政治の世界で女性議員の数があまりにも少なく、国際的に「ビリ状態」であることは知れ渡っています。「クオータ制」など女性比率を高める提案が始まっていますが、これも実現にはほど遠い。ところで会員任命拒否問題で注目が集まった日本学術会議も、かつては女性会員ゼロでした。今は大きく改善されていますが、今回任命拒否された会員候補の中には著名な女性学者もいて、ジェンダー平等の流れに逆行するという疑問も出ています。
しかしもっと問題なのは、大学の学長(総長)の女性比率の低さではないでしょうか。朝日新聞が5月29日から31日まで3日間にわたって首都圏を中心にした私立大学の広告特集を載せましたが、全部で19大学中、男性学長は17人、女性学長は駒澤大学と東洋大学の2校だけでした。そのお二人とも、わざわざ「2020年~」または「2021年~」という但し書きが付いているのです。それなら法政大学は「2021年までは女性総長」と書くのですか、とツッコミたくなりますが。ここには日本女子大や東京女子大のような私立女子大が入っていないから、女性学長の数はもう少し多いと思うけれど(2021年現在両女子大とも男性学長)、2020年段階の文部科学省の学校基本調査によると、日本の大学における女性学長の割合は全体で11.9%、私立大学では11.6%にとどまっています。
わたしは、1990年から2000年まで公立女子短大の教員でしたが、学長は歴代男性でした(もちろん女性差別などしない立派な方たちでしたが)。1995年の北京会議を受けて「アファーマティブ アクション」が政策として取り上げられ始めるころでした。そのころ学長は完全に教員の選挙でえらばれていたのですが,候補者は全員男性だった。わたしが「どうして女性の学長が出ないのですか?」と先輩教授に尋ねたら「女性にはとても務まらないよ」と言われ、思わず「おや、わたしでもやれと言われれば学長ぐらい務まると思いますが」とつぶやいて、モーレツな反発を買ったことがあります。
「学問の世界に男女差はない」と信じられていたのは昔の話。今は女性史だけではなく、あらゆる分野の学問にジェンダーの視点が問われる時代です。それは「女性の権利」のためだけではない、すべての人間の「多様性や人権,生命,平和に敏感になる」ことを問う視点だからです。女性だけがそれをとりあげるわけではなく、わたしの属する「総合女性史学会」でも男性研究者が有力な担い手になりつつありますが、そこでも感じるのは男性研究者は少ないながら大学などでポストを得ている方がおられ、学会の事務局や研究会場確保に研究室を提供してくださるケースがあるのに対し、女性は「在野」が多く、せいぜい「非常勤講師」が多いという事実です。女性が大学等の研究機関に少数であることが、学長の選出にも影響を及ぼし、学問が立脚すべき原点を見失う一因でもあると思っています。わたしは、学術雑誌や単行本で複数の編集委員会や執筆者がいる場合、そこに「女性がいるか?」と気にしてしまうのですが。
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