天皇のモンゴル訪問を中国はどう見たか

ーー八ヶ岳山麓から(531)ーー

徳仁天皇夫妻は7月6日から13日までモンゴルを訪問した。モンゴル政府が全力で接待する様子、天皇夫妻が行く先々で歓迎される模様はテレビでも毎日報道された。これに関して7月9日に中国共産党中央機関紙人民日報傘下の国際紙「環球時報」は、「日本はなぜモンゴルに接近するか」と題する論評を発表した。筆者は李超氏で、内モンゴル社会科学院「一帯一路」研究所の副研究員という。

李超氏は、天皇の外国訪問を「前世紀70年代以降、『天皇外交』は戦後日本外交の重要な一翼を担ってきた」とみて、「今年は世界反ファシズム戦争勝利80周年に当たり、中国では「七・七(盧溝橋)事件88周年が過ぎたばかりなのに、なぜ日本はこの特別な歴史的節目にモンゴルへの接近を選んだのだろうか」と強く否定的な口調で疑問を投げかけている。
李超論評の要旨は以下のようなものである。

〇今回の天皇のモンゴルでのいわゆる「弔問」活動は、自国の被害者の視点に焦点を当て、加害責任を回避する日本の誤った第二次世界大戦の歴史叙述を継承するものとみなすことができる。
〇また、日本は「自由で開かれたインド太平洋」というビジョンの下、モンゴルや東南アジア諸国との二国間関係発展において、概ね一貫したペースを維持してきたことも特筆すべきことである。徳仁天皇の即位後初の国賓訪問も、石破茂の就任後初の訪問も同じインドネシアだった。昨年8月、岸田文雄首相(当時)はモンゴル訪問を予定していたが、同国に地震警報が発令されたため中止した。
〇日本はモンゴルを政府開発援助(ODA)によって支援しており、空対空レーダー装置を提供することで、モンゴルを安全保障能力強化支援(OSA)の枠組みに組み入れた。
〇一言で言えば、日本政府は、外交における天皇のユニークで柔軟な役割を活用し、モンゴルを重視していることを示し、この地域における日本の戦略的プレゼンスを引き続き強化し、世界的に「(自由と民主主義の)志を同じくする」関係を築き、「ミドルパワー」を発揮して中国を牽制しているのである。

7月7日となれば、中国が日本に対して歴史に対する責任を追及するのは毎年のことである。日本は、1931年9月18日の「満洲事変」に引き続き、37年7月7日夜半、北平(北京)近郊の蘆溝橋付近の数発の銃声を口実として日中戦争を拡大したからである。
李超氏の言い分で注目すべきは、日本が今回の天皇夫妻のモンゴル訪問を利用して、「モンゴルへの戦略的プレゼンスを強化し、イデオロギーを同じくする国家としての関係を築き、中国を牽制するものだ」としている部分である。

モンゴル民族は、おもにブリヤート族がシベリアに、ハルハ族が外モンゴルに、ゴビ(砂漠)の南の諸部族が内モンゴルに分布する。かれらは100年以上前から統一モンゴル国を望んできたが、独立したのは外モンゴルだけである。遺憾なことに、中国ではモンゴル人の民族運動を「三蒙統一」といい、ソ連では「パンモンゴリズム」といって苛烈な弾圧の対象としてきた。
1911年清帝国からの独立を宣言して以後、モンゴルは複雑な経過をたどってロシア=ソ連の影響下に置かれてきたが、中国政府の指導者は国民政府の蒋介石であれ、共産党政府の毛沢東であれ、常に中国への回収を考えていた。いやいやながらも最終的に独立を認めたのは、1945年2月、米英ソの3国によるヤルタ会談において外モンゴルの独立を維持する旨が合意されたからである。
だが、中国における失われた領土への執着は我々の想像を越えるものがある。多くの中国人は、モンゴルはロシアによって奪われた領土だと当たり前のように思っている。一例をあげよう。

2013年7月、中国新聞ネットや文匯報などは、中国は2020年から40年間に失われた領土を取り戻す「6つの戦争」を行うとする記事を掲載した。これは、2025年までに台湾を併合する、30年にはベトナムなどをやっつけて南沙諸島をとる、35年から40年にはインドと戦ってヒマラヤ南麓のアルナチャル・プラデシを手に入れる、40年から45年までには尖閣諸島と沖縄を奪回し、50年までにモンゴルを併合し、60年までに帝政ロシアが清朝から奪った全領土を奪還する――というものである。
中国のメディアはすべて中共中央の統制下にあるから、これがなかば公式の領土奪還戦略だと考えても間違いではあるまい。

中国が自国領だと考えるモンゴルは、いまや台湾同様、国民が政府への不満を率直に表すことができる多党制の議会制民主国家である。中国にしてみれば、このような国家と長い国境を有することは煩わしさ以上のものがあろう。一方、今日のモンゴルの人口358万に対し中国は14億人、一人当たりGDPはモンゴルの4千ドルに対し中国は1万ドル。さらにモンゴルには鉱物資源のほかこれという工業がないのに対し中国は「世界の工場」である。

中国がその気になればモンゴルの経済を攪乱することも、軍事占領することも比較的容易である。たとえば2016年末、ダライ・ラマ14世がモンゴルを訪問すると、中国はモンゴルから輸入する鉱物に高関税をかけたばかりか、決定済みの借款を凍結するなどの報復制裁を発動しモンゴル政府を苦しめた。
だからモンゴルは中露と友好的な外交関係を保つよう常に気を配っている。一方モンゴルが独立を維持し、隣の大国からの干渉を避けるためには第三国との外交は必要不可欠である。だが、大国を刺激し怒らせるほど日米欧などと親密であってはならない。だとすれば、李超氏の天皇夫妻のモンゴル訪問への不満表明は、直接には日本へ向けられたものだが、真意はモンゴル政府の日本接近に警告を発したものと受け止めるべきだと思う。

天皇夫妻は、13日、モンゴル公式訪問の全日程を終え帰国の途についた。モンゴルは1週間近く天皇夫妻を官民挙げて熱く接待し、天皇夫妻もモンゴルの歓待に応えた。中国はこれにどんな反応を示すだろうか。報復するだろうか。(2025・07・13)

初出:「リベラル21」2025.7.15より許可を得て転載
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