人間が弓矢を使い始めたのはいつごろか。私にはまるで見当がつかないが、初めて矢に当たった人はどれほど驚いたことだろう。それまでも闘いはたくさんあったはずだが、そこで使われた武器は棒や刃物や、あるいは砕いた岩石なども「飛び道具」として使われたにしても、相手はまあ目に見えるところ、手の届くところにいたはずだ。
弓矢となると話が違ってくる。狙われていることに気が付かなければ、相手を見ることもなしに怪我をしたり、命を落としたりすることになった。戦いは大きく変わったはずだ。
それに匹敵する変化が今また進行中、ということになるのだろう。昨年2月からのウクライナ侵攻戦ではロシア軍がイラン製の無人機を大量に使っていると聞く。第二次大戦で爆撃を受けた経験のあるわれわれ世代にとって、上空高く悠々と飛びながら焼夷弾を情け容赦なくまき散らすB29 がどれほど憎かったことか。ところが、今後は爆弾を落とす飛行機には人間さえ乗っていないということになりそうだ。
そんな飛行機がやみくも(とも言えなくなりそうだが)に落とす爆弾で命を落とすことになったら、その瞬間、どんな気持ちがするのだろう。憎しみの対象さえ与えられずにこの世に別れを告げねばならないとは。ところが次は、さらにとしか言いようがないが、飛行機さえもいらなくなりそうな雲行きだ。
こんな縁起でもないことをいやでも考えさせられるこのところの気球騒ぎである。真っ白い大きな気球がゆっくり浮いているのをテレビで見せられたのは先月末だった。それが北米大陸上空を西北から東南へ横断して大西洋へ出たところで、米軍の戦闘機に「撃墜」された。今月の4日だった。
しかもそれで一件落着ではなく、数日おいて10日にアラスカで、翌11日はカナダで、12日にも米の五大湖地方で、と立て続けに3個の「飛行物体」が撃墜された。最初は気球で2個目からは飛行物体と呼び方が変わったのは、2個目からは最初のほどの大きさはなく、構造も簡単らしいからのようだが、どれも気球は気球のようである。
「空にゃ今日もアドバルン」という歌詞が昭和の初めの流行歌にあったが、それはおそらく当時の新しい風景を象徴していたのであろう。それが爆弾を積んで最新兵器として復活したとすれば、やはりこれも技術の進歩の範疇にはいるものなのだろうか。
最初の気球が上空からの偵察用なのか、あるいは爆弾を落とせる爆撃用なのか。もし後者だとすれば、今のところほかに気球爆弾を保有する国が現れたという話は聞かないから、この分野で中国は念願の世界のトップに立ったわけである。「習近平新時代の中国の特色をもった社会主義の偉大な勝利」ということになる。
しかし、それにしては中国の態度がいま一つはっきりしない。当初、米の「中国の爆弾か」という推測に対して、「気象状況を調べる民間会社の気球の進路がくるって迷い込んだ」と言っていた。しかし、それが何という会社で何を調べていたのかと追及されると、黙ってしまい、米から国防相同士の電話会談を持ち掛けられても応じなかった。
この経緯は、民間会社説そのものが急場を取り繕うための嘘であったことを自ら告白したようなものだ。そこで次は「中国の上空にも米の気球が侵入した」という逆襲に出た。中国外務省の王文斌副報道局長が13日の記者会見で「昨年1年間に米の気球が10回あまり中国に侵入した」と主張し、「米国がまずやるべきは反省することだ」と述べたそうである。そして「米国の気球が今後も中国の領空に飛んできた場合、必要な手段をとる権利を留保する」とも。
この外務省の新しい台詞の前触れのように、山東省青島市の海洋発展局という部署が前日の12日、山東半島沖で「正体不明の飛行物体が発見され、撃墜の準備をしている」と発表した。しかし市当局は「飛行物体がどんなものかまだ知らされていない」と説明しているという。(14日『日経』朝刊)
揚げ足をとるようで気が引けるが、発見して撃墜の準備をしている当事者が「どんなものかまだ知らされていない」というのも奇妙な話である。しかも、その飛行物体が確認されたのは山東半島の南沖約60㎞の海域だという。領海というのは沿岸から12カイリ(22.2㎞)以内だから山東半島沖60㎞は領海外の公海である。撃墜するなら、領海の上空を含む中国の「領空」を飛行していたことを合理的に説明しなければならない。中國側の主張の正体は「どんなものかまだ知らされていない」という青島市当局の言葉が明らかにしているのではないか。
勿論、最初に米が撃墜した気球の正体もまだ明らかになっていない。軽はずみにきめつけることは慎まなければならない。しかし、この問題で肝心なことは、気球爆弾などという危険千万なものが、今でさえなければいい兵器がいやというほど積み上げられているこの地球上にさらに上積みされるのを防ぐことだ。
日々、ウクライナから送られてくるニュース映像は、武器と生身の人間がぶつかった時の悲惨を今さらながら思い知らせる。気球が地上からの操作でどの程度に制御が効くのか分からないが、どうしたって風任せの部分は残るだろう。そんなものがふらふら飛び回る世界になるとは想像もしたくない。
それにしてもこの一件における中国政府の対応はなんともしまりがない。まずことが明るみに出たのは米のブリンケン国務長官が訪中する直前であった。同長官といえば、2年前の3月、米アンカレッジで中国の当時の楊潔篪国務委員、王毅外相と記者団の前で怒鳴り合いを演じた1人である(もう1人は米サリバン大統領補佐官)。したがって両国政府とも今度の同長官の訪中を関係修復のきっかけにしようとしていたことは間違いないだろう。
その直前にこんな事件が起こったとは、どういうことか。結果は同長官の訪中は中止され、両国関係はいっそうギクシャクしたものとなった。中國政府がそれを望んだのか、あるいは別の勢力が望んだのか、それともまったく別の思惑でのことか、いずれもないとは言えないし、どれと決めつける材料もない。
しかし、昨年10月の第20回共産党大会で総書記3選を勝ち取った習近平政権ではあるが、「1人勝ち」の表看板の内側のタガは相当に緩んでいることをうかがわせる1件であることは間違いない。(230214)
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