2024.12.1 ● 世界の「選挙の年」のポピュリズムによる変動は、とどまることを知りません。アメリカのトランプ大統領再当選で、世界はウクライナやパレスチナの戦場、メキシコ・カナダ国境ばかりでなく、米中・米日の関税・為替でも、予測不能な2025年を迎えます。ドイツのように、3つの州議会選挙での右派ポピュリズム・ナショナリズム政党の台頭を受けて、SPD首班の連邦政府の連立再編と来年2月の総選挙への延長戦を決めた国も出てきました。日本では、兵庫県で職員と議会から不信任された知事が、SNSでの同情・復活作戦を成功させて予想外の再選、名古屋市長選挙は新生日本保守党の代議士になった前市長の後継の前副市長が既成政党相乗りの有力候補を破って、これもポリュリズム的圧勝です。その延長上に、来年夏の参院選があります。世界でも日本でも、政党布置状況(constellation)の「右寄りシフト」ばかりでなく、20世紀型のハードな政党組織の行き詰まり・限界を、強く印象づけるものとなりました。
● しかし、これら全体の動きを、一部の陰謀論に見られるdeep state の盛衰(アメリカの場合は反軍産複合体、反エリートのポピュリズム)や、東京都知事選・兵庫県知事選に典型的なSNS戦略に長けたITビジネスの選挙工作の結果とのみ見るのは、早計でしょう。佐藤卓巳さんや伊藤守さんは、情報政治が匿名性や語感によりバーチャルに構築され、「真偽」よりも「信疑」が問題とされる「情動社会」によって傷つきやすくなった結果と見なしていますが、炯眼です。シュンペーターが選挙を市場に、政治家を生産者、有権者を消費者になぞらえたひそみにならえば、魅力ある商品の広告が競われるようになり、消費社会の記号論的価値と顧客満足度が変容してきたのでしょうか。情動=エモーショナルな言説世界では、特に若者たちの投票行動は、短期間でもうねりを作り出すようです。自民党の世襲の色濃い利権誘導はもとより、公明党の宗教的御利益言語も、共産党の革命的ジャルゴンも、キャッチーな情動言説の不定型な広がりの前では、非力でした。
● このことは、政治の世界が、かつての街頭演説と戸別訪問、議会討論の定型から解き放たれ、新聞・ラジオ・テレビと広がったメディアのパターン化された一方的送信・宣伝からも距離をおいて、SNSに象徴される相互承認・排斥型コミュニケーションの中で展開されるようになった21世紀的事態です。日本では有権者性悪説を前提し、戸別訪問さえ投票の買収につながるからと禁止され、選挙ポスターも公設掲示板のみの厳しい制限が課された公職選挙法が、1925年普通選挙法以来、長く続いています。日本に限らず、議会選挙や公職の選任の仕方をどのように変えていくかは、マイナンバーカードによる健康保険証廃止や運転免許証ひもづけなどよりも、はるかに緊急で、切実な政治的課題でしょう。さしあたりは政治資金における企業・団体献金の禁止です。もっとも、それを議論し決める主体が、現行法で選ばれた議員たちというジレンマはつきまといますが。
● こうした政治の歴史的構造転換を、『情報戦の時代――インターネットと劇場政治』(花伝社、2007)で論じた時、手がかりになったのは、つい先日マンション火災で死亡が確認された猪口孝さんの先駆的な「情報」概念の理論的検討でした(『年報政治学 1979 政治学の基礎概念』岩波書店)。それまで「情報」と「諜報」の区別も曖昧で、「情報公開」の政治的意味が軽視されてきた日本の政治学の世界に、通信を媒介とした送信者→受信者のコミュニケーション過程のなかに「情報」を措定し、「情報は政治目標をもつ政治主体に対して、政治環境についての不確定度を減少させ、政治目標の達成をより容易にする確率を高める。いいかえると、政治目標の達成のための政治環境の操作を成功させる度合を高めうる要素のひとつとして考えられる」と初めて定義したのは、『レヴァイアサン』誌を創刊する前の若き猪口孝さんでした。
● 私自身は、19世紀機動戦・街頭戦→20世紀陣地戦・組織戦→21世紀情報戦・言説戦のネオ・グラムシ的理論モデルを作るにあたって、猪口さんのこの政治学定義や吉田民人さんの社会学的考察を大いに参考にしましたが、猪口さんの「情報は政治環境についての不確定度を減少させる」という定義に対し、吉田さんの「広義の情報概念=物質・エネルギーの時間的・空間的、定性的・定量的なパターン」を参照して、「ノイズ=雑音も情報である」としたのが、私なりの問題提起でした。つまり、フェイクニュースや根拠なきプロパガンダも「政治的情報」として分析の対象にするという立場でした。この点の違いはありますが、「情報の政治的意味」について端緒的に論じた猪口孝さんを理論的にリスペクトしてきました。心より哀悼の意を表します。
● マンション6階の猪口さんのお宅には多くの蔵書があり、それが強風下で火の手を早めて初期消火を難しくしたともいわれます。この2年余、コロナ禍で入院・手術し、書物に囲まれたベッドでリハビリをしてきた私には、他人事ではありません。幸い年末が近づいて、11月には尾﨑秀実=ゾルゲの80回忌国際ワークショップ他たびたびの都心への外出がありましたが、何とかゆっくり歩いて出席することができました。ゾルゲ事件については、名越健郎さんの新著『ゾルゲ事件――80年目の真実』(文春新書)も出て、来年も活発な議論を聞けるでしょう。心臓病手術をした専門病院の術後2年の精密検査では、リハビリによる順調な快復と診断されました。リハビリとクスリは継続しますが、これからは年に1度のCT検査でのチェックになります。この間、多くの皆さんからお見舞い・激励をいただきましたが、この場を借りて厚く御礼申し上げます。まだ全快とは行きませんが、2025年に向けて、新たな研究生活の再出発へと、助走を開始します。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5836:241202〕