「百年に一度の津波に襲われたようなものだ」。これはアメリカの発券銀行であるFRB(連邦準備制度理事会)の元議長グリーンスパン氏が、2008年の金融危機に対する責任を問われた際に、吐いた言葉である。「百年に一度の危機」と言い換えられてすっかり有名になったが、この危機に関しては、これ以外にも忘れ難い名セリフがある。「音楽がやまない限り、我々は踊り続ける。そして音楽はまだ止んでいないのだ」。バブルに踊り続けた理由を言い表わすのにこれほど適切なセリフもなかろう。言ったのはアメリカのシティーグループのCEO、チャック・プリンス。2007年7月のことであった。実際、彼らは踊り続けた。その結果がどうなったかはここで紹介する必要もあるまい。
「音楽がやまない限り…」というセリフはどこかで聞いたことがあったのだが、キチンと採録して貰わない限り、思いだすことは難しかったと思う。それをジリアン・テットが『愚者の黄金』でやってくれた。経済関係の本の賞を取った本だというが、2008年の金融危機において、何が、そして誰が、その危機を引き起こしたのか、その時、その渦の中にいた人々がどう動いたか、それを実に興味深く描いている。
どうでもいいことだが、テットは美人である。写真を見てそう言うのではない。彼女がフィナンシャル・タイムスの東京支局長をしている頃に彼女に一度会ったことがある。もう10年以上も昔のことであるから、彼女はまだ若かった。その時、「天は二物を与えず」というのは嘘だな、と思った。
この本は出版されたときにすぐに読むべきだったのだが、「一物も与えられなかった人間」としては、「二物を与えられた人間」の本をどうも素直に開く気になれなかった。最近別の本を探していて、偶然この本が目に触れたので読んでみた、というのが本当の理由である。読んで思ったのは、「天は彼女に三物を与えた」ということだ。美人で聡明であることは昔から知っていた。その上、彼女には文才まであった。
経済過程を描く本は、それが「現状分析」に関するものであっても、全く無味乾燥になりがちである。経済を見る人間=観察者はどうしても、機構や構造といった抽象的な概念からアプローチしがちだからだ。しかし、本当は機構などといったものだけで危機が発生するわけではない。歴史はいつも人間がそこに加わって動いて行くのである。それなのに、生身の人間を排除してしまうから、つまらないものになってしまう。
テットはそんなことはしない。2008年危機の遠因となったCDS(クレジット・デリバティブ・スワップ:簡単に言えば「貸し倒れ保証債権」か)の「発明者」たちやその周辺の金融人たちの人間臭い活動を追いかける中で、本来は危険を分散するはずだったこのCDSが、如何にして大金融機関を「踊り続け」させ、破綻させることになったかを描いていく。あの経済上の事件をこんなふうに書けるのかと思ったら、案の定、テットは大学では経済学ではなく、「社会人類学」を専攻した人間だった。彼女が今回の金融危機に最初の警告を発したのは2005年のことだったという。
先見の明に頭を下げなければならないが、しかしあの柔らかい物腰と顔を思い浮かべると、どうしても「その声でトカゲ食うかやホトトギス」と思ってしまう。
ジリアン・テット『愚者の黄金─大暴走を生んだ金融技術』(日本経済新聞社、2009)
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