神保町の古書店街に行くたびに寄る古本屋がある。名前は知らない。本を買って、袋に入れて貰うこともあるが、その袋にも名前は入っていたことがない。数冊しか買わないときは、袋さえ貰わない。買うのは100円か200円の均一価格の安い本ばかりだから、そういうものだと思っている。その日(2012年の8月)もその古本屋で本を立ち読みしていた。
『信濃川ものがたり』という題名の本が目に飛び込んだ。それはいいのだが、発行者が新潟の地元紙でありながら、編集者が信濃毎日新聞社となっている。これは長野県の新聞社だ。信濃川は、場所によって名前が変わる。信濃川というのは新潟県での呼び名で、長野県では千曲川と犀川になる。犀川の上流はさらに梓川という美しい名前になる。その長野県の新聞社が「信濃川」という名前を使うなんてことがあるのか。そう思って手に取った。
最初の話が、新潟県旧南蒲原郡中之島村(現在は長岡市)の信濃川を舞台にした猟奇的殺人事件であった。実に奇妙な殺人事件であった。暑い日であったが、時間のたつのを忘れて、立ち読みを続け、この話を読み切った。しかし、『信濃川ものがたり』を買うことはなかった。面白い本だが、手許に置くほどのものではない。そう思ってしまったからである。しかし家に戻ってから、この猟奇的殺人事件の些細な部分がやたらと気になりだした。
この事件は米騒動のあった年(一九一八年)に起きた。米騒動の背景には米の買い占めがあった。それがこの猟奇的事件に関係している。Yという中之島村出身で、旧制長岡中学─旧制四高─東京帝大(農科大学校)というコースを通って農林省に入った当時のエリート官僚が、米価の暴騰の中で米を買い占めていた外米商(「鈴弁」と呼ばれていた)を金のもつれから殺して、遺体をバラバラにしたうえでトランクに詰めて、信濃川に遺棄した。そのトランクが川のなかで見つかり、遺棄死体が現れた。ほどなくして加害者が割り出され、Yは死刑になった。これが日本で最初のバラバラ殺人とされる「鈴弁事件」の概要である。
そうなると、どうしても『信濃川ものがたり』を手許においておきたくなり、数日後にまた同じ古本屋に行って探した。しかし、もうなかった。古本は目に付いたときに買わなければ、二度と会えない確率が高いということを思い知らされただけである。そしてそれ以来『信濃川ものがたり』には出合っていない。
そして鈴弁事件のこともいつの間にか忘れてしまった。ところが昨年の9月、同じ古本屋で安いという理由だけで入手した徳田秋声『縮図』を読んでいて、また「鈴弁事件」に出合った。驚いた。入手した『縮図』は1946年小山書店刊の初版本であったが、その188頁には「其の頃世間を騒がしていた鈴弁事件」と書いてある。さらに223頁には「鈴弁とは比較にならぬ知恵者」という言葉が出てくる。『縮図』は日本の自然主義文学の傑作だというが、どこがいいのかさっぱり分からなかった。ただ「鈴弁事件」のことだけが印象に残った。『縮図』が新聞小説という形で書かれたのは1941(昭和16)年のことであるが、そのころにもまだ「鈴弁(事件)」は何の説明も無しに通用するくらい有名な事件であったということになる。しかし、今では「鈴弁事件」のことなど、誰も知らないであろう。私も去年の夏、『信濃川ものがたり』を立ち読みするまでは全く知らなかった。買いそびれた古本と何の考えもなしに買った古本とが「鈴弁事件」でつながっているのかと考えると、古本には奇妙な因縁を持っているものがあるようにさえ思えてくる
信濃毎日新聞社編(?)『信濃川ものがたり』(新潟日報事業社、出版年不詳)
徳田秋声『縮図』(小山書店、1946年)
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