2月26日という日は、日本では1936(昭和11)年の2.26事件の起きた日として記憶されているのが一般的であろう。その15年前(1921年)の2月26日に、ロシアのクロンシュタット要塞の水兵達の艦隊総会で歴史に残るような(少なくとも私にとっては)決議がなされたことはほとんど知られていない。
伊東光晴は『現代経済の変貌』で、社会主義の失敗に関連して、クロンシュタットの水兵の反乱に触れている。水兵達の要求は、それが満たされていたらロシアの歴史が変わったかもしれない、真っ当にして(革命の原則から見れば)、画期的な(それまでのボルシェビッキ主導のロシア革命運動からすれば)、要求であった。しかし、この15項目の要求を正確に記したものは意外なほど少ない。伊東も15項目全体については書いていない。私の知る限りでは、P.アヴリッチ『クロンシュタット1921』が全文を収めているだけである。
15項目の要求は今読んでも新鮮である。この要求が実現していたら歴史は変わっていただろうと思うし、この要求が入れられなかったことにロシア革命の限界があったのだとも思う。革命の良心を持って赤軍に立ち向かったクロンシュタットの水兵達の思いが集約されたものとして、1921年2月26日に、戦艦『ペトロパブロフスク』艦上で決議された15項目の要求全文をここに再掲しておくことにしたい(前掲アヴリッチ、p.77-78より)。伊東がとりあげたのは、11番目と15番目の項目である。そして第1から第3の項目は、まさに、ローザ・ルクセンブルクがレーニンを批判した際の、「別な風に考えることの自由」の要求そのものである。
水兵の反乱は、赤軍によってあっけなく鎮圧された。当時の厳しい軍事情勢のなかでは、この反乱は白軍を利するものであり、それ故に「反革命」だとされてきた。しかし、アヴリッチの丁寧な紹介を読めば、そういう言い訳はにわかには信じ難い。伊東は「クロンシュタットの反乱鎮圧は、レーニンの汚点のひとつかもしれないのであり、これを指揮したトロツキーも批判を免れることはできないのである」(353頁)とする。反論はない。敢えて付け加えるとすれば、「革命は1921年に滅びた」(アヴリッチ、前掲、277頁)のであり、そして、それはレーニンとトロツキーによって滅ぼされた、と考える方がずっと自然である。
[決議文 全文]
艦隊乗組員総会によってペトログラードの状況を調査するためその地へ派遣された代表団の報告をきいて、われわれは決議する。
1 現在のソヴェトは労働者と農民の意志を表現していない事実にかんがみ、すべての労働者と農民への事前に扇動をおこなう自由とともに、即時秘密投票による新選挙を実施すること。
2 労働者と農民に、アナーキストと左翼社会主義諸政党に、言論及び出版の自由を与えること。
3 労働組合と農民諸組織に集会の自由を確保すること。
4 遅くも1921年3月10日までに、ペトログラード、クロンシュタット、およびペトログラード県の労働者、赤軍兵士、および水兵の無党派集会を召集すること。
5 労働ならびに農民運動との関連において投獄されているすべての労働者、農民、兵士、および水兵と同じく、社会主義諸政党のすべての政治犯を釈放すること。
6 監獄と強制収容所に抑留されている者たちの一件を再検討する調査委員会を選出すること。
7 いかなる政党もその理念の宣伝において特権を与えられたり、かかる目的に対して国家の財政的援助を受けてはならないがゆえに、すべての政治部を廃止すること。その代わり、地方的に選出され国家によってまかなわれる、文化ならびに教育審議会が設置されるべきこと
8 すべての道路遮断分遣隊を即時撤収すること。
9 健康に害のある職種に雇われている者を除いて、すべての勤労人民の配給量を平等化すること。
10 工場と作業場において監視の任務につけられている共産党警備隊と同じく、軍隊のすべての部署における共産党戦闘分遣隊を廃止すること。そのような警備隊あるいは分遣隊が必要であると判明したときには、それらは軍隊では卒伍から、工場と作業場では労働者の判断によって任命されるべきこと。
11 農民が自身の手で、すなわち、雇用労働を用いることなく生産するという条件のもとで、農民に土地にかんする完全な行動の自由を、また家畜を保有する権利をも与えること。
12 われわれの同志士官学校生徒(クルサントゥイ)と同じく、軍隊のすべての部署に、われわれの決議に裏書きを与えるよう要請すること。
13 新聞がわれわれの決議の一切を広範に報道するよう要求すること。
14 巡回統制局を任命すること
15 自身の労働による自由な手工業生産を許可すること。
艦隊総会議長、ペトリチェンコ
書記、ペレピョールキン
伊東光晴『現代経済の変貌』(岩波書店、1997年)
P.アヴリッチ『クロンシュタット1921』(菅原崇光訳、現代思潮社、1977年)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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