文化大革命の再来を予感させるような「共同富裕」という掛け声が8月半ばに発せられた後、中国社会には様々な動きが伝えられるが、その分野はIT産業、教育産業、不動産業、芸能界と幅広い。それぞれがどういうふうに習近平政権の目指す方向に収斂されていくのかは、まださっぱり見えてない。
今回はとりあえずIT産業の動きをたどってみよう。そもそも「共同富裕」を目指すその手段としては、前回も述べたように「殺富済貧」(富者を殺して貧者を助ける)という過激策ではなく、まず所得の再配分が挙げられている。しかし、その具体的な筋道は明らかにされていない。ただ目を引くのは「中所得層の比重を大きくし、低所得層の収入を増やし、高所得を合理的に調節する」の最後の部分、「高所得を合理的に調節」である。
文字からの印象は制度や法令によらずに政府と企業の相対の話し合いでの所得の移転が想像される。というのも、昨秋以来の通信販売の巨人「アリババ」と政府の関係がいささか異常だったからである。だった、と過去形で書いたが、実は一件落着したのかどうかも、まだはっきりしない。
その経過をたどると、「アリババ」の金融小会社「アント・グループ」は昨年11月、上海の株式市場に上場することを予定していたのだが、その直前に証券監視管理当局から待ったがかかった。明らかになっているところでは、11月5日に予定されていた上場を3日後に控えた2日、人民銀行、中国銀行保険監督管理委員会(金融業の監督官庁)が「アリババ」の創業者である馬雲氏と「アント・グループ」の首脳に事情聴取を行い、その翌日に上海市場への上場延期が決定された。延期とはいっても、それからすでに8か月以上が経過した現在に至っても上場は実現していない。
私は便宜上、「事情聴取」という言葉を使ったが、中国語では「約談」、つまり合意の上で話し合ったという意味の言葉が使われている。いずれにせよ、その「約談」で上場延期が決まったことは確かだ。
では、その理由はなにか。それは明らかにされていない。巷の噂では、理由はその「約談」10日ほど前、10月24日に上海で開かれたあるシンポジウムに呼ばれた先述の馬雲氏が金融当局の業界に対する管理監督のやり方が古いと批判した(「昔の質屋を監督するような方法だ」と言ったという説も)ことが当局を刺激した、あるいは習近平を怒らせた、とも言われているが、真相は分からない。
この上場延期によって、アリババは日本円にして3兆6000億円ほどの資金調達がフイになったと言うが、同社に対する「お仕置き」はそれだけでは終わらなかった。今年2月、あるデパートの株式取得を監督当局に報告しなかったということで、50万元(850万円)の罰金が課せられた。しかし、これくらいはアリババにしてみれば、どうということもなかったはずだ。
ところが、次に来たのはケタがちがった。4月10日、本業の通販事業で取引先にアリババの競合企業との取引をしないように要求したことが独占禁止法違反であるとして、182億2800万元(3000億円余)という巨額の罰金であった。もっとも2019年の同社の年間総売上額4557憶1200万元(7兆7400億円余)に比べれば、ほんの4%程度にすぎないという見方もあるようだから、14憶人という巨大市場で起こることは我々の感覚ではなかなかついていけない。
昨秋の株式上場中止からの一連の動きは「アリババ」だけが目の仇にされているように見えたが、7月になると、同社も含めてネット企業に罰金の嵐が吹きまくる。7日、中国市場監督総局はネット企業に対する22件の罰金処分を決定した。件数順に並べると、配車アプリ大手「滴々(ディディ)出行」の子会社に8件、「アリババ」関連6件、「騰訊(テンセント)」(深圳本拠のIT・ネットサービス企業)関連5件、「蘇寧」(ネット通販)関連2件、「美団(食品出前)」1件である。
こうした状況に直面して中国の企業家たちはどういう行動をとったか。われわれの常識では、罰金を連発するならその基準を明確にしてほしいとか、扱いは公平にとか、といったことを陳情したり、関連法規を整備してほしいと要望書を提出したり、といったことを思い浮かべるが、中国はちがう。
次に起こったことは、なんと献金ブーム(?)である。もう一度、「共同富裕」を実現するための共産党の方策を思い出してほしい。「中所得層の比重を増やし、低所得層の収入を増やし、高所得を合理的に調節する」。繰り返すが、問題は言うまでもなく最後の「高所得を合理的に調節する」である。合理的というだけで、何をもって合理的とするかの説明はないし、調節という言葉も曖昧である。増税とか新税とかなら分かるが、調節となると政府の匙加減しだいという印象が強い。対策の打ちようがない。
そこで献金なのである。上から何か言われる前に自分からある程度のものを差し出して、それで勘弁してもらおう。ぐずぐずしていて、後から高額の請求書が来ては元も子もない、というわけである。『日本経済新聞』の9月3日朝刊に「高額寄付、中国富豪走る」という記事が載った。
それによると、「アリババ」はギグワーカー(個人契約労働者)支援に2025年までに1000憶元(1兆7000億円)を投資する。「騰訊」は社会問題解決に同じく1000億元を投資。「京東」(ネット通販)は従業員へのボーナスを2か月分から4か月分に増額。また個人では「小米(シアオミ)」(スマホ大手)の創業者、雷軍氏が自社株144億元(2400億円)を基金(詳細不明)に寄付。「北京字節跳動科技(バイトダンス)」(動画投稿アプリ)の創業者、張一鳴氏は教育基金に5億元(85億円)寄付、といった具合である。
こういう事例は逐一明らかにされるわけではないから、ほかにもまだあるだろうし、かといって、習近平の「共同富裕」への方策が寄付集めだけとは思えないので、この先何が起こるかは予測できない。ただかつては、政治運動が始まると、実行にあたる各級の共産党幹部は自分の成績を上げるためにめぼしい人間や組織に協力を求め、応じた相手には優遇措置、応じなかった相手にはなにかと嫌がらせや時に不利益扱いをすることがよくあった。その悪弊が再来したのではないかと他人事ながら気になるのである。
そこで話の順序が逆になったが、中国で富裕層、中等層以下の貧困層の家族数、あるいはその人口はどのくらいととらえられているのだろうか。『光明日報』という新聞が8月28日の紙面に「中等収入の大群をいかに拡大するか」という記事を載せているので、そこから基礎的な数字を拾ってみたい。
中国社会科学院の元副院長で国家先端シンクタンク主席専門家の蔡昉という人がこういう計算をしている。
OECD加盟国の相対的貧困基準では、人口の所得順位の中位(真ん中)の所得の50%以下を貧困としている。中国の2019年の農村人口の中位の収入は14389元であるから、その50%は7195元となる。かりに農村家庭の30%がそれに該当するとすれば、総人数は1.53億人となる。
これに2.91億人を数える出稼ぎ人口と2.7億人の60歳以上の老人を中等収入層に引き上げるとすれば、引き上げ対象の総人数は7.14億人と膨大なものとなる、という。
この計算は国の総人口の中位の収入の50%、というOECDの貧困基準を、中国の農村の人口に当てはめている点や、出稼ぎ者、老人をそのまま貧困者としている点で、首を傾げざるを得ないところもあるのだが、ともかく大づかみに数えて人口の半数が貧困層に属するという指摘は「共同富裕」という言葉に惑わされないためにも意味があるというべきだろう。
昨年で、貧困村の最後の1億人を「貧困から脱却させ」て、貧困農民はいなくなったというのが、中国の公式見解であるが、その場合の脱貧困の基準は年間所得4000元(約68000円)であり、世界的に使われている世界銀行の貧困基準、1日=1.9ドル以下という基準(年間約76000円)よりも約10%低い。「脱貧困」といっても、そこから「中等収入」にはまだまだ遠い。「共同富裕」へ通ずる「高所得の合理的調節」とはいかなる策か、説明が待たれるところである。(次回へ続く)
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