心が彼岸にわたるとき

― 平成おうなつれづれ草(4)―

8月13日。旧盆の入りの日。夕暮れに、門口にひとりしゃがみこんで樺を焚いた。樺は火がつきにくいのに、ひとたび点火すれば黒い煙がもうもうと上がる。
この煙を見て父と母は本当に帰ってくるのだろうか。やはり父が先に立って、母が一歩遅れて、そんなふうにして二人でやってくるのだろうか。
あの世というものを信じない私だけれど、ふとそんな光景を心に思い浮かべる。お盆は亡き人を偲ぶ特別の場面をもつ、特別の季節である。

この世に別れを告げるとき、ひとはどんな意識をもつのであろうか。
長い間それが気になっていた。2年前の亡き母との別れが、そのひとつの場合を教えてくれた。

母は90歳を過ぎるまで家事万端をひきうけているほど元気であったが、97歳のときに軽微な脳梗塞に見舞われ、軽い認知症に陥った。記憶の障害が激しかったが、その他はあまり変わらず、喜怒哀楽の情もあり、場面に応じた会話もしていた。しかしその後体力と知力はじわじわと衰えて行き、104歳の誕生日を過ぎる頃には、起きている時間の大部分を居眠りで過ごすようになっていた。
そして、見守りの一瞬の隙をついて転倒し、大腿骨骨折を起こした。整形外科医は手術をしないことを勧めた。「骨全体がもうモロモロだから」というのが理由だった。「転倒骨折したから老化が進むんじゃない。老化が進んだから転倒骨折するんですよ」とも言った。
自宅に戻り、車椅子からトイレへの乗り移りを試みるまで、私はまだ淡い期待を抱いていた。しかし、母が全体重をどさりと私に預けてくるのを感じたとき、すべてを悟った。整形外科医の予言通り、母はもうベッドを出ることはできないのだった。往診してくれる家庭医ははっきりと終末態勢をとった。

5月が終わろうとしていた。裏庭の木々の緑が見えるように、ベッドの向きを変えた。ベッドの上半分を起こしてやり、私も椅子を並べて、二人で窓の外を見た。風が強く吹きわたっていた。
「葉っぱが揺れているね」と母が言った。「うん」と私が言った。
どうしてあのとき、私はもっと沢山しゃべらなかったのだろう。あれが、意識清明な母と交わしたほとんど最後の、親密な親子の会話だったのだ。

食べられるものが目に見えて減って行き、まもなく僅かな飲料をストローで摂取するだけになった。下痢が激しかった。そして昼となく夜となく、母は小鳥がさえずるように、とぎれとぎれの言葉を発するようになった。
6月10日深夜3時。突然、「モウ、シヌトキカモシレナイ。ミンナ、ゲンキデ‥」の声が聞こえ、私は飛び起きた。
6月12日深夜4時。「オヤノシヌノモワカラナイ、オヤノシヌノモワカラナイ」。起きて傍らにより添うと、「イキガデキナクナリソウナキガスル。‥イキガクルシイ」と続いた。
同日13時30分。「‥ダレカワタシヲ、チャントシタニンゲンニシテクダサイ」「ダレカワタシヲ、サカイクリヨニナオシテクダサイ」。サカイとは結婚前の姓である。
6月13日16時。「ワタシハニンゲンデショウ。‥ニンゲンノカズニイレテチョウダイ」。
同日17時30分。「ワタシガサキニシンデモ、‥シネナイ」「ワタシガサキニシヌケド、‥シネナイ」「ワタシガアトニナッタホウガ‥」。遺して行く独身の娘を思ってのことに違いなかった。

6月14日深夜2時。「ダレカウタヲウタッテチョウダイ、ダレカウタヲウタッテクダサイ」。
同日9時30分。「オツキサマ、ゴメンナサイ」「アーン、アーン(泣き声)」。私は彼女の孫たちにメールを送り、おばあちゃんはお月様とお話しをするようになったから、もし時間が取れるなら会いに来るようにと促した。
同日10時20分。「ワタシハ、ドウシテイイカワカラナイ」。「‥モウ、タベレナイ」。

6月15日14時30分。「ダレカ、ワタシヲ、ワタシヲシッテイルヒトハ、イナイ? ‥ダレカ、ワタシヲ、ワタシヲ‥、イナイカネエ‥」。
同日21時。「コワイヨウ‥」。“大丈夫よ、私が一緒にいるよ”と私。
同日22時30分。「ダレモイナイ‥」。“矩子がここにいるでしょ”と言うと母は目を開いたが、視線はもう合わなかった。「ノリコハ、ココノヒトジャナイ‥」。「ワタシハモウ‥」「‥サヨナラ。ソジャネ、モウ‥」(ソジャネは、「それでは、ね」の方言)。
私に意味が通じた囀りはほぼここまでである。その後何日か、母はまだ囀り続けていたが、もはやそれは地球語ではなかった。

6月25日、母の肉体は生命活動を止めた。早朝、おむつを替えてあげるとき、いつものように右側のレールに左手を伸ばしたのに、下半身がコロンと、丸太のように転がったのが奇妙だった。朝食のためにストローを唇にあてると、反応がなかった。やがて眼をひきつらせ、慌てた私が訪問看護師に電話をし、お盆をキッチンに下げて戻ってくると何かが変わっていた。‥‥母は、息をしていなかった。‥‥‥‥。私は泣きながら母の頭を抱き、そして少し焦って、こわばり始めた母の口腔に上下の入れ歯を押し込んだ。

そうだ。これより早い10日ほど前、母の意識は、すでにこの世からあの世へ移って行ったのだった。この世への心残りと、あの世への恐怖、心細さをあらわにしつつ、最後は「サヨナラ、ソジャネ」と去って行ったのだった。

しばしば耳にする彼岸が、命の閉じ際にある母の意識の中にも浮かんでいたのは不思議なことだ。そしてまた、残された者がふと、去ってしまった人々を彼岸に思い浮かべるのも不思議なことだ。
彼岸はおそらく、私たちの脳が、ヴァーチャルな心像を生む活動をしていることの結果である(たぶん、夢もそのひとつだ)。彼岸のイメージが人々の間である程度似るのは、命への想いが、人々の間である程度似ていることの証しであろうか。それとも、刷り込まれた既成の物語が、心像に紛れ込むことの証しだろうか。(2013年8月19日記)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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