安倍政権を拒否する沖縄は――時間をかけて独自の道を

私はふと、こんな情景を想像してみる。ウクライナ危機回避のために集まったあの4首脳会談の席にわが日本国の安倍晋三総理大臣が加わり、日本国憲法第9条を厳かに読みあげたあと、戦争がいかに愚かで悲惨で罪深いものであるかを静かに語る。もしその彼を「非現実的で無責任」だとわめく首脳がいたら、わが日本国の総理大臣は涙ながらにこう訴えるのだ。「かわいい孫や子どもや兄弟姉妹や父や母や祖父や祖母の命を奪わせること、住む家を失わせることは犯罪です。その犯罪を多くの若者たちに押しつけることはあなたがたが犯すさらに大きな罪です。犯罪は平和のための手段ではあり得ません。平和のためには殺し合いが不可欠だなどという論理こそが非現実的で無責任なのです。たとえあなた方の国が勝利を収めたとしても、殺し合いをした若者たちの多くは自分の犯した罪に耐えられず、精神を病んだり自ら命を絶ったりするでしょう。それはあなた方がよくご存じのはずです。だからやめましょう、こんな愚かで残酷で欺瞞に満ちた行為は!」
その説得の効果の有無にかかわらず、わが日本国総理大臣の言動は世界中に知れ渡ることになる。そして彼に対する賞賛の声はこれだ。「日本の安倍晋三総理大臣こそまさに『積極的平和主義者』だ!」
かくてわが日本国は世界に平和を発信する中心的な存在となり、武器を輸出したり自衛隊を派遣したりしないがゆえに、世界の国々から信頼され尊敬され、「美しい日本」として評価される。

ところで、沖縄の翁長雄志知事は何度も霞ヶ関に通い、関係大臣や幹事長や総理大臣に会談を申し込んでいるが、「仲井間弘多知事じゃないから」と冷たくあしらわれ、いまだに会談は実現していない。これは沖縄人に対する侮辱であり差別である。だがそれにめげることなく今後も知事が足繁く通い続け、さらにはワシントンや国連などにも足を運ぶことを切望する。あの4首脳が会談のために要した16時間では短すぎるのだ。
現在のところ、日本政府は沖縄県民の声に耳を貸す気は毛頭なく、「粛々と」移設作業を強行している。それに抗議する者に怪我を負わせ、引っ捕らえ、引きずり出し、そして警察へさし出す。だが、日本は民主国家であり、権力の横暴には異議申し立てができる国家なのである。ここにもまた16時間では終わらない闘いがある。

さて、「抑止力」のために新基地建設は不可欠であるという結論に達するまで、日本政府はこれまでホワイトハウスとの間に「積極的」に何十時間、何百時間の会談を行ってきたであろうか。「沖縄の基地負担軽減」の実現のため、あるいは「日米地位協定」の一文字でも変更するために「積極的」に何十時間、何百時間の会談を重ねてきたであろうか。

ここでひとこと言っておきたい。辺野古へ移設しようとする海兵隊は敗戦直後から沖縄に駐留していたのではなく、1950年代に朝鮮半島を警戒するために岐阜県各務原市のキャンプ岐阜と山梨県の北富士演習場に駐留していたものを、日本本土で米軍基地反対運動が激化したため、1956年2月に米軍統治下の沖縄へ移動させたものである。本土から遠く離れた沖縄なら、たとえそこで反対運動が起こっても本土まで波及することはあるまいと判断したわけだ。案の定、本土の人たちは沖縄の異常な基地負担に同情はしながらも、「他人事」で今日まで過ごしてこられた。
しかも、上陸切り込み隊である海兵隊には「抑止力」はないうえに、彼らを運ぶ船は長崎県佐世保を母港としているので、海兵隊が出撃するには長崎から船が沖縄へ到着するのを待ち、それから物資や兵員、ヘリコプターなどを詰め込んで出発しなければならない。そんな非効率的で不経済なことをするなら長崎へ駐留させておけばいいではないか。だが、日本政府はそうしなかったし、むしろ、辺野古への移設をきっかけにして新たにオスプレイを配置してきた。これは単なる基地移設ではなく新基地建設ということにほかならない。結果、解散選挙で移設賛成に回った(というよりも回らされた)自民党候補者たちは全滅することとなったのである。

沖縄は今、日本本土政府に対して新しい動きを見せ始めていると言っていいだろう。1609年3000人に及ぶ薩摩の船軍によって「琉球征伐」をおこなって琉球王を拉致し、開幕したばかりの徳川家康に謁見させたのを皮切りに、1879(明治12)年警察と軍隊合わせて400人が首里城に乗り込んで「琉球処分」(廃藩置県)を強行して琉球王朝を崩壊させ、第二次大戦では沖縄上陸戦による住民四分の一の犠牲を強い、20年近くのアメリカ統治(私は今でも日本本土へ渡航した時のパスポートを持っている)のあと、本土復帰(1972年5月15日)後も米軍基地を存続させ、ベトナム戦争時には米軍の重要な中継基地の役割を果たさせ、さらに今度は新たな基地建設をもくろむ……。
日本政府はこれだけの歴史を背負わされた沖縄県民が、沖縄人としてのアイデンティティーを求めて立ち上がらないとでも思っているのか?

昨年1月に行われた名護市長選挙の際辺野古移設に賛成する末松文信候補を応援にきた石破自民党幹事長は500億円の「名護振興基金」構想を表明して選挙民の反感をかったが、移設反対の稲嶺進氏が当選するや基金構想はゼロベースで見直す考えを示した。選挙民の心を金で釣れると考える彼には沖縄の人々の心は読めない。さらに、それから10ヶ月後の沖縄県知事選では辺野古移設反対の公約で当選した自民党公認の国会議員全員が移設賛成派にまわったが、この背景には仲井真知事(当時)からだけでなく、霞ヶ関の強い働きかけがあったことは想像に難くない。
これらの流れがあの「琉球征伐」や「琉球処分」に直接つながっているものだということは沖縄の歴史の中で生きてきた者には(イデオロギーの如何に関わらず)誰もが実感できる事柄である。今や、沖縄と日本本土の間には超えがたい溝があることが、特に安倍政権になってから鮮明になりつつある。

安倍総理大臣は現憲法第九条の「戦争放棄」による平和主義はあまりに「消極的」であると考える。したがって彼は憲法九条を変え、自衛隊を国防軍(自民党の憲法改正草案、第二章第九条の二には国防軍を保持することが明記されている)として米軍と手を組むだけでなく、武器を所持して世界各地へ飛んで行けるようにしたい。そしてやがて徴兵制が敷かれるようになる。経団連は「死の商人」としての暴利をむさぼり、日本国は「普通の国」には満足せず世界の中で軍事力と経済力を誇る国に姿を変えていく。これが「戦後レジームからの脱却」であり「日本を取り戻す」ことであり、「積極的平和主義」であるとすれば、その国家のイメージを拒否したい沖縄の人たちはどうすればいい?

沖縄県民はこれから先、悩みながらも、自分たちの、自分たち独自の道を、つまり日本国家とは別の国の建設を模索することになるだろう。それを日本政府はまたぞろ武力で制圧することはありますまいね?
                              (2015.02.25)

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