安倍外交の克服と岸田外交への期待

――八ヶ岳山麓から(387)――

 根性の座った外交官として知られる、元外務審議官田中均氏はこのほど毎日新聞政治プレミアムに寄稿し、岸田内閣に独自外交を求め、日本は「外交の内政化」から脱却しなければ活路はない、近隣諸国との関係改善を急ぐべきだと主張した(2022・07・20)。
 その概略を私なりにまとめると以下の通りである。
 
 〇この10年、 日本外交を牽引したのは安倍元首相で、大きな功績をあげたが、今日それを見直す必要がうまれた。最も重要なのは、この10年間で悪化した中国や韓国との関係修復だ。
 〇問題は『外交の内政化』である。 これによって客観的に国益の見地から相手国を評価し、一定の戦略を立てて外交を進めることが難しくなった。これまでにもまして政治上位となり、官僚の人事があたかも当該幹部が政治権力に忠実かどうかを最大の評価基準として差配される結果、官僚は政治権力の意図を推し量ることが最重要となった。
 〇本来、民主主義国家では長期・短期の国益判断のうえで特定の政策を決め、それを国民に説明し支持を得るのが統治の手法だ。ところがこの10年、日本の政治は選挙に勝つため、ポピュリズムに傾倒し「国民受けの良い」発言と政策を軸にまわってきた。
 〇 米国との関係は外交の基軸ではあるが、……このところ「アメリカ第一」政策しか目につかない。だが、米中関係も対立一色ではないことを知るべきだ。(米中関係の)現状は軍事的対立、政治的競争、経済的相互依存、グローバル協力と、ベクトルが異なる関係の集大成だし、そうである以上突然米中関係が破綻することはない。
 〇韓国とは、親日傾向の新大統領が就任したのにもかかわらず、「共に関係改善に進もう」と踏み出せない。だがいま、もろもろの問題を一括解決し、日韓関係を未来志向の道筋に戻すべきである。
 〇対中国関係は(貿易一つ見ても)、元来日本の将来を左右する関係なのに、もはや関係改善をしようと発言する人もいなくなった。日本が十二分な抑止力を持つことは極めて重要だが、安保体制の強化も敵意をむき出しにして行うのはどうかと思う。
 クアッド(日米豪印)首脳会談の頻繁な開催やインド太平洋経済枠組み(IPEF)、主要7カ国(G7)の大型インフラ協力などでは中国を意識し、中国と対抗するイニシアチブの共同提案者といった観を呈している。
 〇日本は経済的相互依存を深化させ、気候変動、エネルギー、北朝鮮問題などにおける協力関係を深掘りすべきだ。中国もロシアと一体化してみられることは避けるべく、日本との協力関係の再構築に乗ってくるだろう。
 〇岸田政権は自前の議論を展開してほしい。党内の異論を恐れ、「世論」を恐れていては、外交はできない。外交は国内的に威勢の良いことを言うのではなく、日本の国益に沿う結果を作る作業である。相手国が悪いと切って捨てるのはいとも簡単だが、一方の理屈だけでは外交は成り立たない。

 7月27日、中国人民日報国際版の環球時報ネットに、この田中氏の提言に対応した論文が現れた。
 表題は「岸田外交はバランスの取れた合理性を取り戻す必要がある」。著者は項呉宇氏。 中国国際問題研究所アジア太平洋研究所特別研究員で中国シンクタンクの一員とみられる。

 項氏は、まず田中均氏の主張を「日本の世論に『親米、反露、憎中、嫌韓』という議論が氾濫するなか、田中氏の見解は、少なくとも日本の「戦略界」にはまだ冷静な声が残っていることを反映している」と高く評価する。
 項氏の岸田内閣登場後の分析は、以下の通りである。
 〇日本政府の対外戦略思考は保守的で硬直したままである。 岸田内閣が22日に採択した「防衛白書2022」は、中国の軍事力開発と北朝鮮の核ミサイルの脅威を誇大宣伝し、中露軍事協力と台湾問題に言及し、日韓の島嶼紛争をあおり、日本は「反撃能力」を開発すべしと唱えた。 これは、当然近隣諸国(すなわち中国・韓国)からの批判を引き起こした。
 〇日本国内では安倍元総理の「外交遺産」として、「日本の国際的影響力の高まり」に焦点が当てられている。だが、安倍外交の根底にある論理は、 「自虐的歴史観からの脱却」「正常な国家論」「政治大国の夢」などの右翼保守思想である。これは日本の政治思想や戦略的思考に深く浸透している。
 〇(参院選後)保守政党が日本の政治を席巻し、伝統的な中道左派は小さくなった。「強軍備戦」を誇示する強硬論が盛んになり、平和主義は後退した。
 〇安倍元総理が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」構想の本質は、アメリカ式のイデオロギーの旗を掲げ、米国とその同盟体制の覇権を守る戦略手段であり、「インド太平洋」外交をとおして見えてくるものは、日本と中・露・北朝鮮・韓国4つの近隣諸国との関係の同時緊張状態である。
 〇岸田は自民党内のハト派「宏池会」の継承者であり、元来の思想は温和な保守であり、政策理念は「重経済、軽軍事」の「吉田茂主義」の傾向を引き継ぎ、安倍のような「政治的強者」ではないにもかかわらず、政権の座に登ってから、「軟弱」「親中」「親韓」などの批判を避けるために、ほとんど保守勢力の対外強硬路線に迎合し、当初の予期されたバランスと合理性を示してはいない。

 項氏は「岸田が長期安定政権を望むなら、外交上やるべきことがある」と、次の 3項目を挙げる。
 1)現在日本では、日米同盟基軸が依然「政治的に正しいもの」とされている。だが、親米と近隣諸国重視とは矛盾しない。 岸田は、宏池会前任者の池田勇人・大平正芳・宮沢喜一が首相であったとき、中国や韓国との関係改善に積極的であり、日本と近隣諸国との和解に貢献してきたことをよく知っているはずだ。
 2)岸田は、「平和ビジョン」を掲げ、来年広島でG7サミットでは、「核のない世界」の理念を推進する意向である。この「平和」の概念と憲法改正の強力な軍事路線の矛盾をいかに打破するかは説得力ある説明を必要とする。
 3)(安倍時代)日米は「インド太平洋」の概念を植え付け、イデオロギーと価値観の旗を掲げて陣営間の対立をあおり、アジア太平洋地域の協力関係に打撃を与えた。岸田の「インド太平洋」外交が、中国を抑制対象とし続けるならば、アジア諸国家に容認されることはないだろう。
 硬直した対外戦略思想を変えずに、岸田外交が政治大国の道を追い続けるならば、その行動には大きな疑問符を張り付けられるだろう。

 7月29日のバイデン・習近平の米中首脳会談では、対立点を鮮明にしながらも同意できるところは同意しようと努力している。田中氏の「米中関係も対立一色ではないことを知るべきだ」「(米中関係は)ベクトルが異なる関係の集大成だし、そうである以上突然米中関係が破綻することはない」という通りであった。
 もちろん日本の外交官と中国の研究者の間には立場からくる主張の違いがあるが、田中氏の「中韓両国との関係修復を急げ」という主張は、項氏の「日米同盟基軸であっても中国と友好関係は維持できる」「親米と近隣諸国重視とは矛盾しない」という主張と重なる。
 項氏だけでなく他の日本研究者も別な観点から日中関係を論じ、現状からの脱却を論じている(たとえば霍建崗論文 環球時報 2022・07・27)。

 わたしは外交問題にはまったくの素人だから、これ以上議論することはできない。だが、田中均氏の主張に項呉宇氏が同調した背景には、中国外交部首脳の日中関係好転への期待がある。そしてこれは岸田内閣へのシグナルだと思うが、読者の皆さまはどうお考えであろうか。                 (2022・07・30)

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