓碑尾崎秀実家の墓があり、中国、ロシア、オーストラリアからの参加者も含めて、没後70周年の慰霊をしめやかに行いました。その帰路、多磨霊園のなかに、前日の私の報告で紹介した陸軍防疫給水部731部隊関係者の供養塔もあるというので、参加者と共に、捜してみました。手がかりはネット情報で「懇心平等万霊供養塔」としかなかったのですが、見つけることができました。何も書いていない731関係者供養塔の前 には、「JAP 731」という赤ペンキの落書と共に、誰かが最近備えたらしい花も、いっぱい 飾ってありました。残存731部隊医学関係者が、現在でも保守しているのでしょうか。

加藤の報告ペーパーにもなかった731部隊を出したのは、国際会議1週間前に、ある事実が確認できたからです。拙著『ゾルゲ事件ーー覆された神話』(平凡社新書)では、プランゲ文庫をもとにしたNPO法人インテリジェンス研究所の占領期雑誌・新聞データベース「20世紀メディア情報データベース」の検索から、ゾルゲらを「スパイ」と名指す記事・論文が現れるの は、1949年2月の米国陸軍省ウィロビー報告以降のことで、それ以前の1945−48年は、尾崎秀実愛情は降 る星の如く』がベストセラーになり「愛国者」「反ファッショ戦士」のイメージが支配的だった 、と書いています(32-34頁)。これ自体は間違いでなかったのですが、 今回の報告 にあたって、かつて渡部富哉さんから借りた渡部収集ゾルゲ事件記事・論文スクラップのコピーを眺めてみると、『政界ジープ』1948年10 月特集号の表紙 が、右の写真の毒々しい「尾崎ゾルゲ赤色スパイ事件の真相」となっていることに気がつき ました。ウィロビー報告以前では、唯一です。プランゲ文庫の見落としかと思って、山本武利教授監修のデータベースに再度 当たってみると、『政界ジープ』誌そのものは1946年8月創刊号か ら 49 年末の検閲解除まで特集号を含め全部収録されているのに、この48年10月特 集号だけが抜き取られて入っていないことがわかりました。この号が「ゾルゲ事 件特集号」 のため、占領期GHQ・G2歴史課米国側代表者で検閲コレクションの収集者ゴードン・プランゲ博士自身が、自分のゾルゲ本『ゾルゲ・東京を狙え』(原書房、1985年、もともと『リーダイス・ダイジェスト』1967年1月号の論文、翻訳者 千早正隆G2歴史課)を書くために私的に抜き 取り、公的コレクションに戻 さなかったのだろうと、一応考えています。

そこで、占領期右派カストリ雑誌『政界ジープ』と、発行するジープ社を調べ、社主で政界記事も書いている医師「二木(ふたき)秀雄」に行き着き ま した。当時競合する、佐和慶太郎の左翼カストリ雑誌『真相』は占領軍プレスコードによる検閲だらけで、以前早稲田大学20世紀メディア研究所の研究会で、検閲研究の資料として使ったことがあったのですが、『政界ジープ』は、ス キャンダル報道満載なのに、ほとんどGHQ・CCDの検閲を無条件でパスしています。しか も『政界ジープ』には、片山・芦田内閣批判、昭和電工 事件など、当時のGHQ・G2ウィロビー将軍らの意向と情報提供を受けたらしい記事が出ています。 そこで今度は「二木秀雄」をweb等で調べ、①金澤医大・陸軍医学校出身731部隊結核班(二木班)班長、②戦後医師をしながら『政界ジープ』を46年 8月から刊 行・ ジープ社社長、③朝鮮戦争が始まり、1950年11月に731部隊の残党内藤良一宮本光一と共に 日本ブラッドバンク設立(731部隊長北野政次らが加わり、64年株式会社ミドリ十字になり薬 害エイズをおこす)、朝鮮戦争時米軍負傷兵輸血等で巨額の利益、④二木秀雄は1953年参院選石川選挙区に無所属で立候補・落選、50年に731関係者同窓会「精魂会 」を結成して代表者となり、55年に多磨霊園の「懇心平等万霊供養 塔」(英語ではUnit 731 Memorial)を建立する、⑤1956年19件6960万円の暴露記事を使った「戦後最大の恐喝事件」 = 『政界ジープ』事件で二木も逮捕・廃刊、元記者たちからはトップ 屋・総会屋も輩出、⑥1970年代に二木秀雄は新宿繁華街 に24時間診療のロイヤル・クリニックを開きイスラム教に入信、戦前からあ る日本 ムスリム協会に対抗する大乗「日本イスラム教団」を設立、患者中心に 最高時自称5万人教徒で「一世を風靡」、石油危機後の中東石油利権狙いとも、 新宿の暴力団とつながる 夜の女の駆け込み寺とも解せますが、1992年二木秀雄の死 で自然消滅したようです。二木秀雄の墓も、多磨霊園にあり、上記経歴のほぼすべてが、事実として確認されました。

◆なぜ、検閲だらけの左翼雑誌『真相』とは違って、右翼の『政界ジープ』にはGHQの検閲がほとんどなく、49年2月ウィロビー報告以前の占領軍による事件の内偵中に、政論も書く二木秀雄が日本 で最初にゾルゲ事件を「赤色スパイ事件」と名付けたかを調べるため、別の調査方法も使ってみました。ゾルゲの「東京妻」に擬された石井花子人間ゾルゲ』角川文庫版183 頁に、「尾崎ゾルゲ赤色スパイ事件の真相という小冊子」のこと が 書かれており、内容はそれまでの報道と大差ないが「ゾルゲの処刑のことや死後の消息がは じめて書かれてあった」と出てきます。まさしく『政界ジープ』48年10月特集号のことです。これがそのまま、篠田正浩監督の映画 『スパイ・ゾルゲ』の花子回想シーンに、小道具として使われているとの情報もいただきました。そこで国会図書館サーチ、版元ジープ社刊行物を検索すると、400件余の出版物があります。その「出版年」 で調べると、雑誌のほか1946年は『連合国の日本管理方策』 『政党系図』 など9点、47年二木秀雄著『政界ニューフェース』など4点、48年1点、49年2点と、単行本の数はわずかです。ところが1950年に突然397点に急増、51年28点で以後単行本はありません。主力の雑誌『政界ジープ』も55年までで、恐喝事件で会社も消えます。当時のGHQによる 出版用紙の統制から考えると、異様な動きです。1950年=朝鮮戦争、日本ブラッドバンク設立、731同窓会「精魂会」結成時に、何らかのGHQとの取引で資金を獲得した可能性大です。二木秀雄は確かに医者ですが、1949-50年に厚生省医務局の雑誌『医学のとびら』を刊行して、厚生省とも結びつきました。出版内容では、大量の単行本を出した50年には、二木秀雄著『素粒子堂雑記』、アメリカ宣伝・G2広報に近い『これがアメリカ』『アメリカ留 学ノート』『労働とデモクラシー』『アメリカの味』、コロンビア大学同窓会名で 『闘うアメリカ』(坂西志保・ 鵜飼信成ら)『青年の国アメリカ』『恐慌とアメリカ』、反共本『マルクス主義の運命』『私は毛沢東の女秘書でした』『アメリカにおける共産主義者 の陰謀』などが刊行されます。このほか200点ほどの古典文学や『暴力なき革命への道』などの解説本、「ダイジェスト・シリーズ」が出ており、『リーダース・ダイジェス ト』にあやかったものでしょうが、占領期のハウツー本・ウィキペディア風です。いずれ にせよ、朝鮮戦争・再軍備の1950年に、二木秀雄とジープ社に巨額の資金が流れたようです。

◆「悪魔の飽食」731石井部隊の方から調べると、結核班長・二木秀雄の歩みは、石井四郎よりも内藤良一の近くで重なりそうです。敗戦当初、731部隊の人体実験標本は、中国から金澤医大に移して、隠匿されました。1946−47年に、石井四郎の生存が米軍に発覚し、ソ連と極東軍事裁判でも日本の生物兵器開発が問題になってきた時、細菌戦資料の米軍への独占的提供と引き替えに、石井四郎以下日本の医学界731関係者を免罪する、大きな「司法取引」が行われました。工作の中心は、731側の窓口で英語ができる内藤良一で、戦時風船爆弾に関わった亀井貫一 郎、元参謀本部の有末精三 (GHQ・G2歴史課)、服部卓四郎(同)らを介して、GHQ・G2ウィロビー、CIS ポール・ラッシュサンダース軍医中佐らに働きかけ、資料と情報を提供して、石井部隊全体の戦犯訴追が免除されました。二木秀雄 『政界ジープ』は、ちょうどその頃創刊されています。もしも二木秀雄が内藤の配下で、プランゲ博士、有末精三服部卓四郎河辺虎四郎荒木光子らのG2歴史課が財源・情報源だったとすると、1950年再軍備期の 日本ブラッドバンク創業・ジープ社の飛躍を含めて、上述した『政界ジープ』の特徴が了解できますが、まだまだ仮説の域です(二木秀雄個人はあまり出てきませんが、森村誠一『悪魔の飽食』、常石敬一『標的イシイ』『医学者たちの組織犯罪』、太田昌克『731免責の系譜』、青木冨貴子『731』等、参照)。なお、私の手元には、米国国立公文書館NARAのHPで現物がダウンロードできる米軍日本生物戦資料のほかに、 青木冨貴子さん『731』が使ったMIS亀井貫一郎ファイル、石井四郎のCIA及びMISファイ ル、CIA福見秀雄ファイル等があります。こ の問題を学術的に追及していきたいという方がいらっしゃれば、 katote@ff.iij4u.or.jp までご連絡ください。また上記に関する資料・証言等お持ちでしたら、ご一報下さい。

 

初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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