マトルチ総裁の政府批判
昨年末の12月5日、国会の経済委員会はマトルチ国立銀行総裁から年次報告を受ける会議を開催した。
マトルチ総裁はコロナ禍の経済政策が成功した理由を説明した後、農業分野の近代化の遅れ(灌漑設備の遅れ)が、食料品価格の高騰の原因であると指摘した。食料品価格のインフレがインフレ全体の過半を占めることに注意を喚起した。「EUの対ロシア制裁がインフレの原因」とする政府の説明と異なるものである。さらに、政府が導入したいくつかの商品の価格凍結政策(E95ガソリン価格、砂糖、植物油など)や利上げ制限などの措置は国民経済の脆弱性を高め、価格への感応性を低める誤った政策だと批判し、国立銀行がこれらの政策を主導したのではないことを明らかにした。また、国立銀行は政府の経済政策の誤りを、マトルチ自身が政府に対して、何度も忠告したと明らかにした。
マトルチ総裁は委員会での聴聞の最後の三分の一の時間を政府の経済政策批判にあてた。
言うまでもなく、マトルチ総裁は第一次オルバン政権から経済政策を担ってきたオルバン首相の片腕であり、近時の政府の価格凍結政策はFidesz(フィデス「キリスト教民主国民党」・政府与党)政府が自負してきた政策である。だから、マトルチ総裁が政府の経済政策を批判することなど想像もできなかった。ところが、マトルチ総裁は、「政府の想定とは反対に、政府の政策はインフレの高騰を招き、EU内でもっとも脆弱な経済に陥れた」と批判したのだ。
「EU制裁が経済困難を招いている」とする国民コンサルテーション・キャンペーンが展開される中、Fidesz 政権を支えてきた国立銀行総裁が政府を真っ向から批判する主張を展開したのである。政府に批判的なメディアや野党の政治家はマトルチ総裁の真意を訝った。
経済学者のボッド・ピーテル(2006年総選挙時のFidesz連合首相候補。その後、Fidesz 政権の政策を批判)は、「マトルチ総裁が主張した当然の内容より、政府の経済政策の誤りを指摘した率直さに驚いた」と述べている。
他方、Fideszの国会議員団はマトルチ総裁を批判し、「2031年まで総裁任期を延長したいという要望をFidesz国会議員団が拒否したことにたいする逆恨み」とする見解を発表し、これにたいし国立銀行HPは「そのような延長要望の事実はない」という声明を掲載する事態になった。
この時期のマトルチ総裁の政府の経済政策批判が、どのような背景からもたらされたものなのだろうか。筆者は、経済政策の主導権をめぐる政権内部の抗争、マトルチ総裁個人にかかわるスキャンダルやFidesz政権内部でのマトルチ総裁への批判的な空気を遮るために、マトルチ総裁が政府批判の芝居を打ったと考える。
オルバンと袂を分かつのか
2015年にオルバン首相の盟友シミチカ・ラヨシュが、「オルバンは徴兵訓練時代に、諜報部員への勧誘を受けていた」と暴露し、学生時代から続いた蜜月関係を断絶する行動に出た。シミチカは自らの管轄領域である経済分野の問題に、オルバンが介入したことに腹を立てたことが原因とされたが、真相は不明である。この時、オルバン首相はあらゆる手段を使って、シミチカが関連する企業グループを公的発注から排除し、数年でシミチカの影響力を排除することに成功した。
もしかして、マトルチが2015年のシミチカと同様の行動を取ったのではないかと考える野党議員もいたが、それほど単純ではない。マトルチが批判したのはオルバン首相ではなく、ヴァルガ財務大臣である。もう一人の批判対象は、一時マトルチの片腕として国立銀行副総裁の地位にあったが、その後財務省に追い出され、現在は経済開発大臣を務めるナジ・マルトンである。経済政策をめぐる個人的確執が一つの要因であることは間違いない。
また、マトルチ総裁は国立銀行資産を自らが主導して設立した財団に流出させ、息子アダムが所有する会社や私的ファンドの所有に転換させる手法で財を築いてきた。そのアダムはポルシェ収集や数千万円もする高級腕時計の収集で良く知られる存在になっている。オルバン首相の女婿も似たり寄ったりのことをしているが、Fidesz政治家の中にはマトルチ親子の蓄財に目を顰めている者もいよう。だから、もしマトルチがさらに強い行動にでれば、オルバンはシミチカを潰したように、あらゆる手段でマトルチ一家が保有する資産の取り潰しを図るだろう。したがって、マトルチ総裁がオルバン首相と真正面から対立するリスクを取るとは考えられない。
他方、オルバン首相は女婿であるティボルツ・イシュトヴァンの起業に巨額の公的補助金を支出させ、一介の若造を億万長者に成り上がらせた。このティボルツが所有する私的ファンドが、次々と優良企業や不動産を掌中に収めている。しかも、マトルチ・アダムやティボルツ・イシュトヴァンは、相互に、ファンドを通した企業買収で協力関係を結んでおり、新興のオルガルヒにのし上がっている。相互のやり方を熟知しているから、一方だけを潰すわけにはいかないだろう。お互いに表沙汰になっていない秘匿事柄が、あまりに多すぎるからである。
このような事情を考慮すると、マトルチ総裁の経済政策批判が今後、どのような展開を見せるのか、注目される。
公益財団の資産私物化のメカニズム
マトルチが国立銀行総裁に就任して以降、金融教育・トレーニング、世界地域研究を名目に次々と公益財団を設立し、銀行資産の一部を流出させ、息のかかった人物を財団の運営に就かせてきた。
2015年、マトルチが国立銀行総裁に就任した後、国立銀行は2800億Ftを拠出して、パラス・アテーナ地政学財団(PAGEO)を設立し、Svábhegy(ブダペスト12区の丘陵地帯にある高級別荘地)にある宮殿を本部の建物として購入した。しかし、この宮殿は教育・研究施設として使用されることなく、2019年に名の知れぬ不動産業者に売却された。
その結果、この宮殿の所有者はSeven House Kft.の所有になったが、この会社は二つの私的ファンドが70%-30%で所有していることが明らかになった。そして、この二つのファンドを運営している親ファンドがQuartz Alapkezelőで、その所有者はマトルチ総裁の息子アダムの友人の Száraz Istvánである。実際にはマトルチ・アダムがこの宮殿の運用に携わっており、一時、この宮殿に居住していたが、現在は貸し出し物件として使用されている。
いずれにせよ、国家資産を拠出して設立された財団の資産が安値で売却され、それが事実上、国立銀行総裁の息子が運用する資産になっている。直接に所有しているわけではないが、種々の私的ファンドを資産ロンダリングの隠れ蓑として使っている。所有者が不透明なファンドを介して、公的資産の私財化を図ることが、現在の新興実業家の手口になっている。それができるのは、皆、政府や国立銀行と深い関係がある人物だけである。
マトルチ総裁のアイディアで、国立銀行はいろいろな名目をつけて、2014年に6つの財団を設立した。2015年になって、この財団をめぐるスキャンダルが出てきた。
2013年にマトルチが経済大臣から国立銀行総裁に任命されたときに、経済省から若い女性秘書を国立銀行に移籍させた。2010年にセゲド大学で学士号を取得して、経済省に入省した女性秘書ヴァイダ・ズィタ(Vajda Zita)を気に入ったマトルチは、愛人関係を結び、課長級の月額173万Ft(フォリント・1Ft≒35円)の給与を支払い、エリザベート橋近くのNaphegyのアパート購入に3200万Ftの低利の融資を与えた。銀行に来て間もない行員に、巨額の融資を行ったのはマトルチ総裁の後押しがあったからに他ならない。
しかし、国立銀行内で総裁が愛人を優遇しているという噂が出回り、マトルチはヴァイダ女史を国立銀行から、銀行が設立した財団の運営責任者に転出させた。既述したパラス・アテーナ財団はさらにいくつかの子財団をもっているが、ヴァイダ女史はそのうちの4つの財団に運営責任者や研究者として名を連ね、月総額で250万Ft前後の給与を受けることになった。マトルチ総裁は離婚成立とともに、2017年にヴァイダ女史と結婚した。それに伴いヴァイダ女史はパラス・アテーナ財団の職から退き、国立銀行からの借入金を返済したとされている。
何のことはない。国立銀行が設立した財団はマトルチ総裁の息子や愛人のために、最大限に活用されたのだ。国立銀行から超低利の融資を受け、国立銀行から法外な報酬を受け取り、そこから借入金を返済するのだから、これこそ現代的な錬金術である。元手なしに、資産を形成する方法である。ハンガリーの多くのオリガルヒは皆、このような錬金術で財を成した連中である。だから、政権を維持するためには手段を選ばない。
このような不透明な財団の設立をめぐって、Fidesz内部でマトルチ父子の行動を疑問視する声が上がったとしても不思議ではない。多分、そのような声に押されたのだろうか、政府は国立銀行が設立した財団を今年中に清算することに決めた。マトルチ総裁にとっては、すでに一定の資産を私物化できたし、愛人の一時的避難場所の役割も終わったので、財団清算でとくに失うものはないが、Fidesz政治家周辺の批判的な声が総裁再任に影響することは避けられないと判断したのかもしれない。
したがって、Fidesz議員団がマトルチ総裁の例外的な再再任要請を断ったことが、マトルチ総裁による政府経済政策批判の背景にあるのは間違いないだろう。2013年に任命されたマトルチ総裁の任期は2019年に切れたが、さらに6年の再任が認められ、2025年まで総裁の地位を確保した。ところが、マトルチは終身総裁か、少なくとも第3期目の2031年まで総裁の地位を確保するべくFidesz国会議員団に話を持ち掛けたようだ。それを断られ、今回の政府批判の行動にでたと考えられるが、しかし今回の一件で2025年以降の再々任の目はなくなったと言えよう。
贅沢三昧のマトルチ・ジュニア
すべての権力は腐敗する。腐敗の象徴になっているのが、オルバン首相女婿のティボルツ・イシュトヴァンとマトルチ総裁の次男マトルチ・アダムである。アダムはポルシェの収集家や高価な腕時計の所有者としても良く知られている。
現在、アダムは4台のポルシェを保有しており、彼の会社が借りているMillenáris(MAMMUTに隣接する広大な開発地)の駐車場に置いている。このMillenárisのオフィスビルにはアダムの会社だけでなく、資産ロンダリングに関係している私的ファンドが事務所を構えている。相互に複雑に所有関係を構築して、簡単には真の所有者が分からないようにしているが、日常的な情報交換は同じオフィスビルの中で行われている。しかもマトルチ・アダムが日常的に乗っているのは、その4台ではなく、 2020年製造のPorsche TaycanTurbo Sの電気自動車(2500万円~)である。
アダムの友人で、やはり国立銀行から請け負った巨額プロジェクトで一躍億万長者になったショムライ・バーリント(Somlai Balint)がいる。彼が所有するRaw Development Kft.は、国立銀行から本店建物の改装業務とセールカールマン広場の歴史的建造物である郵便局の改装工事を引き受けた。その請負総額は850億Ft(およそ300億円)であった。アダムとショムライ・バーリントは緊密な友人関係を築いており、車や腕時計の趣味も合わせている。
バーリントは2020年製フェラーリのハイブリッドに乗り、腕にはノーチラス5740/1G-001(およそ4000万円)を付けている。アダムの腕時計もまた、ノーチラス5711/1R-001(およそ2500万円)である。この二人はプライヴェットジェット(Bombardier Challenger 601)を共用している。なぜか、この二人(とその家族)は外交旅券を保有していると報道されている。
マトルチ・アダムに関連して、昨年末にもう一件のスキャンダルが報じられた。
当地のポータルサイト444が報道したところによれば、ニューヨーク・マンハッタンの中心部にある26階建ての歴史的建築物Crown Buildingの最高級レジデンスがハンガリー人によって所有されており、実際の所有者はマトルチ・アダムとその友人たちのグループであるという。
マンハッタンのThe Crown Building
この建物の4階から26階はロシア人が購入し改装したホテルになっており、平日の最低の宿泊料金が3567ドル~で、週末は4200-5500ドルという超高級ホテルである。83室の部屋と22のレジデンスから成っている。このホテルの18階にある348㎡のレジデンスを購入したのが、ハンガリーの会社だという。
2021年4月27日に登記されたこの高級レジデンスを購入した会社の所在地は、アダムの会社が入っているMillenárisオフィスビルとなっている。そこを住所とする二つの会社を所有する人物が契約書に署名しているが、この二つの会社は私的ファンドFelis Magántőkealapに吸収されている。種々のファンドを経由させることで、実際の所有者が分からないようになっている。当時のMillenárisオフィスビルの所有者はいくつかの投資ファンドが合体した Quartz Alapkezelőで、その運営はアダムの友人 Száraz Istvánが取り仕切り、アダムがその黒幕である。Svábhegy の宮殿を私物化したグループである。ニューヨークのレジデンスは、マトルチ・アダムとそのグループが共同で所有する物件であることは間違いない。
このニューヨークのレジデンスはおよそ4000万ドルと推定される。カタログ価格で購入されたと言われている。公金を引き出して焼け太った成り上がりのハンガリーの新興オリガルヒは、プライヴェットジェットを共有し、ニューヨークやその他の隠したリゾート資産で遊興し、我が世の春を謳歌している。
はたして、マトルチ国立銀行総裁の小さな反乱が、これらの新興オルガルヒの行方も左右するのだろうか、興味深い。
(盛田常夫「ブダペスト通信」1月25日)
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