これまでこの報告で新刊を取り上げたことはない。新刊の書評は様々なメディアでなされているし、この報告を使ってそれらを読むことを薦めるつもりは毛頭ないからだ。しかしその著者がもう少し生きていて欲しかった人間で、その死去が残念でならない場合はやはり別だと考えることにしたい。
11月28日の朝日新聞の書評で黒岩比佐子氏の『パンとペン』が取り上げられていた。高い評価がなされていた。それは驚くことでもなんでもない。しかし、書評の末尾で、黒岩氏が11月17日に亡くなったことを知ったときは驚いた。同氏がかなり重い膵臓癌と闘っていることは、そのブログ等で知っていた。気丈な人だったらしく、癌との戦いにも暗さはほとんど見せなかった。だからであろうか、彼女の癌との闘いは少なくとももう暫くは続くはずだと勝手に思い込んでいた。しかし、癌はこの有能な記録者にして叙述者を我々から奪い去ってしまった。彼女はまだ52歳という若さであった。
そして『パンとペン』は黒岩氏の遺作となった。本書は、大逆事件後の「冬の時代」を「売文社」を根城にして生き抜いた堺利彦の闘いの記録である。一般にはこの時代の堺のことはほとんど知られていないとされる。もっとも、この読書報告を読まれるような人間にとっては、そんなに未知のことでもないであろう。例えば、荒畑寒村の残した回想録を読めば、間違いなく「売文社」と堺の思い出は出てくる。『パンとペン』の価値はだから「売文社」やその時代の堺のことを掘り起こしたこと自体にあるわけではない。その価値は「売文社」の時代の堺のことに係る膨大な文献、しかも国会図書館にもないような稀覯文献を探し出し、それを組み立てたことにある。「売文社」の一員であり、のちに高畠素之とともに国家社会主義に向かった遠藤友四郎の著書『社会主義者になった漱石の猫』や、この時代の堺を中心にした「売文社」のメンバー(大杉栄、寒村、高畠ら)をモデルにした木下順二の戯曲「冬の時代」の公演時のパンフレットにまで光が当てられている。私はこのどちらの存在も知らなかった。
巻末の文献リストを眺めれば、黒岩がどれだけの文献を渉猟したかが分かる。彼女はそれを集め、読み解き、一冊の本としてまとめた。そしてその本の完成を見届けて、死んだ。朝日の書評は、すでにこの本を「名著」としている。今後、「売文社」時代の堺は『パンとペン』を抜きには語ることはおそらく出来ないであろう。それだけの本を残せたのだから、著述者としては大きな「成果」を残せたといえるのかもしれない。
だからといって黒岩が満足して死んだとは思えない。明治期の古書の収集家としても知られていた彼女にはまだ書きたいことが山積していたのではないか。私よりも一回りも若い彼女には、癌にさえ冒されなければまだそのための時間はあったはずだ。しかしもう彼女の新しい作品を読むことは出来ない。彼女の最後の作品となった『パンとペン』を読み返すことくらいしか出来ない。そうすることを薦めたいと思う。
黒岩比佐子『パンとペン』(講談社、2010)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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