大中華民族の形成は可能か――ラサ「暴動」10周年

――八ヶ岳山麓から(252)――

毎年3月に入ると、中国のチベット人地域は至るところ警察と武装警察と軍隊だらけの戒厳状態になる。今年もそうだろう。10年前の2008年北京オリンピックの5ヶ月前、3月14日ラサで大きな「暴動」があったからである。これを中国では「314(サンヤオスゥ)」とよぶ。
この日、チベット自治区ラサの八角街に民族の独立とダライ・ラマのラサ帰還を求める僧侶・尼僧数百人のデモが起きた。一般チベット人1万余がこの後に続いた。
テレビの映像では、デモのチベット人が漢人の商店を打壊し放火し、なかには長刀をふりまわして暴れまわるものがいた。中国のメディアは、商店など900戸余りが焼かれ、武警や一般人18人が死に、負傷者数百人、損害は2億8千万元(当時45億円)と伝えたが、デモ参加者の死傷者については言及しなかった。
私の勤務していた大学ではさっそく「蔵独(チベット独立派)」の乱暴狼藉の写真パネルを構内に貼りだした。漢人学生はそれを見て「タマーダ(こんちきしょう)」とチベット人を罵った。チベット人学生はパネルの前を足早に通り過ぎ、それから「これは謀略だ」といった。

毛沢東主義の「烏有之郷」ネットによると、治安情報機関は以前からネパールからヒマラヤを越えてラサに潜入した「蔵独」の動きを掌握していた。それによると、「ダライ集団(亡命政府)が中国国内に派遣した『蔵独』は140人余。まず3月10日にデモをやって過去の逮捕者を釈放するよう要求し、3月14日にラサと全チベット人地域で独立大暴動を起こす」という。
中国共産党中央はこれを事前に取締まるのではなく、打たせて取る方法をとった。国内外に「蔵独」悪党集団のやり口を明らかにする機会を待ち、存分に暴れさせ、監視カメラで証拠を固めて事後一網打尽にするというのである。
青蔵鉄道は兵隊と戦闘車両と補給物資を載せてラサにむかった。そしてことは想定通りに運んだ。4月9日までに逮捕したものは953人。その後も逮捕は続いた。
騒動はチベット人地域各地の町に広がったが、その参加者は待ちかまえていた武警部隊などにけちらされ逮捕された。山の放牧地に逃げたものも出たが、警察は逃亡者を捕まえるために地域住民全体の身分証明書を更新した。中国では身分証明書をもたないと生活できない。

私は「314」を極左冒険主義だと思った。漢人などに訴えるものが何もなく、損害ばかりが大きかったからである。中国当局のいう通り亡命政府の青年組織がやったとすれば、彼らはチベットの情勢がわかっていなかった。
中国のネットには、「独立派は皆殺しにせよ」「鎮圧に手加減をするな」といった声が満ちた。いまも民族運動に対する漢人の世論はこれに尽きるだろう。だが当時の国際世論は中共中央の思惑とは異なりチベット人に同情的で、ヨーロッパ各地で北京オリンピック聖火リレーを妨害した。中国政府のメンツは丸つぶれになった。

「314」の前のことだが、社会科学院のさる幹部は「彼らにはもともと統治能力がない」と話した。無能な彼らに代って漢人が統治してやっているという論理である。これと同じことを私はソ連時代のタシケント(ウズペキスタンの首都)でロシア人から聞いた。
言いたくはないが一般漢人も同様で、漢語漢字がわからない少数民族をバカだといい、彼らの習俗や生業を「遅れた」ものと軽蔑する場面にしばしば行き当たった。仏教やイスラム教は観光の対象でしかない。
21世紀に入ると「大国崛起」とか「大中華民族の復興」の合唱がこれに加わった。大中華民族の標準語も中国の圧倒的人口を占める漢人のことばでなければならないとなった。
「314」から2年経って、2010年に青海省当局は「小学校では2015年までに漢語を主とし民族語を従とする2言語教育を実現する。民族中学に対してはその実現時期をもっと早める」という方針を発表した。このときすでにラサやウルムチでは小学校の教室用語が漢語になっていたが、青海では、漢語優先政策に対する抵抗運動がチベット人中高生を中心に澎湃として起きた。チベット人の退職官僚も反対の声を上げた。チベット人挙げての抵抗に恐れをなした青海省当局はいったんこの通達をひっこめたが、その後漢語による教育は着実に進んでいる。

私は1918年の朝鮮民衆の三一独立運動や、翌年の中国知識人による五四運動(1919年パリ講和会議後に起こった抗日運動)を連想した。戦前の日本は、植民地の台湾・朝鮮はもとより、中国はじめアジア各地をも日本の「より高等」の論理で支配すべく「大東亜戦争」という蛮行をおこなった。
いま青海では、町だけでなく田舎でも小学生同士の会話が漢語になりつつある。これは戦前の台湾・朝鮮の状態とよく似ている。支配者が日本軍国主義か中国共産党かの違いだけである。
「314」ののち、ある漢人学者がチベット人僧侶は僧侶である以前に中華民族であり「中国国民」でなければならないといった。これは中共中央にとっては重要なところで、確かに中国領に住む少数民族が中国への帰属意識を持たなかったとしたら、大中華民族は形成できない。
だから中国当局は、祖国分裂主義者としてダライ・ラマの権威を落すべく、口を極めて批難している。だが、残念なことに、チベット人は高級官僚ですら一様にダライ・ラマを心から崇拝している。彼を敬う気分はモンゴル国やロシアもふくめたチベット仏教の僧俗信徒全体におよぶ。ダライ・ラマを非難中傷している限りたとえ若者であっても、チベット人が自身を大中華民族の一員だと思い、中国を「わが祖国」と実感する日は来ないだろう。

少数民族が独立だの自治だのと問題を起こすたび、現地警備当局は以前よりも強硬な態度に出る。新疆では1980年代からウイグルやカザフなどチュルク系ムスリムの民族運動を武力で鎮圧してきた。当然、やられる方には仇敵意識が高まり、激しい殉教精神が生まれる。アルカイダやISを引くまでもなく、これは悪夢だ。
モンゴルが静かに見えるのは、モンゴル自治区では漢人の移住が増加しモンゴル人が10数%とごくわずかになったからである。チベット人は仏教の教えから、テロではなく焼身自殺の道を選んだ。当局は焼身自殺を「反中国」として、自殺した人間の代わりにその肉親や友人を逮捕する。
だが力ずくの少数民族政策では、終身支配を着々とすすめる習近平氏にも大中華民族の形成はきわめて困難ではなかろうか。
毎年3月が来るたび、私は「314」を思い出し、中国少数民族の前途多難を思うのである。

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