始まった?習近平の文化大革命(7) ―本気で実現するか不動産税

 一昨10月23日、北京では中国の議会にあたる(と言っても野党はいないのだが)全国人民代表大会の常務委員会というのが開かれ、子供たちの受験勉強の負担をなるべく軽くし、愛国精神を強めようという「家庭教育促進法」を成立させ、また日本の固定資産税にあたる「不動産税」を政府が1,2の都市で試験的に実施することを承認した。
 このうちとりわけ注目されるのは後者である。不動産への税金が今までなかったの?と驚かれるかもしれないが、なかったのである。もう一つ当然あるべき税なのにないのが「相続税」である。お金持ちにはたまらない無税天国と思われるだろうが、その通りである。勿論、これまでに何度もこうした税を徴収すべきであるという声が高まったのだが、今まで実現しなかった。なぜか。

****革命の「果実」****
 それには中国が革命国家であることが大きな原因となっている。というと、中国革命の主役は共産主義を目指す中国共産党で、共産主義社会では私有財産が否定されるはずではなかったか。それなのに不動産や相続財産に税金をかけないのはおかしいではないか、と思われるだろう。
 確かにおかしい。なぜこうなっているか。
 国共内戦に勝利して、毛沢東率いる中国共産党軍が北京に入城したのは1949年の春であった。そこから共産党統治が始まったのだが、「農村から都市へ」攻め上ってきた共産党軍には、都市には住むところも寝るところもない。そこで前政権の資産を接収し、外国の外交公館を接収したのは勿論、旧政権の役人や金持ちの屋敷なども取り上げて、自らの用に供した。共産主義を名乗らない昔ながらの革命軍ならなにも不思議はない。歴史上なんども繰り替えされてきた光景である。
 じつは日本でも敗戦後、東京で焼け残った気の利いた家屋は「接収」されて「進駐軍」の用に供された。私の世代ははっきりと覚えている。
 中国の場合、革命軍が共産主義を名乗っていたことが事態を複雑にした。住居は原則的に公有となり、つぎつぎと建てられ、割り当てられる集団住宅に一般民衆は入居した。巷の小さな一戸建て、長屋なども公有化された。革命軍の幹部は紫禁城の周辺などに集まっていた旧時代の支配階級の邸宅を地位の高低に従って割り当てられた。
 しかし、住宅事情というのは複雑である。地方自治体には住宅の配分を扱うかなり大きな部署が設けられ、また大規模な国家機関や国有企業などは自力で職員、社員の住宅を建てた。割り当てにあたっては極力、不満が生まれないよう公平に、といっても、時間が経てば各家庭の状況も変わる。いっぺん住み着けば、洋服を着替えるように住み替えることは大変だし、また住み替えを申請してもいつそれが認められるか分からない。不満が山積する。
 こういった状況から、「住宅問題に共産主義は無理」とようやく悟ったか、諦めたのか、1990年代に入って、「公共住宅が基本」から「個人持ち家制」へと政策の大転換が行われた。と言っても、皆が皆、気に入った部屋なり家なりを新しく買うことは不可能だから、現在、住んでいる自治体あるいは所属機関や会社の住宅を割賦で買い取ることが一般的に行われた。
 しかし、建国直後に大急ぎで建てられた高層住宅は不便で、その最たるものは5,6階建てでもエレベーターが設置されていないことである。だからお年寄りや女性は重いものをもって高い階へ上るのは大変だ。そういうところでは階段の下で若い人が待ち受けていて、荷物運びの小遣い稼ぎをする光景がよく見られた。
 そこで人々は新しい住宅を買い求めることが人生の大きな目標となった。とくに結婚する若い男女、とくに女性は結婚の条件に新しい住居を求めることが一般化した。マンション建築ブームが大きく広がった。最近、恒大集団の経営不振が関心の的となっているが、旅行者の目を奪う高層ビルの建築ラッシュは中國革命物語の中の未完のエピソードの現局面である。

****根強い反対論はどこから****
 話の本筋から大分それてしまった。本筋はなぜいまだに中国には不動産税(固定資産税)がなく、今頃になってようやく「試験的に実施」などと言っているのか、であった。かつて「社宅」であった高層集団住宅なら税金といっても大した額にはならないはずなのに、なぜ反対論が強いのか。
 話はまた革命直後に戻る。北京に入城した共産党の幹部たちに旧勢力が残した邸宅を割り当てられたことを紹介したが、じつはそれが延々といまだに続いているのである。
 つい最近、びっくりするニュースがあった。今月の7日、1989年の5月から6月にかけて、北京で大規模な民主化要求運動が起きた際、それを支持して失脚した当時の共産党総書記(政権トップ)、趙紫陽氏の遺族、友人たちが集まって同氏を追悼する最後の会合を同氏の旧居で開いたというニュースである(北京=共同電。『毎日』10月8日)。
 何に驚いたかというと、9月に当局から同氏の旧居を明け渡すよう遺族に指示があり、それで最後の追悼会になったということに、である。趙紫陽氏は1989年6月に総書記を辞任した後も、同じ住居に住み続け、16年後の2005年1月に亡くなった。しかし、その後も遺族がそこに先月まで住み続けていたわけである。辞任してからなんと31年である。
 おそらく趙氏の場合は特殊であろう。個人持ち家制が広がったのは同氏の辞職後であり、辞職の経緯から、同氏は住居を払い下げてもらえず、しかし、引き続き住み続けることは認められたのではないかと推察される。
 このニュースに添えられた写真を見ると、中庭に20人あまりが並んだ背後は直角に交わる2棟の建物である。その構造から伝統的な四合院(中庭を囲むように門と左右、奥に部屋を配置)のようだから、敷地面積は日本流に言えば少なくとも100坪は下らないだろう。
 この趙氏の例から見るに、共産党の高級幹部に割り当てられた住居はほとんど個人資産として扱われ、本人の死後も遺族の資産となったと考えられる。
 本題に帰ると、不動産税に(そして勿論、相続税にも)反対する勢力はどうやら立派な邸宅を革命の「果実」として手に入れた老幹部とその遺族たちらしいのである。
 中國では土地の私有は認められない(この点に共産主義が残っている)が、使用権は認められていて、用途によって年数に制限があるが(例えば住宅は70年、工場は50年など)、その使用権が実質的に地代の役割を果たしている。役所が土地を競売するときは使用権を競売するのである。
 8月に、これからの「習近平新時代」は「小康社会を目指した」これまでと違って、「共同富裕」を目指すと宣言した習近平にとって、革命の遺産の不平等をそのまま残すわけにはいかないと考えたのかもしれない。
 23日の決定によると、課税対象は「住宅およびオフィスビルなど非居住用不動産」の建物と土地使用権である(農村の宅地は含まれない)。ただ今度の決定ははじめから「試験的」と銘打ってあり、その期間は5年程度、試験地も2か所程度とされているから、直ちに現実の課税に結び付くわけではない。
 習近平としては、共産党の老幹部とその遺族たちがいつまでも革命の果実を味わっているのを黙って放置しているわけではないというパフォーマンスが必要と考えただけかもしれない。それで来年秋の第20回党大会、再来年春の人民代表大会を乗り切れれば、後のことは後のことと割り切っている可能性もある。
 ただ経済は生き物である。不動産税が曲がり角に立つ中国の不動産業界にどういう影響をもたらすのか、その点をどう計算しての習近平の決断か、注目されるところである。(続)

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