――八ヶ岳山麓から(124)――
9月27日午前11時52分、木曽御嶽山(きそおんたけさん)が噴火し、頂上付近に大量の噴石・火山灰を降らせた。死者57人、負傷者多数、6人は行方不明のままだから63人も亡くなったことになる。警察・消防・自衛隊などのべ1万5千人が捜査にあたった。戦後最大の火山災害である。
1979年10月の噴火からすれば35年ぶりの噴火である。私は35年前、御嶽噴火のニュースを聞いたときは、一瞬あっけにとられた。御嶽は噴火するはずのない死火山だった。
4日後、八ヶ岳の阿弥陀岳に登り、赤石山脈の稜線の向こうに御嶽山の噴煙を眺めたとき、わけもなく非常な感動を覚えた。このあと2回ほどの水蒸気爆発があり、1984年には御嶽山周辺でマグニチュード6.8の地震が発生した。このとき地滑りが起き29人が死んでいる。
79年噴火のあと私たち地理教師仲間は、「死火山・休火山などという区分は、地球史からすればまったく無意味だった。万年単位で考えるのが当然だった」などと話しあったことを記憶している。
中学時代の恩師から今回の噴火についてメールを頂戴した。現在83歳の木船先生は学生時代は地質学専攻、教職につかれてからも研究を続けてこられた。先生の感想はこのようなものだった。
御嶽の噴火には本当にびっくりしました。
亡くなられた方には申し訳ないですがお気の毒としか申し上げられません。私も御嶽は生徒と登ったり、教員の研修で登ったり、木曽黒沢中学にいたとき、下宿先の主人が御嶽神社の神主だったので、そういう縁もあり、合わせて7~8回くらい登りましたが、いつ噴火するかなんて考えもしませんでした。
御嶽山には山頂に池が6個ばかりあり美しい景観を見せてくれました。三の池で鶏の卵をゆでて食べたりしたこともあります。特に一の池では環状砂礫(大きな礫が自然に円状に配置される――周氷河地形)が見られる大切な場所なので、どうなったのか心配です。
いまの日本の火山学では噴火の予知は難しい現状ですし、それに備える学問を支える予算もないので、本当に申し訳ないとしか言えません。
長野県では学校の運動会などのとき歌う「信濃の国の歌」の歌詞に「御嶽、乗鞍、駒ケ岳。浅間は殊(こと)に活火山」という部分がある。子供心にも「殊に活火山」というのがおかしかったが、長野県内で一番活発な活動を続けているのが浅間山である。浅間はほとんど一年おきに噴火している。
御嶽噴火までは、浅間山に次いで活発な活動をしているのは焼岳だった。上高地に行った人は大正池の向こうに釣鐘状の焼岳を見る。大正池は、大正4(1915)年の焼岳水蒸気爆発による泥流が梓川をせき止めてできたものだ。
この二つの山はいつ噴火しても誰も不思議には思わない。しかし御嶽山は木船先生だけでなく、誰もが「いつ噴火するかなんて考えもしませんでした」
私の村でも老人会の新入者登山をやったり、御嶽講の人たちが登ったりするという山であった。
日本の活火山は1975年には、火山噴火予知連絡会の「噴火の記録のある火山及び現在活発な噴気活動のある火山」という定義によって77あるとされた。その後定義は変わったが、2003年に「おおむね過去1万年以内に噴火した証拠がある山」となり、108に増えた。私が毎日見ている北八ヶ岳の横岳(蓼科横岳)もこのとき活火山に入った。その後2つの山が加えられて、現在は110個になった。
このように活火山の定義は便宜的、悪くいえば火山研究予算請求のためかもしれない。常時観測対象になっている火山は全国で47ある。いま御嶽山はこの47個の火山に入っており、「火山防災のために監視・観測体制の充実等が必要な火山」で、24時間監視が行われている。またその一ランク上の「噴火警戒レベル」の30火山でもある。
火山観測は気象庁のほか大学の研究部門によって観測と研究がつづけられている。2008年自民党内閣のもとで文科省は御嶽山を研究観測対象とする名古屋大学の研究予算を削減したが(自民党のアホ議員がこれを民主党内閣の「事業仕分け」によるといったことがある)、今回は御嶽山の噴火災害を受けて、政府はようやく常時監視している47活火山について、関係する全自治体に避難計画の策定を求め、今年度の補正予算案には関連予算を盛り込むる方針らしい。
今回の噴火では、テレビや新聞の報道傾向から「マグマ噴火は山体膨張が観測されるので予知できる、水蒸気爆発は前兆がないので予知が難しい」という印象を持つ人も多いと思う。それは間違いである。観測の数値がどこまでいったら爆発・噴火するのか専門家にもわかっていないからだ。
2000年3月の北海道有珠山噴火の報道によって、やりようによっては噴火の予知が可能だとか、避難がうまくできると思っている人もいるかもしれない。だが山にも個性がある。有珠山は30年前後を周期として噴火していて、いわば予知しやすい山だった。過去の噴火の経験から、有珠山周辺では住民にも行政にもそれなりの準備があったし、なによりも観測体制が比較的整い、北海道大学の優れた研究者が常駐していた。このように幸福な火山はそう多くはない。
火山噴火による原発の安全問題や避難対策や、噴火予想による観光地の死活問題など噴火をめぐる問題はさまざまある。御嶽噴火でも、その直後から観測体制や「噴火警報レベル1」や、地元観光業や農業への災害対策、活火山の登山規制が問題になった。
ここでは噴火にかかわる入山規制についてだけ、私見を述べたい。
火山であろうがなかろうが、難度が高かろうが低かろうが、登山は危険と背中合わせの活動である。登山の魅力は冒険的要素がその中にあるから生まれるのである。谷川岳のロッククライミングなどのように遭難者が多いコースはいくらでもある。もし遭難者が多いからといって入山規制をしたら、冬の富士山などかなりの山は登れなくなる。
ただ、噴火は登山一般が持つ危険とは異なる。登山者だけでなく周辺住民の安全と生活にかかわり、気象への長期にわたる影響も考えられるからである。そこに行政の対策と研究の継続が重要な意味を持つと思う。
だが私は現在の研究水準において、噴火が差し迫っていると判断される場合を除き、入山規制をいたずらに強化するのには反対である。御嶽山は「噴火警報レベル1」だった。これは科学的基準ではなく目見当である。微動地震があったのに規制レベルを上げなかったから遭難者が増えたといって、関係機関を非難したメディアがあった。無知というほかない。
また登山者が入山届を出したかどうかを問題にしたメディアがあった。今回登山届は一部行方不明者の身元を確認するには役立ったところがあるが、強制することは不可能だ。日本の山はさまざまな人が万単位で登っている。遭難による捜索願は親戚、友人によるものが大部分だ。入山届を見て山岳警察が捜索を始めることはまずない。
少なくとも気象庁や火山噴火予知連絡会が活火山としている山は、いつなんどき人命にかかわる噴火があるかわからない。1979年の御嶽噴火のように、そうでない山でも噴火するかもしれない。富士山には毎年何万人ものぼるが、考えようによってはこの人たちは命知らずである。木船先生のいう通り、「いまの日本の火山学では噴火の予知は難しい現状ですし、それに備える学問を支える予算もないので、本当に申し訳ないとしか言えません」
御嶽山のように予想できない噴火は起きる。これによって遭難者が出るのはやむを得ない。ここは噴火による原発破壊などとは意味合いが異なる。
登山は自己責任が前提である。気象庁の噴火警報データ(http://www.jma.go.jp/jp/volcano/)を見ることはもちろん、気象予報や山道の事前調査、食糧計画や装備の点検は当然だ。頻繁に山登りをする人は、危ないと思ったら山岳保険などに加入するなどの対策をとるべきである。活火山に入る人はそれなりの覚悟があるべきだ。
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