安倍流「ニュースピーク」を見抜き、もう一度平和憲法の原点に!

著者: 加藤哲郎 かとうてつろう : 一橋大学名誉教授・早稲田大学客員教授
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かと2015.6.1    箱根の大涌谷が立入禁止のままで、鹿児島県の口永良部島ではマグマ水蒸気噴火、直後に小笠原沖大地震で全国に大きな揺れ、自然の悠久な営みの前では、今日の科学技術は無力です。そればかりではなく、故ウルリヒ・ベックの提示した「リスク社会」、近代の人類の営み、産業化によって新たに生みだされた危険・リスクの問題が重なっていることに、3・11フクシマ原発事故によって、小笠原沖大地震による交通網の大混乱、高層ビル上の足止め、エレベーター1万3千台の停止で、改めて気づかされます。自然災害への対処でさえ、リスクの増大は明らかなのに、自衛隊の海外派兵でも「リスクは変わらない」と言い張る首相や防衛大臣戦争という最大のリスクへの国民総動員のための詭弁です。国会での「戦争法案」論議では、「戦後70年」の出発点であるポツダム宣言を「詳らかに読んだことはない」と公言する首相、野党の質問にヤジを飛ばす首相「兵站」を「後方支援」といいかえ、「武器の使用」と「武力の行使」は違うと言い繕い、果ては「専守防衛」とは「海外派兵」を含むという日本語の混乱、オーウェル『1984』ニュースピーク「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」のオンパレードです。しかもこれは、言説・情報戦の枠内には留まりません。集団的自衛隊論議の発端となったのは、日本の自衛隊による「尖閣諸島」防衛を米軍が本当に一緒に守ってくれるのかという不安だったようです。しかし安倍内閣の集団的自衛権閣議決定と新日米防衛ガイドラインを得た米国の方は、中国の南シナ海での岩礁埋め立てに対抗して、日本の自衛隊の関与の拡大を求めており、日本政府は応じる方向です。米中の軍事対立に早速日本が組み込まれ、日中戦争の悪夢につながりかねない状況です

かと そんな国会議員の皆さんに、ぜひとも読んでもらいたいのは、古関彰一さんの新著『平和憲法の深層』(ちくま新書)。「敗戦」を「終戦」に、「占領軍」を「進駐軍」と言い換えるだけでなく、日本国憲法制定時には、多くの新しい言葉と旧い言葉の意味転換がありました。古関さんは、そもそもなぜ日本国憲法が「平和憲法」と呼ばれるのかの原点を探求します。そして、第9条の「戦争の放棄」はGHQ起源で昭和天皇免責・象徴天皇制とのバーターでGHQ草案から入っていたが、「平和」の方は、日本政府案にもGHQ草案にもなく、第25条「生存権」と共に、国会での審議過程で日本側から挿入され、修正されたものであることを解き明かしていきます。第9条のもうひとつのバーターは沖縄で、沖縄米軍基地が永続化されることが、本土の「戦争放棄・戦力放棄」の裏側でした。その過程での鈴木安蔵や憲法研究会案の役割、宮沢俊義ら東京帝大憲法研究委員会での議論、自衛権を認めたとする「芦田修正」の真相など、日本国憲法制定過程について綿密な検証が行われ、いわゆる「押しつけ憲法」論の誤りが、わかりやすく説かれています。これに、天皇側近のさまざまなマッカーサー工作や、GHQ内でのGS-G2関係などを重ねあわせれば、日本国民の関わった日本国憲法の画期性と、現国会で進行中の安全保障論議・憲法討論の没歴史性・軽さが見えてきます。

かと 日本国憲法の制定が、極東軍事裁判での昭和天皇不訴追とワンセットであったことは、私が現在研究中の731石井部隊関係者の証拠隠滅、米軍への細菌戦・人体実験資料提供とバーターでの戦犯免責、極東軍事裁判不訴追確定後の復権過程からも、見えてきます。なにより古関彰一さんの探求した45年8月敗戦から47年5月日本国憲法公布までの出来事の一つ一つの日付が、石井四郎等の天皇制護持のための証拠隠滅、GHQの731部隊追及開始と医師・医学者尋問、G2ウィロビー、有末精三服部卓四郎ら旧参謀本部情報将校を使っての細菌戦資料提供・免責保証工作の動きと、ダブってきます。私は731部隊の免責・復権には、内藤良一亀井貫一郎らのG2工作と共に、GHQのPHW公衆衛生福祉局サムズ将軍への働きかけ、ABCC 原爆傷害調査団や猛威を振るった戦後感染症対策への、日本側医師・医学者の厚生省を介した動員=協力があったのではないかという仮説を持っています。日本国憲法制定史、象徴天皇制成立史、戦後医療・福祉制度成立史、731部隊医師・旧日本軍情報将校免責史は、有機的につながっていたのではないかと考えています。この点、「2015年の尋ね人」=「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について情報をお寄せください」で、大きな前進がありました。長らく捜してきた石川県のローカル雑誌『輿論』の創刊号(1945年11月10日)が、ついに入手できました。詳しくは、「情報収集センター(歴史探偵)」及び「2015年の尋ね人の内容を逐次改訂していきますが、『輿論』誌は、案の定、戦後日本における世論調査の開始、GHQへの迎合による天皇制護持、それに広島・長崎原爆についての報道で、貴重で先駆的な歴史的史料でした。引き続き、『輿論』の後継誌『政界ジープ』の、特に1952年−56年期の欠号を捜しています。皆さんのご協力を、お願いします。

 

初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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