尖閣に「領有権問題はない」は呪文にすぎない -野田内閣は中国と対座する勇気を持つべし-

著者: 田畑光永 たばたみつなが : ジャーナリスト
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暴論珍説メモ(117)
自民党の安倍総裁は15日、党本部で来日中の米バーンズ国務副長官と会談した際、尖閣諸島問題について、「話し合いの余地はない。尖閣については領土問題はないのだから、われわれは1ミリたりとも譲るつもりはない」と語ったという。
これを聞いて、率直なところ失礼ながら「バカは死ななきゃ治らない」という言葉しか頭に浮かんでこなかった。6年前の秋、この人が総理大臣になってからのあれこれを思い起こすと、たとえば当時大問題だった「消えた年金」について、「来年春までにかならずお一人、お一人にきちんと、お返しします」などと、だれが考えてもできるはずもないことを口走るなど、ただただ自分がスーパーマンにでもなった妄想に浸っているとしか思えなかった。
そして、就任後初の国政選挙であった翌夏の参院選挙に大敗しても、自らの責任を認めず、総理の椅子にしがみついていたと思ったら、秋の臨時国会では自分だけ所信表明演説をして、野党の代表質問を受ける前に政権を投げ出すという「奇想天外」な幕切れを演じて見せた。
私のような気の小さな人間には、あれでよく恥ずかしくもなく政治家を続けていられるものとしか思えなかったこの人が、なぜか自民党の総裁に返り咲いたのは驚天動地の出来事であったが、冒頭の発言を聞いて、無免許の暴走車に乗せられていたような安倍政権下の日々の再来が、現実の恐怖として身に迫ってきた。

そもそも「尖閣諸島に領有権問題はない」というのが、いつの頃からか日本政府の「公式見解」となっているようであるが、寡聞にして私はその根拠の説明を聞いたことがない。
推測すれば、第二次大戦終了前後からサンフランシスコ講和条約、日華平和条約、沖縄返還協定に至る間のもろもろの条約、協定、その他外交文書に「尖閣諸島」あるいは「釣魚島」という文字が登場したことはないということを以て、「領有権問題はない」としているのではないかと思われる。
それに付け加えれば、40年前の日中国交正常化交渉において、田中首相のほうから「尖閣諸島をどう思うか」と問題を提起した(これは外務省の事前の想定になかった)のに対して、幸いにも相手の周恩来首相が「今はこの問題を話したくない」と、交渉を回避したことも、「領有権問題はない」を補強しているのではないかと想像される。
しかし、文字に書かれた「問題」がなかったとしても、誰かが提起すれば、そこで「問題」は発生するのであって、問題の有無は当事者の主観で決められることではない。
周恩来が交渉を避けたというのも、外務省の一方的な身勝手な解釈で、確かに外務省が公表している会談録では、周恩来は交渉を回避したように書かれているが、実際は周恩来は「話したくない」理由を「この問題を取り上げれば、両方とも言うことがたくさんあって、首脳会談は終わらなくなる」からとのべ、それに対して田中も「それはそうだ。じゃ、これはまた別の機会に」と答えて、話を終えたのだ。
これは日本側の同席者であった橋本中国課長(当時)と中国側の同席者であった張香山外務省顧問(当時)の回想が一致しているので、まず間違いはない。
とすれば、「問題を棚上げすることで黙約が出来た」という中国側の言い分のほうが会談の実態に即している。黙約というのは「改めて再交渉しよう」とまでは話は進まず、「じゃ、また別の機会に」という田中発言のニュアンスに基づいての表現としては正確である。
したがって「領有権問題はない」は、客観的な事実でもなんでもなくて、ただそうであって欲しいという日本政府の願望の表現にすぎない。「領土問題はないのだから」と言っても、相手との交渉を拒否する客観的な根拠とはならない。
外交である以上、それを口実にして交渉を拒否することは考えられるけれど、安倍氏の口からこういう発言が出ると、本気でそう思っているのではないかと心配になる。それに「1ミリたりとも譲るつもりはない」などという、責任ある政治家ならまず口にしない、自らの将来の行動を縛るような、ただ大向こう受けを狙っての軽率な発言が加わっては、問答無用と軍刀の柄に手をかけた昭和初期の青年将校の再来を思わせる。
去る11日、中国外交部の羅照輝アジア局長が来日して、外務省の杉山アジア大洋州局長と会談した。「副大臣(次官)級の会談へ向けての準備」とされているが、とにかく今は尖閣諸島問題を堂々とテーブルに載せて、40年前に積み残した討議を始めることが必要だ。
そのためには、これまで不作為の隠れ蓑にしてきた「領有権問題はない」は取り下げなくてはならない。石原慎太郎や安倍といった青年将校気取りの一味の怪気炎に惑わされずに、最後の花道として、中国ときちんと対座する勇気を野田内閣には持ってもらいたい。
古い話になるが、1938年1月、日中戦争の拡大を前に駐華ドイツ大使・トラウトマンの調停工作が失敗した後、近衛文麿内閣は「爾後、蒋介石政権を相手にせず」と声明した。それが、その後、戦争の泥沼化を招き、破局へ至ったことは昭和史の重大な教訓の1つである。
「領有権問題はない」などという空疎な呪文にすがっても、神風は吹かないのだ。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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