安保法制攻防戦の中から中国を見る

――八ヶ岳山麓から(158)――

9月3日北京天安門広場で「反ファシズム戦争・抗日戦争勝利70周年記念」の軍事大パレードが行われ、新華社通信は「中国の抗日戦争が反ファッショ戦争勝利に重大な役割を果たした」という習近平主席のことばを伝えた。
中国はこの催しのために世界中に招待状を送ったが、天安門楼上にのぼった要人は、国連のパン・ギムン事務総長、ロシアのプーチン・韓国の朴槿恵両大統領など中国とつながりが深い23カ国にとどまった。「反ファシズム戦争」とはいえ、フィリピンなど日本が占領した国家・地域の首脳の姿はなく、日米EUは閣僚か大使が参加したのみであった。北京オリンピックでは、胡錦濤政権が欧米各国の最高首脳を綺羅星の如く並べたのと比べれば見劣りのする結果となった。

日本のメディアはこの盛大な軍事大パレードをかなり細かく紹介した。テレビはパレードに登場した最新鋭兵器などを解説したが、日中戦争の実態についてはほとんど言及せず、中国侵略への反省の言葉は爪の垢ほどもなかった。
私が見たテレビ・チャンネルでは、兵士の行進について、女性アナウンサーが「ああもしたんですって」「こんなことまでしているんですよ」と、儀仗兵の選抜や訓練をことさらにちゃかしたが、このパレードはからかったりバカにしてすむような性格のものではない。中国共産党の命運がかかっている。

その2日後、安保法制の国会討論と反対デモの昂揚のなか、私は乳加工の専門家とともに技術援助のため中国奥地へ向かった。道々見た各地の様子は、たしかに今年は抗日戦勝利70周年だと思わせるものだった。青海省西寧市には目抜き通りのビルの壁に「抗日戦勝利70周年」の垂幕があり、チベット人地域の町でもタクシーの屋根の広告ライトは、「抗日戦争勝利70周年」という文言を点滅させていた。
中国滞在中、私たちは「抗日反日」のために不愉快な思いをすることはまったくなかった。例年通り温かく迎えられ、こころよく仕事をした。
パレードが終わってからも、テレビでは日本軍の残虐行為と、それを攻撃殲滅する内容のドラマ、ドキュメント番組が連日放映された。中央テレビCCTV「国際中文」チャンネルは、連日中国のステルス型戦闘機など最新鋭兵器をほこり、解放軍の軍事演習、さらには中露海上演習が登場した。また自衛隊とフィリピン軍の合同演習に関するニュースがくりかえし放映され、安保法制をめぐる対日批判とともに、いまにも日中戦争がはじまりそうな解説があった。
これを日本で放映したら、「だから中国の軍事攻勢に対する抑止力、安保法制は絶対必要だ」と安倍政権を喜ばせただろう。ただ習近平総書記の訪米を控えているためか、日比合同演習の背後にあるアメリカに対する非難はなかった。
一方日本の反安保抗議デモを好意的に取り上げ、「戦争法制反対」をかかげて国会を取巻く人々の映像が登場した。中国では政権批判のデモはもちろん、一般大衆が政府に陳情することすら取締りの対象になるが、「老百姓」はこれをどう見ただろうか。

9月18日中国は「日本当局は国内と国際社会の正義の声に耳を傾け、歴史的教訓を忘れず、平和発展の道を歩むことを私たちは期待する」とコメントしたが、安倍政権にとっては屁でもない。19日安保法制は参議院を通過した。
安倍首相は軍事パレードに招待されたがにべもなく蹴り、中国を仮想敵とする安保関連法を強引に成立させたのである。
日本にはアメリカやNATOの有力国のように、年中どこかで戦争をする道が開かれた。これからは政府は日本国民の戦争アレルギーを治療するため、メディアを通して世論操作を巧みにやり、軍事予算を年々増大させ、自衛隊は憲法に逆らうものの安保関連法に従って、国際紛争への軍事的介入を計画するだろう。

だが、これは護憲派の敗北ではない。安保法制が成立することははなからわかっていたことだ。集団的自衛権問題はこれからだ。私は1960年新安保条約が国会を通過したとき、「知識人」のなかから「挫折だ、挫折だ」と騒ぐ人が生まれたことを苦々しく思い出す。こんな脆弱な精神では対米従属的軍国主義の完成を目指す連中とは戦えない。
安保法制成立後のメディア各社の世論調査では、反対はほぼ50%を越え、賛成は30%前後だった。まもなくアメリカの要請で自衛隊が海外に派遣される時が来る。少なくともその日まで、我々は集団的自衛権反対の世論を維持しなければならない。最初の海外派兵を阻止できれば、安保法制空洞化への道は大きく開ける。
それにはいくつか克服すべき課題がある。
まず、次の参院選挙で護憲派が過半数を越えること。日本共産党が選挙協力を呼び掛け野党間の話し合いが始まったが、実現までには紆余曲折があるだろう。なにしろ野党第一党の民主党は護憲民主そのものの党ではなく、党内に日米同盟強化・改憲・対中対決など自民党に通じる政治的見解をもつ勢力がある。
また安保法制をめぐる国会内の論戦のなかで、反対論はことの本質を突くに至らなかった。議論は法案自体の問題点と違憲性に集中し、そこにとどまった。
「堅固な日米同盟は抑止力である」という定理は現実には成り立たないこと、この議論が軽視されるか抜けていたから、安保法制賛成30%の壁を突破できないのである。力による抑止力とは、敵の攻撃に対しそれを壊滅する報復能力と戦争をする強固な意志を誇示することである。当然それは軍拡である。軍拡は国民の貧困と国際緊張状態をともない、戦争に限りなく接近する。今日では反米テロを日本に招き入れる危険がある。
さらに護憲各派共通の対案が形成できなかった、あるいは曖昧だったことも弱点の一つとなった。ここは積極的に「村山談話」と「河野談話」を基礎とした「親米であると同時に親中」「日中韓の友好親善」の外交政策を掲げるべきだった。オバマ・習近平会談でも明らかなように米中双方が軍事的対決を避けようとする今日、「親米・親中」外交は日本が容易にとりうる政策である。
また日本の財界は安保法制を支持して、中国敵視が日本の経済的繁栄にとってマイナスであることを語らなかった。早い話が中国にとって日本の経済はかつての最重要性を失っているが、日本にとって中国は依然として第一の貿易相手国である。財界は軍拡によって景気を良くし、国民の血税を略取するほうを選んだのか。そうでなければ骨のある人物がいなかったのだ。ならば我々がこれをもっと語らなければならない。

もうひとつ護憲派にとって難物がある。中国の現政権である。
中国の政治指導者は「中共がなければ今日の中国はない」と説くが、「いや別な中国があったはずだ」という密やかな声がある。仰天すべき汚職腐敗、相変わらずの官尊民卑、ひどい生活格差を味わってきた、「爆買」などできない底辺の人々の声である。
景気の減速と共にその声は拡大している。それを反映するのは、脅迫や弾圧にもかかわらず次々に生まれる民主・人権派の存在である。習政権はこれをよく知っているから高級官僚の腐敗を取締り、民主・人権派を弾圧し、同時に支配の正統性を毎日のように強調するのである。
正統性とは抗日戦争を勝利に導き、封建制を打倒し、強力な中国に至らしめたのは(国民党ではなく)中国共産党であるという建国神話である。その中心は愛国すなわち抗日反日である。我々は中共政権がこの建国神話による限り、国内矛盾を対日関係に転嫁する潜在的可能性は絶えず存在することを知らなければならない。当面は東シナ海・南シナ海で強硬策に出る危険である。
かつて中国政府は、小泉首相の靖国参拝に反対するデモ隊が日本大使館や領事館、日本企業を襲撃するのを黙認したことがあった。中国国内の事情から再びこうした事態が起きたとき、日本の保守派は安保法制の合理性を高らかに歌い、一気に改憲世論を高めようとするだろう。
だからこそ憲法擁護派は、「親米・親中」を掲げ、日本政府にだけでなく中国に対して、力づくの外交でなく平和的交渉で国際紛争を解決する道を求めるなど、東アジア平和のための提言を積極的に行なう必要がある。これが中国の強硬策を抑え、日本における改憲派への抑止力になると私は思う。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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